アンニャ・ルービック

ユーラシア大陸の西の外れ~西欧のうちの北方の一角にあって、そこに暮らす住民らによる『勇敢にして果てなく偉大なり』との自己評価とは裏腹に、その多くを被虐者としての悲哀の歴史とともに語られがちな東欧の一国、ポーランド。アンニャ・ルービック(Anja Rubik)〔1985年6月11日生〕―しばしば英語読みにてアンジャ・ルービックとも―この女性は、この国に生まれこの国の民の血筋を有するその身を武器に、国境を越えて活動を続けるトップモデルである。

2009年度春季のグッチのコレクションにてほほ笑みを漏らすアンニャ・ルービック
2009年度春季のグッチのコレクションにてほほ笑みを漏らすアンニャ・ルービック

目次

経歴

胎動の時代

時代が大きな節目を迎えようとしていた時期のポーランド―ポーランド人民共和国という社会主義国としてあった時代のこの国の深奥と言えよう内陸の地に佇むチェンストホヴァという町にその生を享けたアンニャは、ごく幼い時期から家族とともにカナダ、南アフリカ、ギリシア、・・・と様々な国々を転々としていた。

モデルになることを夢見ていた―そんな少女であったアンニャに大きな転機が訪れたのは、フランスの『モードの都』~パリの高校に学んでいた14歳のときであった。

・・・この街に催されたとあるモデル関係の大会に参戦―そしてパリジャンというモデル事務所からの『発掘』を受けたのである。

日本の京都出身の五十川明というファッションデザイナーのショーで自身初となるランウェイの舞台を経験したうえで、この街―パリを舞台に、ジバンシイとニナ・リッチという名高いファッションブランド群の秋季のショーに出場したアンニャは、そうして自身のモデルとしての本格的な経歴を始動したのであった。

始動の時代

2005年度秋季のラガーフェルド・ギャラリーのショーにてアンニャ
2005年度秋季のラガーフェルド・ギャラリーのショーにてアンニャ

そんな『始動』の年からおおよそ2年の時を経て、この道―すなわちモデルの道を追求するためとのことで、大西洋を大きく越えてアメリカ合衆国のニューヨークへと移住したアンニャは、イタリアのミラノ~そして自身の胎動の地~パリ~と、ショーの仕事のためにこの海原を幾度も往復しつつ、2003年も暮れゆく頃にイタリアの『D』という雑誌の表紙に登場。

特に目立った活躍もなきままに2004年を過ぎ、やがて2005年になると、フランス発のエマニュエル・ウンガロとイタリア発のエンポリオ・アルマーニという歴史あるファッションブランド群の広告塔への起用を受け、ドイツ出身のジュリア・ステグナーというモデルとともにクロエというフランス発のファッションブランドの仕事を請ける。

同じくフランス発のヌメロというファッション雑誌の表紙を飾った4月を過ぎて、年も後半に至ると、ペルー出身のマリオ・テスティーノという写真家による撮影を受けたうえで、その写真を携えマレーシア発のジミー・チュウという比較的新興のファッションブランドの秋季の広告塔へ。

シャネルの目周り用品―アイウェア―の広告にアンニャ
シャネルの目周り用品―アイウェア―の広告にアンニャ

やがてはニューヨークを舞台として、ダナ・キャラン、プロエンザ・スクーラー、マーク・ジェイコブス、ラルフ・ローレン、・・・こうしたファッションブランド群のショーを飾り、年度に幕を下ろした。

勃興の時代

ニューヨークにその産声を上げたエスティ・ローダーという化粧品ブランドとの契約を得た2006年には、フランスに飛んでパリでジョン・ガリアーノというスペイン発のファッションブランドの秋季のショーを修飾してのちに、『トップモデルの登竜門』―しばしばそう見做されうる、イタリア版のヴォーグ誌に登場。

パリに開かれたクロエの香水の発表会~ともにその広告塔となったフランス出身の女優―クレマンス・ポエジー(左)と米国出身の女優―クロエ・セヴィニー(右)とともにアンニャ。やはり腐ってもモデル―。
パリに開かれたクロエの香水の発表会~ともにその広告塔となったフランス出身の女優―クレマンス・ポエジー(左)と米国出身の女優―クロエ・セヴィニー(右)とともにアンニャ。やはり腐ってもモデル―。

そしてウクライナ出身のスネジャナ・オノプカとラトビア出身のマルタ・ベルツカルナと並んで、スティーブン・マイゼルというあまりに名高い写真家の被写体となったうえで、その写真をもってドルチェ・アンド・ガッバーナという高名なるファッションブランドの仕事を請ける。

パトリック・デマルシェリエというフランス人写真家の撮影をアラスカで受けてトミー・ヒルフィガーというこれまた名高いファッションブランドの仕事を請けたこの年―2006年にあっては、かのヌメロ誌の表紙を再び飾り、パリを主舞台として数多のファッションブランド群のショーを飾った。

