イリナ・ラザレアヌ

遥かなるユーラシアの大地~ヨーロッパの地の東方にあって、古代に発して今に連なる深遠なる歴史とともにある国―ルーマニア。イリナ・ラザレアヌ(Irina Lazareanu)〔1982年6月8日生〕―この女性は、この東欧の国の民の血を引き国際的な活躍を見せるスーパーモデルである。

エリン・フェザーストンのショーの舞台裏にてイリナ・ラザレアヌ 2008年度秋季
エリン・フェザーストンのショーの舞台裏にてイリナ・ラザレアヌ 2008年度秋季

目次

経歴

『胎動』の時代

20世紀も暮れへと向かって移ろいゆく頃―ニコラエ・チャウシェスクという名のひとりの暴君の治世下にあって、ルーマニア社会主義共和国と号した時代のルーマニア。

この国の内の『森の彼方の秘境』―トランシルヴァニアという地にその生を享けたイリナ・ラザレアヌは、この国が間もなく激変の時を迎え見ようとしていた頃~5歳のときに大西洋を大きく越え、その両親とともに北アメリカのカナダへと移住。

そうしてモントリオールという地の郊外に落ち着き、この地で育つこととなったイリナは、それからおおよそ8年後~13歳になったときに、バレエを学ぶためにとのことで再び大西洋を跨ぎ、イギリスの首都―ロンドンへ。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ―王立美術院―という学校に入学した。

この学校に在学していた時期にあたる1997年には、ロンドンのとあるパーティの場にて、ピート・ドハーティという名のミュージシャン志望の少年と出会った。時にイリナ、15歳。3歳ほど年上のこの男は、自身ののちの半生に深く関わることになってゆく。

そして20世紀もいよいよ大詰めを迎えようとしていた1999年~カナダの地元モントリオールに本拠を置くジョヴァンニというモデル事務所と契約。モデル―イリナ・ラザレアヌの萌芽の灯火であった。

『始動』の時代

アン・ヴァレリー・アッシュのランウェイを歩くイリナ 2004年度秋季
アン・ヴァレリー・アッシュのランウェイを歩くイリナ 2004年度秋季

モデル事務所との契約を済ませ、モデルとしての歩みを進める態勢が整いはしたものの、それから目立った活動を見せぬままにしばらくの年月を経る。

そのモデルとしての経歴が本格的な始動の日を見たのは、フランスの『モードの都』―パリで、アン・ヴァレリー・アッシュやシャネルなどといったファッションブランド群のショーを歩いた2004年のことであった。

シャネルの『パリ=モンテ・カルロ』の広告を飾ったイリナ 2007年秋季
シャネルの『パリ=モンテ・カルロ』の広告を飾ったイリナ 2007年秋季

ランウェイの世界への実質的なデビューを成したと言えたこの年にあっては、ちょうど『ザ・リバティーンズ』という音楽バンドを解散しようとしていた頃のかのピート・ドハーティとともに楽曲の制作に携わりもしている。

・・・『美女と野獣(La Belle et la Bete)』と題されたその楽曲は、ピート・ドハーティとその当時の彼女であったケイト・モス―このイギリス出身のあまりに名高い女性モデルとがデュエットを成したものであった。

やがてその本業―モデル業―をそっちのけにして、ピート・ドハーティの率いたベイビーシャンブルズという音楽バンドの世界巡業に同行。

そのまま特に目立った活動も無きままに2005年を迎え、年の暮れ時~かのケイト・モスからの推薦を背後に、フランス版のヴォーグのとある企画に登場した。

『勃興』の時代

そのキャリアが3年の時を廻った2006年という年は、またしてもモデル業とは関係の無い分野の活動で幕を開けた。

ジョン・レノン―このあまりに高名なミュージシャンのその息子にあたるショーン・レノンという男性ミュージシャンとの対面のうえで、『サム・プレイス・アロング・ザ・ウェイ』と題したフォーク音楽のアルバムの制作を始動。

マイケル・コースのショーの舞台裏にて~ベルギー出身のアヌーク・ルペール(左)とともにイリナ 2007年度秋季
マイケル・コースのショーの舞台裏にて~ベルギー出身のアヌーク・ルペール(左)とともにイリナ 2007年度秋季

それから間もなくモデル―イリナ・ラザレアヌの『勃興』のきっかけが訪れる。デイヴィッド・シムズという名写真家の被写体となったうえで、スペイン発のバレンシアガという実に歴史あるファッションブランドの仕事を請負。このブランドのデザイナーであったニコラ・ゲスキエールという人物からの『お気に入り』との指名を受けたのである。

