エミナ・ツンムライ

米国出身にしてアルバニア人の血を引く女性モデル―エミナ・ツンムライ(Emina Cunmulaj)〔1984年9月12日生〕

バッジェリー・ミシュカのコレクションの舞台裏にてエミナ・ツンムライ ―2007年度春季
バッジェリー・ミシュカのコレクションの舞台裏にてエミナ・ツンムライ ―2007年度春季

アメリカ合衆国の内陸に位置して雄大なる五大湖の水面を~そのまた向こうにカナダとの国境を望むミシガン州。

そのいずこかにあってアルバニア人の両親の間にその生を享けたエミナは、それから4年後の1988年―4歳のときにこの国を後にし、大西洋を渡ってヨーロッパへ・・・当時ユーゴスラビアという社会主義国としてあった時代のモンテネグロに移り住むことになった。

間もなく激動の時を迎えようとしていたその地―バルカン半島。やがて訪れた戦乱の時代にあって、果てしないほどの混乱のなかで幼少を送り学業を済ませたエミナにとっての大きな転機は、ちょうど新たな世紀を迎えて程なくという頃に訪れた。

2001年―エリート・モデル・マネジメントという、名においても実においても世界最大と謳われるモデル事務所の主催による、次代のモデルを発掘するという趣旨の『エリート・モデル・ルック』という大会のユーゴスラビア場所に参戦することになったのである。

・・・結果的には優勝とまでは至らなかったものの、これをきっかけとしてモデルとしての発掘を受けたエミナは、その学業を終えると同時に、従来より夢見続けていたその生誕の母国―アメリカ合衆国への帰還を実現することになった。エミナ・ツンムライ―時に17歳であった。

フセイン・チャラヤンのコレクションにてランウェイをゆくエミナ ―2008年度秋季
フセイン・チャラヤンのコレクションにてランウェイをゆくエミナ ―2008年度秋季

そうしてエリート・モデル・マネジメントとの契約を済ませたエミナがそのモデルとしての経歴を本格的に始動したのは、それからおおよそ3年のときを経た2003年のことであった。エトロ・・・そしてジャスト・カヴァリという、それぞれ名を持つファッションブランドの広告塔を経験したこの年の2月に、フランスの『ファッションの都』―パリへと赴いたうえで、ドリス・ヴァン・ノッテン、ヴィクター&ロルフ、そしてイヴ・サン・ローランのショーに出場。自身発となるコレクション―ランウェイの仕事であった。

その翌2005年には、パトリック・デマルシェリエというフランス出身の名高い写真家の撮影を受けてヴォーグ誌イギリス版に姿を見せ、更にはマリ・クレール誌のイタリア版の表紙を修飾。

年を越して2006年を迎えると、スティーヴン・マイゼルというあまりに著名な写真家の被写体となったうえで、その写真を携えドルチェ&ガッバーナというイタリア発の名ブランドの広告の仕事を請負。

ルーマニア出身のディアナ・ドンドー(右)とともにエミナ~2006年度秋季のマルニのコレクションの舞台裏にて。
ルーマニア出身のディアナ・ドンドー(右)とともにエミナ~2006年度秋季のマルニのコレクションの舞台裏にて。

同じくイタリア発のパトリツィア・ペペというブランドの広告塔の仕事を請けた秋季を過ぎると、アルベルタ・フェレッティ、ドルチェ&ガッバーナ、マルニ、エルメス、ステラ・マッカートニー、・・・パリとイタリアのミラノを舞台にこうした錚々たる名ブランド群のショーを飾っていった。

ヴォーグ誌メキシコ版の表紙を飾りもした2007年には、ボッテガ・ヴェネタとジャン・ポール・ゴルチエでの仕事を経験。年も後半に至ると再びミラノに赴き、ボッテガ・ヴェネタ、ジャンフランコ・フェレ、ジョルジオ・アルマーニなどのコレクションにて仕事を重ねていった。

そのデビューの年度からというもの、ほぼ毎年毎季にわたって実に膨大な数のコレクションに出場してきたエミナは、2008年度の開幕とともに、その勢いにもいささかばかりか落ち着きを見せるようになった。

オスカー・デ・ラ・レンタのショーの舞台裏にて~カナダ出身のココ・ロシャ(左)とルーマニア出身のイリナ・ラザレアヌ(右)とともにエミナ 2007年度秋季
オスカー・デ・ラ・レンタのショーの舞台裏にて~カナダ出身のココ・ロシャ(左)とルーマニア出身のイリナ・ラザレアヌ(右)とともにエミナ 2007年度秋季

