イセリン・ステイロ

北欧の西の外れに佇む極北の王国―ノルウェー。イセリン・ステイロ(Iselin Steiro)〔1986年9月15日生〕―この女性は、この地より『世界』へと羽ばたきつつ国境を越えた活躍を見せるトップモデルである。

2006年度秋季~ドリス・ヴァン・ノッテンのショーの舞台裏にてイセリン・ステイロ。
2006年度秋季~ドリス・ヴァン・ノッテンのショーの舞台裏にてイセリン・ステイロ。

目次

経歴

胎動の時代

ヨーロッパのその極北―ノルウェー王国の更に極北に佇むハルスターという町においてその生を享けたイセリンは、そのままこの町に生育の時を送り、のちに連なるモデルとしてのその半生の胎動をごく幼い時期に見ることになった。

ある日―イギリスに赴いたときにモデルとしてのスカウトを受けるも、一度目の『発掘』となったこの機会は母親によって拒絶されてしまった。

ところが世紀末も目の前に迫った1999年のクリスマス―両親とともにイギリスのロンドンで買い物をしていたときに再びとなるスカウトを受け、遂にはそれについての父親からの許しを得たのである。

そうして母国の首都たるオスロのモデル事務所に所属することになった14歳のイセリンであったが、その経歴の本格的な始動を見るのはそれからおおよそ4年の時を経てからのことだった。

始動の時代

2003年―その9月。イタリアのミラノ、そしてアメリカ合衆国のニューヨークという、実に名高い『ファッションの都』に赴いたイセリンは、この街を舞台に、カルヴァン・クライン、ダナ・キャラン、プラダという、あまりに著名なファッションブランド群の春季のショーを飾り、そこに自身初となるランウェイの光を見ることになった。

エトロの2006年度秋季のランウェイをゆくイセリン。
エトロの2006年度秋季のランウェイをゆくイセリン。

その翌年を経て2005年になると、さっそく『D』という雑誌のイタリア版の表紙に姿を現し、フランスのパリに飛んで3月にアレキサンダー・マックイーン、シャネル、ルイ・ヴィトン、ロシャス、イヴ・サン・ローラン、・・・こうしたファッションブランド群の秋季のランウェイを歩いていった。

米国発のニーマン・マーカスという有名百貨店のカタログに登場しもしたこの年には、ジル・スチュアートやロベルト・カヴァリやヒューゴ・ボスの広告を飾ったほか、スティーヴン・クラインという名写真家の被写体となったうえで、大韓民国出身のハイ・パクとロシア出身のヴラダ・ロスリャコヴァという、2名のモデルらとともにイタリア発のドルチェ・アンド・ガッバーナの仕事を請けた。

勃興の時代

グッチ―イタリア発のこのあまりに名高いファッションブランドのその85周年を記念する広告の顔となった2006年には、デイヴィッド・シムズという写真家による撮影を受けて、米国出身のヒラリー・ローダというモデルとともに歴史あるバレンシアガの仕事を請ける。

2007年度春季のグッチのコレクションのその舞台裏にて3名のモデルらに囲まれてイセリン―左から、ブラジル出身のキャロライン・トレンティーニ、カナダ出身のココ・ロシャ、イセリン、デンマーク出身のフレジャ・ベハ。
2007年度春季のグッチのコレクションのその舞台裏にて3名のモデルらに囲まれてイセリン―左から、ブラジル出身のキャロライン・トレンティーニ、カナダ出身のココ・ロシャイセリン、デンマーク出身のフレジャ・ベハ。

米国のハーパース・バザー誌、そしてフランスのヴォーグ誌、・・・著名なる雑誌への立て続けの登場を成していったこの年にあっては、ついにはスティーヴン・マイゼルという名高い写真家の被写体となる機会に恵まれ、その写真を携えヴォーグ誌イタリア版の表紙に輝くことになった。

そんな2006年はモデル―イセリン・ステイロにとってまさに大活躍と言えもする年であった。パリとニューヨークでのお披露目となったシャネルの広告の顔を務め、秋季になるとウクライナ出身のスネジャナ・オノプカとともにグッチの広告に登場。ヴェルサーチのクリスタル・ノワールという香水との契約を結んだうえ、9月になると再びスティーヴン・マイゼルの撮影を受けてヴォーグ誌イタリア版に姿を見せた。

熟成の時代

そのキャリアも4年目を迎える年―2007年に入ると、さっそく3月にエル誌の母国ノルウェー版の表紙に輝き、それからすぐにイタリア発のヴァレンティノから広告塔としての起用を受け、4月になるとヴォーグ誌フランス版で自身のトップレス―上半身裸―を披露。

2005年度秋季のモニーク・リュイリエーのショーの舞台裏にて、ラトビア出身のイングナ・ブターネ(左)とロシア出身のヴァレンティナ・ゼリャヴァ(右)とともにイセリン。
2005年度秋季のモニーク・リュイリエーのショーの舞台裏にて、ラトビア出身のイングナ・ブターネ(左)とロシア出身のヴァレンティナ・ゼリャヴァ(右)とともにイセリン。

