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2007年10月28日 (日) 02:03の版

塔公とうこう/ターゴン)は中華人民共和国の西南部―西でチベット自治区に接する四川省にある町で、住民の多くをチベット族が占めている。この地名は『仏陀が好きな街』という意味であるという[1]

四川省の西部に位置する康定(こうてい)から北西に100km以上離れたところにあり、4000mに及ぼうかという標高の地に広がる草原地帯。丘陵の連なる広大なその一帯を塔公草原といい、チベットの大動脈―川蔵公路に沿って数件ほどの店が連なる小さな塔公の町がその内なるところに佇む。[2]

この町の中心とも言えようものが、その名も塔公寺という、塔公の町に門前町を形作る寺である。チベット仏教のなかでも地位の高い寺であるという塔公寺は、その様実に壮大にして、今にサキャという宗派に属し、7世紀と言われる頃からこの地に歴史を刻んできたのであるという[3][4]。塔公の名はこの寺に由来するのであろうか、あるいはこの名がこの寺の名の由来となったのであろうか。その点はここに定かではない。

今や観光地化されて久しいというこの町には、独特の民族衣装をその身にまとったチベット族の子供たちが日々を営み、訪れた旅の者に写真を撮らせてくれるそうである[5]。つまるところは住民たる子供たちももはや観光客慣れしているということだろうか。あるいは渋々―もしくは照れながらに―撮らせてくれるような状況なのだろうか。

年のうちの夏から秋にかけての時節には、この地に伝えられてきたものという馬の競走の祭が行われ、周辺の数多の地域から多くの人を集めるという。[6]

チベット族の大なる故地たるチベット自治区が、20世紀の半ば頃に始まった中華人民共和国の政策に基づく漢民族の流入により、その色をしだいに薄めているのであろうことからすれば、今に残る貴重な『チベット』であると言える場所であるのかもしれない。

いやそれともここに知られていないだけで、他にもこのようにチベット族が多くを占める場所が残されているのであろうか。あるいはチベット自治区の内にあっても、辺境と呼べるようなところであればそのような場所が残されているのであろうか。

いずれにしても塔公の町は、悲劇に見舞われた民族の面影を色濃くそこにたたえつつ、今も静かに佇んでいる。