その経歴のうえで飾ってきたコレクション―歩いてきたランウェイの数々は、アルベルタ・フェレッティ、ブラック、ドリス・ヴァン・ノッテン、エトロ、レラ・ローズ、モスキーノ、ピーター・ソム、ステラ・マッカートニー、ヴィクター&ロルフ、ヴィヴィアン・タム、イヴ・サン・ローラン・リヴ・ゴーシュ、アマヤ・アルズアーガ、アズ・フォー、アツロウ・タヤマ、シャネル、クリスチャン・ディオール、シンシア・ローリー、デレク・ラム、ドルチェ&ガッバーナ、エマニュエル・ウンガロ、フェンディ、ガエタノ・ナヴァッラ、グッチ、エルメス、フセイン・チャラヤン、ジャン・ポール・ゴルチエ、ジル・スチュアート、ジョン・ガリアーノ、ラガーフェルド・ギャラリー、ランヴァン、リリー・ピュリッツァー、ロイド・クライン、ミッソーニ、ニコール・ミラー、パコ・ラバンヌ、ポリーニ、リーム・アクラ、ロシャス、サリ・ゲロン、サス&バイド、トレーシー・リース、クリスチャン・ラクロワ、エリー・サーブ、ヴァレンティノ、アリス・ロイ、アンドリュー・ゲン、アンジェロ・マラーニ、アン・ドゥムルメステール、ビーシービージー・マックス・アズリア、バレンシアガ、ブーディカ、カルロス・ミーレ、キャサリン・マランドリーノ、クリップス、ダックス、ディーゼル・スタイルラボ、エミリオ・プッチ、ジル・ロジエ、ジェニファー・ニコルソン、ジョアンナ・マストロヤンニ、カイ・ミラ、ラ・ペルラ、マルニ、マックスマーラ、モニーク・リュイリエー、オスカー・デ・ラ・レンタ、リチャード・テイラー、ロベルト・メニケッティ、ローランド・モーレット、テューラ、ヴンダーキント、ワイ&ケイ、ザルディ、アルマーニ・プリヴェ、アレキサンダー・マックイーン、ボッテガ・ヴェネタ、セリーヌ、チャド・ラルフ・ルッチ、チャイケン、クスト・バルセロナ、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、ジャンバティスタ・ヴァリ、アイスバーグ、ケンゾー、ラコステ、ルイ・ヴィトン、マーク・ジェイコブス、ロベルト・カヴァリ、ソニア・リキエル、スポートマックス、ヴェラ・ウォン、ヴェルサーチ、6267、アレキサンドレ・ヘルコヴィッチ、アン・クライン、ビブロス、キャロリーナ・ヘレラ、シェール・ミッシェル・クラン、ディースクエアード、ガイ・マティオーロ、ジャスミン・ディ・ミロ、ケネス・コール、クリスティーナ・ティ、レオナール、ラブ・セックス・マネー、マーロ、マリエラ・ブラーニ、マイケル・コース、ミス・シックスティ、オークリー、ロッコ・バロッコ、テス&テス、ティビ、ベイビー・ファット、バッジェリー・ミシュカ、コスチューム・ナショナル、イザベル・マラン、ルカ・ルカ、ミス・ビキニ、ポーツ1961、フランチェスコ・スコーニャミリオ、ジュリアナ・テーゾ、ジェイソン・ウー、ジュンコ・シマダ、ロック&リパブリック、トラサルディ、ジャンフランコ・フェレ、ジョルジオ・アルマーニ、ゴテックス、スリーアズフォー、ウィロー、・・・。

茶髪に茶色の瞳。その身長おおよそ1.80m。アナ・ミハジロヴィク、キャロライン・トレンティーニ、ヘザー・マークス、マリナ・ペレス、ミラグロス・シュモール、ライアン・テン・ヘイケン、シャナン・クリック、ソランジュ・ウィルバート、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、エミーナ・チュンムラジなどといった表音/表記を受けることしばしば。

そんなモデル―エミナ・ツンムライは、不遇なる父祖の故国にあって掴んだ成功の先に、いつしか結婚を済ませ妻となり、生誕の国の『ファッション・キャピタル』―ニューヨークに居を定めつつ、今日もどこかの『美』と『装い』の舞台へとその輝きを送り続けている。

資料