ヤスミンカ・ムラトヴィッチ

ロシア出身の女性モデル―ヤスミンカ・ムラトヴィッチ(Ясминовна Муратович - Yasminka Muratovich)〔1991年生〕

ヴァレンティノのショーの舞台裏にてヤスミンカ 2008年度秋季
ヴァレンティノのショーの舞台裏にてヤスミンカ 2008年度秋季

ユーラシアの極北の大地にわたってあたかも屋根であるかのごとく巨大なる国土を横たえる大国―ロシア。

ちょうど激変の時代を迎えたこの国のその悠久なる首都―モスクワという大きな都市にその生を享けたヤスミンカは、その経過はここに不詳ながらも、10代のちょうど半ば頃という、うら若き時代にありながらモデルの世界へと足を踏み入れた。

・・・時におおよそ15歳。母国ロシアの『イエス』という雑誌の表紙を飾って2006年を終えると、IMGという、世界各地に展開する名門のモデル事務所との契約を獲得。

それからさっそくフランスの『モードの都』―パリに赴いたうえで、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタというポルトガル発のファッションブランドのクチュールのショーに出場。

・・・かくしてめくるめくランウェイの世界へのデビューを成就することになったヤスミンカは、年も後半にあたり、イタリアの歴史あるミラノの街へと赴いたうえで、プラダ―このあまりに名高いファッションブランドのショーを専属という形で歩く。

ジャンバティスタ・ヴァリのランウェイを歩くヤスミンカ 2008年度春季
ジャンバティスタ・ヴァリのランウェイを歩くヤスミンカ 2008年度春季

続けてジャンバティスタ・ヴァリ、ケンゾー、ソニア・リキエル、・・・こうしたファッションブランドのショーの数々をパリの街にてこなし、自身の『始動』の時代と言えたこの年に幕を下ろしたのであった。

そうして幕を開けた2008年は、どうしたわけか前季にあっては、そのランウェイの仕事をことごとく休み、年の前半にこなした目立つ仕事といえば、カーメン・ペダルというエストニア出身の女性モデルとともに登場した『ベルベット』という雑誌のそれだけであった。

ベルベット誌の頁中にヤスミンカ 2008年2月
ベルベット誌の頁中にヤスミンカ 2008年2月

やがてパリを舞台にヴァレンティノ―この高名なるファッションブランドのクチュールのショーを歩いてランウェイの世界に復帰。

それからほどなくして、『モデルの登龍門』と言えようイタリア版のヴォーグ誌に現われ、そこでもヴァレンティノのクチュールを飾ることとなった。

母国の地元―モスクワにあってシャネルの『パリ=モスクワ』と題されたコレクションに出場~そうしてその本格的なキャリアも3年の時を廻った2009年が幕を開けると、さっそくパリでエリー・サーブとヴァレンティノのクチュールのショーを歩いた。

その経歴のうちに飾ってきたコレクション―歩いてきたショーの数々は、アレナ・アフマドゥーリナ、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタ、シャルル・アナスタス、ジャンバティスタ・ヴァリ、ハイダー・アッカーマン、ヒロミチ・ナカノ、ケンゾー、マリテ+フランソワ・ジルボー、プラダ、ソニア・リキエル、アンダーカヴァー、ステファン・ローラン、ヴァレンティノ、アマンダ・ウェイクリー、アングロマニア・ヴィヴィアン・ウエストウッド、アン・ドゥムルメステール、アントニオ・マラス、アキラーノ・リモンディ、アシュリー・イシャム、ベティ・ジャクソン、ブルーガール、チャップリン、ダニエル・スカット、フランチェスコ・スコーニャミリオ、ジャンフランコ・フェレ、ヒューゴ、アイスバーグ、ジョン・ロシャ、ジョープ!、ジュンコ・シマダ、カイ・クーネ、マーガレット・ハウエル、マウリツィオ・ペコラーロ、ミヒャルスキー、ネイサン・ジェンデン、オジー・クラーク、ピーター・ピロット、シェーラー・ゴンザレス、シンハ=スタニック、ストラネス・ブルー、テンパリー・ロンドン、ヴィヴィアン・ウエストウッド・レッド・レーベル、・・・。

金髪に灰色掛かった青色の瞳。その身長おおよそ1.77m。アラナ・クズネツォワ、アンナ・グシナダリア・ストロコウス、・・・こうした同郷の同業者らを始め、アンジェリカ・コチェヴァ、ジュール・モルドヴェッツ、カミラ・フィリプシコヴァ、・・・こうした同業者らとの交友を持つ。

どうしたわけかしばしばヤスミーナ・ムラトヴィッチ(Ясмина Муратович - Yasmina Muratovich)と―あるいはその表記を変えヤスミーナ・ムラトヴィッチ(Жасмина Муратович - Jasmina Muratovich)と名乗ることがある。

そんなモデル―ヤスミンカ・ムラトヴィッチは、その活動を通して『売れっ子』の候補たることを思わせるほどの勢いを見せることは未だ無きながらも、IMGのパリ~ミラノ~そしてニューヨークという錚々たる『ファッションの都』の事務局らからの世話を受けつつ、今日もこの『美』の世界に静かにその名を留め続けている。

資料