そうした年を終えて迎えた―そのキャリアもついにはおおよそ7年に達した2007年。かのエスティ・ローダーの『ビューティフル』という名の香水との契約を結び、更にはクロエの広告塔に復帰。ハーパース・バザー誌~ヴォーグ誌イギリス版~同誌中国版と、大陸を越えて立て続けざまにその姿を現した4月を過ぎて、6月になるとまたもヌメロ誌の表紙に登場。

2009年度春季~ソニア・リキエルのショーにてアンニャ
2009年度春季~ソニア・リキエルのショーにてアンニャ

どうしたわけか馴染みの長髪を短く切り落としたうえで、イタリア発のチェーザレ・パチョッティというファッションブランドの広告塔へ・・・そしてフランス発のあまりに高名なシャネルの目周り用品の仕事を請けるなどして過ぎたこの年―2007年もやがては閉幕。

クレマンス・ポエジーという名のフランス出身の女優―そしてクロエ・セヴィニーという名の米国出身の元モデルの女優と並んで、馴染みのクロエの香水部門の広告塔の一人へ。

・・・モデル―アンニャ・ルービックのその熟成の期と言えもした2008年がそうして幕を開けた。

熟成の時代

ベルスタッフとディースクエアード²という2ブランドでの仕事を通して名写真家―スティーブン・マイゼルとの再会の機に恵まれ、ターニャ・ディアヒレヴァマリナ・リンチュクというベラルーシ出身の2名のモデルらと対面。更にはブラジル出身のキャロライン・トレンティーニという名高いモデルに代わって、同郷のマグダレナ・フラッコウィアックというモデルとともにオスカー・デ・ラ・レンタの広告塔に被起用。

そうして2008年を始動すると、さっそくその1月にあって、『V』というファッション雑誌に登場したうえで、ブラジル出身のラケル・ジマーマンや米国出身のヒラリー・ローダとともに、その紙面において『ブロンドの象徴』としての『祭り上げ』を受けた。

2008年度春季のクリスチャン・ディオールのショーの舞台裏にて、ブラジル出身のラケル・ジマーマン(左)とフランス出身のモルガン・デュブレ(右)とともに佇むアンニャ。
2008年度春季のクリスチャン・ディオールのショーの舞台裏にて、ブラジル出身のラケル・ジマーマン(左)とフランス出身のモルガン・デュブレ(右)とともに佇むアンニャ。

その経歴のうちに飾ってきた広告の数々は、アガタ、アレグリ、アンナ・リタ・エンネ、アントニオ・フスコ、バランタイン、バーニーズ・ニューヨーク、ベルスタッフ、ブラック・レーベル、ボッテガ・ヴェネタ、チェーザレ・パチョッティ、シャコック、シャネル、クロエおよびその香水―『クロエ』、クリスチャン・ディオール・メイク・アップ、クラランス、コレット、COS、ディーゼル、ドルチェ&ガッバーナ、ディースクエアード²、エマニュエル・ウンガロ、エンポリオ・アルマーニ、エスカーダ、エスティ・ローダーの香水―『ビューティフル・ラブ』、Fcuk、フレッド、ギャップ、ジャンフランコ・フェレ、ジョルジオ・アルマーニのコレクション―『マニア』、ギ・ラロッシュ、H&M、ICB、ジミー・チュウ、クリツィア、ランコムの『ヘア・センセーション』、ラ・ペルラ、マイン、ニーマン・マーカス、ナインシックス、ニュクス、オスカー・デ・ラ・レンタ、ラルフ・ローレン、ロベルト・カヴァリ、セフォラ、シッシー、トッズ、トミー・ヒルフィガー、ヴァレンティノ、ヴェルサーチ、ザラ、・・・。

2009年度春季のデレク・ラムのコレクションにて~オランダ出身のベッテ・フランク(左)とナミビア出身のベハティ・プリンスルー(右)とともにアンニャ
2009年度春季のデレク・ラムのコレクションにて~オランダ出身のベッテ・フランク(左)とナミビア出身のベハティ・プリンスルー(右)とともにアンニャ

