ミラナ・ケラー
ロシア出身の女性モデル―ミラナ・ケラー(Милана Келлер - Milana Keller)〔1986年9月3日生〕。
ユーラシアの大地の北方にその遥かなる国土を横たえるロシア。
激変の時代を迎えようとしていたこの国のどこぞかにあって、ミラナ・ボゴレポワ(Милана Боголепова - Milana Bogolepova)という名を持ちその生を享けたミラナは、その経過はここに不詳ながらも、いつしかモデルとしての道を歩み始めることとなった。
西暦2004年―時に17歳。フランスの『モードの都』―パリでルイ・ヴィトンというあまりに名高いファッションブランドの秋季のショーを歩いたミラナは、それをもってめくるめくランウェイの世界へと足を踏み入れた。
さっそくイタリア発のドルチェ・アンド・ガッバーナという名ブランドのカタログに登場し、同じくイタリアの『アミカ』という雑誌に現われ、自身初の雑誌の表紙の仕事を経験。続けて同国の『D』という雑誌の表紙を飾り、『始動』の2005年に幕を下ろした。
大西洋を大きく越えて米国の『ファッション・キャピタル』―ニューヨークへと赴いたうえで、この街の生んだカルヴァン・クラインの秋季のショーを専属として飾ってその幕を開けた2006年。
デイヴィッド・シムズという名写真家の撮影を受けて、イタリア発のベネトン社の仕事を請負。更にはバレンシアガ、シャネル、クリスチャン・ディオール、ジョン・ガリアーノ、ルイ・ヴィトン、・・・こうした錚々たるファッションブランド群の春季のショーをパリにて歩き、ヴォーグ誌の日本版に登場。
やがて2007年になると、さっそくナルシソ・ロドリゲスの秋季のショーをニューヨークに開幕し、同季のオスカー・デ・ラ・レンタのショーをこの街に閉幕。
年も半ばの頃にはついにヴォーグ誌の母国ロシア版への登場を果たし、クレイグ・マクディーンというイギリス人写真家の被写体となったうえでグッチの仕事を請負。イギリスの『10』という雑誌の表紙を飾って年を終えたのであった。
そのキャリアも5年目の時を廻った2008年にあっては、ヴォーグのフランス版に登場~そして同誌のスペイン版の表紙~エル誌イギリス版の表紙・・・と数多の雑誌にその姿を見せ、年も暮れゆく頃にヴォーグ誌スペイン版の表紙を再び飾ることとなった。
その経歴のうちに飾ってきた広告の数々は、ベネトン、ドルチェ・アンド・ガッバーナ、グッチ、マンゴ・ジーンズ、・・・。
飾ってきたコレクション―歩いてきたショーの数々は、ルイ・ヴィトン、AFヴァンデヴォルスト、シャネル、クリップス、ドルチェ・アンド・ガッバーナ、エトロ、ジル・ロジエ、アンダーカバー、ヴェロニク・ルロワ、チヴィディーニ、ディーチェ・カヤック、レオナール、ミュウ・ミュウ、パオラ・フラーニ、ロシャス、トラサルディ、6267、アンドリュー・ゲン、アントニオ・ベラルディ、バレンシアガ、キャシャレル、カルヴァン・クライン、明るめの茶髪に青の瞳。その身長おおよそ1.80m。同郷のタチアナ・ウソヴァを始め、デニサ・デヴォラコヴァ、ジードレ・ドゥカウスケート、キム・ヌールダ、リンジー・エリングソン、ミカエラ・コチアノヴァ、パトリシア・シュミット、ロミーナ・ラナロ、シェイラ・マルケス、・・・こうした同業者らとの交友を持つ。
そんなモデル―ミラナ・ケラーは、世の万人からその名を知られるほどの活躍は未だ見せずも、エリート・モデル・マネジメントやDNAなどの有名なモデル事務所に籍を置きつつ、今日もその『美』をもってどこかの『装い』の肖像を飾り続けている。
資料
- Milana Keller - Model Profile - Fashion on New York Magazine
- Profile of fashion model Milana Keller - ファッション・モデル・ディレクトリ