アレック・ウェック
アレック・ウェック(Alek Wek)〔1977年4月16日生〕―この女性は、国境を越えて海をまた越えて・・・『装』と『美』の世にあって実に盛大なる活躍を見せ続ける、アフリカの大地はスーダン出身のスーパーモデルである。
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半生
幼少期
西暦1977年―アフリカ―その北方に位置して『スーダン民主共和国』といった時代のスーダン―アレック・ウェックは、その南部に位置するワウという内陸の地にて、そこスーダン南部を営みの地とするディンカという名の部族のもとにその生を享けた。
9人の子のうちの一人という境遇にあったアレックは、この地に幼き生育の時を送って成長を続けるも、時代が1980年代に差し掛かると、この国の北部を根城としたイスラム教徒と、そして南部を根城とした異教徒との間に戦争の火蓋が切って落とされ、やがてのちに『第二次スーダン内戦』と呼ばれることになる大規模な内戦が始まった。
いつしかその父親がこの世を去り―殺されてしまったという―、アレックを含む9人の子供達がその母親のもとに残された。かくして1991年に至り―およおそ14歳のときに、家族とともにイギリスのイングランドに移民するのである。
胎動期
初期の学業をその移住先の地―イングランドで済ませたアレックは、やがてその首都ロンドンに赴きファッションを学んだ。そして1995年―ロンドン南部のとある野外市場にいたときに、この国に本部を置くモデルズ・ワンというモデル事務所の関係者によって見い出され、のちの半生にまで連なるモデルとしての経歴を始動することとなった。
かくしてモデルとしての経歴の始動を迎えたアレックは、さっそくアメリカ合衆国のティナ・ターナーという歌手の『ゴールデンアイ』という楽曲のミュージック・ビデオに登場した。
―アレック、時に18歳であった。
始動期
ニューヨークにその本拠を置くフォード・モデルズというモデル事務所と1996年に契約を交わしたアレックは、この年にジャネット・ジャクソンの『ゴット・ティル・イッツ・ゴーン』という楽曲のミュージック・ビデオに登場。
そして、MTVという大規模ケーブルテレビ局の『モデル・オブ・ザ・イヤー』という企画に、更には『i-D』というイギリスの雑誌のモデル関連の賞にその名を連ねた1997年にあって、その2月にアレキサンダー・マックイーン、シャネル、ジャン・ポール・ゴルチエ、そしてラルフ・ローレンという、名高いファッションブランド群のコレクションを飾った。
・・・アメリカ合衆国のニューヨーク、そしてフランスのパリという、錚々たる『ファッションの都』にて飾ったこのコレクション群こそ、モデル―アレックにとってのランウェイの世界へのデビューの舞台であった。
それからすぐにパリのファッション・ウィークに赴き、シャネル、ドリス・ヴァン・ノッテン、ラガーフェルド、ヴィヴィアン・ウエストウッドなどのブランド群の秋季のコレクションに姿を現し、そのランウェイを歩いた。
上昇期
それからというものほぼ毎年、そして毎季にわたって膨大な数のブランド群のコレクションを歩いていったアレックは、ヴォーグ誌ドイツ版にその姿を現した1999年に至って、『ピープル』という雑誌の選定による『最も美しい50人』という企画にその名を連ねた。
そうして数多の有名ファッション雑誌、そしてファッションショーの舞台にあってその名をしだいに高めていったアレックは、20世紀も幕を下ろし、そのキャリアも8年目を迎えた2005年に至って、亡き父親の誕生の年からその名を取って名付けた『ウェック1933(Wek 1933)』という、自らによるハンドバッグのブランドを立ち上げた。
そしてその翌2006年には、エリン・オコーナーとケイト・モスという、同じくイギリスに育った著名な2名のモデルらと並び、『ブリテンズ・モデル・オブ・ザ・イヤー』という名高い企画にその名を連ねたのであった。