イタリア―ミラノ発のブルマリンの広告の仕事を請けたこの年には、更なる将来の道と夢見る建築の勉強のためにとのことでしばしの休みを取った。

その経歴のうえで飾ってきた広告の数々は、アディダス、バレンシアガ、ベネトン、ブルマリン、シャネル、エピソード、グッチ、ジル・スチュアート、ランコム、ロエベ、ミッソーニ、マルベリー、ポール&ジョー、TSE、ヴァレンティノ、ヴェルサーチの香水―『ブライト・クリスタル』、・・・。

2005年度春季~プロエンザ・スクーラーのショーの舞台裏にてロシア出身のポリーナ・ククリナ(左)とともにイセリン。
2005年度春季~プロエンザ・スクーラーのショーの舞台裏にてロシア出身のポリーナ・ククリナ(左)とともにイセリン。

飾ってきたコレクション―歩いてきたランウェイの数々は、カルヴァン・クライン、ダナ・キャラン、ジル・スチュアート、ルエラ、プラダ、ワイズ、アルベルタ・フェレッティ、アレキサンドレ・ヘルコヴィッチ、アンドリュー・ゲン、バレンシアガ、バルバラ・ビュイ、キャシャレル、セリーヌ、シャネル、クロエ、クリスチャン・ディオール、クスト・バルセロナ、デレク・ラム、ドルチェ&ガッバーナ、エクステ、ガエタノ・ナヴァッラ、ヘルムート・ラング、アイスバーグ、ジェイ・メンデル、ジェームズ・コヴィエロ、ジル・サンダー、ジョナサン・サンダース、ラ・ペルラ、ラコステ、レオナール、マルニ、マックスマーラ、ミラ・ショーン、プロエンザ・スクーラー、レベッカ・テイラー、リチャード・チャイ、リック・オウエンス、サクーン、テューラ、VPL、ヴィヴィアン・タム、アレキサンダー・マックイーン、アリス・ロイ、アズ・フォー、ベルスタッフ、ブルマリン、キャサリン・マランドリーノ、ジャンバティスタ・ヴァリ、ジェフリー・チョウ、ケンゾー、ランチェッティ、ロエベ、ルイ・ヴィトン、ラブ・セックス・マネー、マーク・ジェイコブス、マルセル・マロンジュ、ミリー、ミッソーニ、モニーク・リュイリエー、モスキーノ、オークリー、ロシャス、ソニア・リキエル、スポートマックス、ステラ・マッカートニー、ヴェラ・ウォン、ワイ&ケイ、イヴ・サン・ローラン、アレッサンドロ・デラクア、アナ・スイ、ブーディカ、チャイケン、コルソ、エマニュエル・ウンガロ、フェンディ、グッチ、エルメス、ケネス・コール、ラガーフェルド・ギャラリー、マイケル・コース、ニナ・リッチ、パコ・ラバンヌ、ロベルト・カヴァリ、ローランド・モーレット、サルヴァトーレ・フェラガモ、ソフィア・ココサラキ、テレ・エ・バンテン、ヴァレンティノ、ヴィクター&ロルフ、ザルディ、アン=ヴァレリー・アッシュ、エリー・サーブ、バルマン、ベナーズ・サラフプール、ブリオーニ、ビブロス、キャロリーナ・ヘレラ、コスチューム・ナショナル、DKNYドリス・ヴァン・ノッテン、エミリオ・プッチ、エトロ、ジバンシイ、カール・ラガーフェルド、マーロ、マシュー・ウィリアムソン、ヴェルサーチ、ポーツ1961、TSE、・・・。

そうした年もやがては過ぎて2008年に至ると、スロバキア出身のキンガ・ラジャックとデンマーク出身のマティアス・ラウリッセンとともに、かのスティーヴン・マイゼルによる撮影を受けたうえで、イタリア発のミッソーニという歴史あるファッションブランドの広告を飾り、4月になると馴染みのヴォーグ誌フランス版に登場。名実揃えたトップモデルとしての特集を受けたのであった。

その姿

金髪に緑掛かった青色の瞳。その身長おおよそ1.77m。

アナ・ヤゴジンスカ、デヴィ・ドリーゲン、フレジャ・ベハ・エリクセン、ジュリア・ステグナー、レア・ディ・ワヴリン、ルカ・ガジャス、マルゴシア・ベラ、マリナ・ワンズ、マティアス・ラウリッセン、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、ニンジンをこよなく愛する。

そんなモデル―イセリン・ステイロは、その仕事のうちに2年の時を過ごしたニューヨークをいつしか発ち、自身の見据える将来のためにその母国へと舞い戻り、そこで建築の学位の取得のために大学に籍を置いた。

そうしてささやかながらも『美』の世に確かに刻んだその名を携えつつ、今日もどこかの『装い』の華を飾り続けている。

資料