飾ってきたコレクション―歩いてきたショーの数々は、アキラ・イソガワ、アルベルタ・フェレッティ、キャシャレル、フェイク・ロンドン・ジニアス、ジバンシイ、イザベル・マラン、ジャン=シャルル・ド・カステルバジャック、ジャン・コロナ、ジョー・ケイスリー・ヘイフォード、ジョン・ロシャ、ケンゾー、リバティ、ロリータ・レンピカ、モルガン、マリガン、ニナ・リッチ、オルガ・シモノフ、パコ・ラバンヌ、ロシャス、シェイラ・マロニー、アンヘル・サンチェス、アティル・クトグル、チャイケン、イッセイ・ミヤケ、ロイド・クライン、アルヴィエロ・マルティーニ、アントニオ・フスコ、エマニュエル・ウンガロ、ギ・ラロッシュ、ジュンコ・シマダ、ランヴァン、ルイザ・ベッカリア、マリエラ・ブラーニ、フィロソフィ(アルベルタ・フェレッティ)、ソニア・リキエル、ヴォヤージュ、アントニオ・マラス、バーバリー、エヴィス、ジャンフランコ・フェレ、ジル・サンダー、クリツィア、モスキーノ、ステラ・マッカートニー、アルベルト・ビアーニ、コレット・ディニガン、マリテ+フランソワ・ジルボー、ムン・ヨンヒ、ヴァレンティン・ユダシュキン、ズッカ、ボッテガ・ヴェネタ、シャネル、クリスチャン・ディオール、コスチューム・ナショナル、ドルチェ&ガッバーナ、デレク・ラム、ダグラス・ハーネット、ジル・ロジエ、アイスバーグ、ジェイ・メンデル、ジョン・ガリアーノ、マルセル・マロンジュ、ナルシソ・ロドリゲス、ラルフ・ローレン、リーム・アクラ、スポートマックス、トレンド・レ・コパン、トラサルディ、テューラ、ヴァレンティノ、イーガル・アズルーエル、アレッサンドロ・デラクア、アンナ・モリナーリ、アントニオ・ベラルディ、BCBG、ベルスタッフ、ブルマリン、カルロス・ミーレ、クロエ、エミリオ・プッチ、エトロ、フェンディ、エルメス、ジャン・ポール・ゴルチエ、ジェニファー・ニコルソン、ジル・スチュアート、ラ・ペルラ、ラガーフェルド・ギャラリー、ランチェッティ、ロエベ、ルイ・ヴィトン、ルカ・ルカ、マーク・ジェイコブス、マイケル・コース、ミッソーニ、ポリーニ(リファット・オズベック)ソフィア・ココサラキ、ヴェルサーチ、イヴ・サン・ローラン(リヴ・ゴーシュ)、エリー・サーブ、アイグナー、アツロウ・タヤマ、ベイビー・ファット、バレンシアガ、バナナ・リパブリック、ビブロス、コルソ、ダナ・キャラン、カイ・ミラ、L.A.M.B.(グウェン・ステファニー)、モニーク・リュイリエー、プロエンザ・スクーラー、リチャード・チャイ、ロベルト・カヴァリ、ロザ・チャ、ヴィクター&ロルフ、ワイ&ケイ、バルマン、キャロリーナ・ヘレラ、セリーヌ、ドリス・ヴァン・ノッテン、ジャイルズ・ディーコン、グッチ、カール・ラガーフェルド、ミス・シックスティ、オスカー・デ・ラ・レンタ、スウィートフェイス、ヴェラ・ウォン、ブライアン・レイエス、ブリオーニ、ディースクエアード²、ルエラ・バートリー、マシュー・ウィリアムソン、ロダルテ、TSE、クリスチャン・ラクロワ、PHI、ラグ&ボーン、トミー・ヒルフィガー、3.1・フィリップ・リム、6267、ラコステ、オーネ・ティテル、プリーン、サクーン、イヴ・サン・ローラン、・・・。

ニューヨークとパリの街を舞台に、かのオスカー・デ・ラ・レンタと併せてエルメスのショーを修飾―クロエの広告塔仲間であるクレマンス・ポエジーとクロエ・セヴィニーとともに米国発のナイロンという雑誌の表紙を修飾。

そうして2008年―この年も後半に至ると、7月~8月~9月と続けて、ヴォーグ誌ドイツ版の表紙、同誌の中国版とヌメロ誌、ヴィーグ誌のイタリア版とフランス版・・・そしてヌメロ誌に登場し、もはやこの『美』の世界の多くに知られるものとなったモデル―アンニャ・ルービックのその姿を披露したのであった。

その姿

金髪に青の瞳。その身長おおよそ1.77m。

アンナ・マリヤ・ウラツェフスカヤ、キャサリン・マクニール、ココ・ロシャモルガン・デュブレラケル・ジマーマンロミーナ・ラナロ、タイソン・バロウ、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、スキューバダイビングが趣味。

そんなモデル―アンニャ・ルービックは、少女という時期にあって始まった長きその経歴の末に・・・いつしかトップモデルと呼ばれるまでの存在感を得るに至ったその身をもって、大いなる『美』の世に―そして遥かなる旅路のさなかにありつつ、今日もどこかの街に彩を送り続けている。

...
『モデル業っていうのは、才能と、違った局面に適応する能力と、勤勉と、そしていちばん重要な運勢、これらの組み合わせなのだと信じてるよ私。』
〔I believe modeling is a combination of natural talent, the ability to adapt to different situations, hard work, and most importantly, luck.〕
...
ギャップ~デザイン・エディション~の2008年度春/夏季の広告を7名のモデルらとともに飾ったアンニャ―左から、イリナ・ラザレアヌ、ドゥ・ジュアン、リリー・ドナルドソン、ドウツェン・クロエ、シャネル・イマン、ジェシカ・スタム、キャサリン・マクニール、アンニャ。
ギャップ~デザイン・エディション~の2008年度春/夏季の広告を7名のモデルらとともに飾ったアンニャ―左から、イリナ・ラザレアヌドゥ・ジュアン、リリー・ドナルドソン、ドウツェン・クロエ、シャネル・イマン、ジェシカ・スタム、キャサリン・マクニール、アンニャ

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