熟成期
そのキャリアもついに10年目を迎えた2007年―アレックは、自らの名を冠した『アレック』という一冊の本を著した。
自叙伝の体裁をとったこの本―『アレック』のうちにあってアレックは、文章をもって自身の幼少期からの激動の旅路の様を、そしてモデルとしてのその半生を赤裸々に綴り上げたのであった。
その経歴のうえで飾ってきたコレクション―ランウェイの数々は、20世紀にあって、・・・、アリー・カペリーノ、アレキサンダー・マックイーン、アントニオ・ベラルディ、バッジェリー・ミシュカ、ベッツィ・ジョンソン、シャネル、クリスチャン・ラクロワ、DKNY、ドリス・ヴァン・ノッテン、ゴースト、ジャン・ポール・ゴルチエ、カール・ラガーフェルド、ローレンス・スティール、マリナ・スパダフォラ、マイケル・コース、ラルフ・ローレン、レッド・オア・デッド、ヴィヴィアン・ウエストウッド、ジバンシー、アレッサンドロ・デラクア、アナ・スイ、コレット・ディニガン、シンシア・ローリー、カステルバジャック、クロエ、ダリル・ケー、ジェニー、グッチ、イッセイ・ミヤケ、ジョン・バートレット、ジャン・コロナ、ジョン・ガリアーノ、ジュリアン・マクドナルド、ジョン・リッチモンド、ケンゾー、マーク・アイゼン、マルセル・マロンジュ、マリテ&フランソワ・ジルボー、パトリック・コックス、リファット・オズベック、リチャード・タイラー、ソニア・リキエル、トッド・オールダム、ヴェロニク・ルロワ、ヴィヴィアン・タム、ティエリー・ミュグレー、イヴ・サン・ローラン、マシュー・ウィリアムソン、フェンディ、マルティーヌ・シットボン、アン・ドゥムルメステール、ボッテガ・ヴェネタ、セリーヌ、クリスチャン・ディオール、クリスティーナ・ペリン、コッパーウィート・ブランデル、エレン・トレーシー、エマニュエル・ウンガロ、エミリオ・プッチ、ジルボー、ヘルムート・ラング、ランヴァン、モスキーノ、NYC 2000、ニナ・リッチ、ロベルト・カヴァリ、ロメオ・ジリ、トミー・ヒルフィガー、ヴァレンティノ、イヴ・サン・ローラン・リヴ・ゴーシュ、ビーシービージー・マックス・アズリア、ボイド、ビブロス、チャイケン、ダナ・キャラン、エクステ、ガイ・マッティオーロ、ジョルジオ・アルマーニ、リバティ、ルエラ・バートリー、ニコール・ミラー、パコ・ラバンヌ、ティミスター、バルマン、・・・。
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そうして時も2008年に移ろい、スティーヴン・マイゼルという名高い写真家による撮影を受けたアレックは、その7月にその写真を携え、ヴォーグ誌イタリア版の『黒人特集』に姿を見せた。
その姿
黒髪に茶色の瞳―常に丸刈りに近い形にまでその髪を剃り上げたうえで、『ダイク』―レズビアンの男役―と呼ばれそうな―そんな雰囲気を見せることしばしばで、その身長おおよそ1.80m。
イマン・アブドゥルマジド、ジェイド・パーフィット、ミシェル・アルヴス、ミミ・ローチ、ナタリア・ヴォディアノヴァ、ターシャ・ティルバーグ、タイソン・ベックフォード、・・・こうした同業者らとの交流を持つ。
そしていつしか名実揃えて『スーパーモデル』と言い表されるようになった―そんなアレック・ウェックは、アメリカ合衆国のニューヨークに居を定めながら、実に多種の慈善事業に自身の財を注ぎ込みつつ、今日も『美』の遥かなる世界と舞台とにその名を馳せ続けている。
資料
- Alek Wek - Model Profile - Fashion on New York Magazine
- Profile of fashion model Alek Wek - ファッション・モデル・ディレクトリ
- Alek Wek - Wikipedia, the free encyclopedia
- Dinka - Wikipedia, the free encyclopedia
カテゴリ: モデル 〔連合王国〕 | アフリカ