そこから本業を加速させていったイリナは、スティーヴン・マイゼルというあまりに名高い写真家の被写体となったうえで、『モデルの登竜門』と言えようイタリア版のヴォーグの表紙に登場。

中国出身のドゥ・ジュアンという女性モデルと並んでヴォーグ誌イタリア版に再び姿を見せると、かのスティーヴン・マイゼルの撮影を再び受けて、イギリス出身のリリー・ドナルドソンという女性モデルとともに、この国の生んだマルベリーというファッションブランドの仕事を請負。

『高貴なる令嬢』―アンナ・ド・ノアイユ〔1876-1933〕―<確かに似ている!>
『高貴なる令嬢』―アンナ・ド・ノアイユ〔1876-1933〕―<確かに似ている!>

やがてはヴォーグの日本版に登場し、2006年に幕を下ろすと、カール・ラガーフェルドという高名なファッションデザイナー兼写真家の被写体となったうえで、シャネルの『パリ=モンテ・カルロ』というコレクションの仕事を請け負った。

・・・その折には、カール・ラガーフェルドの口から『ココ・シャネルとアンナ・ド・ノアイユの融合』との評を受けもしている。ココ・シャネルはかのファッションブランド―シャネルの創業者。アンナ・ド・ノアイユはイリナと同じルーマニア人―その貴族の血を引く19世紀から20世紀にかけてのフランスの小説家である。

そんなこの年―2007年は、その前半を通して雑誌の仕事を主にこなすこととなった。

カナダ出身のジェシカ・スタムという女性モデルと並んで、米国のハーパース・バザーに登場。それから間もなく、かのショーン・レノン~そしてその母にあたるヨーコ・オノという女性とともに、ルオモ・ヴォーグ―イタリアの男性版ヴォーグ―に登場。

米国のハーパース・バザーと日本版のヴォーグに姿を現し、年も半ばに差し掛かると、かのケイト・モスの推薦によって、イギリス発のトップショップというファッションブランドのコレクションに出場。この時にはケイト・モスから『妹―sister―』と呼ばれるようにもなっていた。

『熟成』の時代

急激に増やしたランウェイの仕事を毎季のようにこなしつつ、ちょうど2007年の半ばにあたってイリナは、イタリア発のロベルト・カヴァリというファッションブランドからの起用を受ける。

ザック・ポーゼンのランウェイを歩くイリナ 2008年度秋季
ザック・ポーゼンのランウェイを歩くイリナ 2008年度秋季

このブランドの女性部門の広告塔に選ばれたイリナの脇には、その男性部門の広告塔に選ばれたかのピート・ドハーティの姿があった。

やがて年も後半を迎え、ついには~ピート・ドハーティ―実に長い付き合いとなったこの重度の薬物中毒者と婚約。

パリを舞台にジョン・ガリアーノというイギリス発のファッションブランドのショーを飾り、そんな年を終えたのであった。

ジョン・ガリアーノのショーの舞台裏にて~イギリス出身のリリー・ドナルドソン(左)とポーランド出身のアンニャ・ルービック(右)とともにイリナ 2007年度春季
ジョン・ガリアーノのショーの舞台裏にて~イギリス出身のリリー・ドナルドソン(左)とポーランド出身のアンニャ・ルービック(右)とともにイリナ 2007年度春季

そのキャリアも5年目の時を廻った2008年にあっては、さっそくハイ・パクという、韓国出身の良き友の女性モデルとともに、米国発のサックス・フィフス・アヴェニューという有名高級百貨店のその広告に登場。

それから年の半ばに掛けて、パリとニューヨークという歴史ある『ファッションの都』を舞台として、Y-3、アン・ヴァレリー・アッシュ、アクリス、シャネル、ジョン・ガリアーノ、ヨージ・ヤマモト、クリスチャン・ディオール、・・・こうした名のあるファッションブランド群のショーを修飾。

・・・続けてフランスのミクステという雑誌の表紙を飾ったうえ、フランス発のソニア・リキエルという名高いファッションブランドの広告で年の秋季を飾った。

その経歴のうちに飾ってきた広告の数々は、アニエ・バイ、アンナ・モリナーリ、バレンシアガ、シャネル、シャネル・パリ=モンテ・カルロ、コーチ、ジョープ!、ジャスト・カヴァリ、メゾン・ミッシェル、マルベリー、ソニア・リキエル、サックス・フィフス・アヴェニュー、SJSJ、ティファニー、トップショップ、・・・。

飾ってきたコレクション―歩いてきたショーの数々は、クレメンツ・リベイロ、ディーチェ・カヤック、エマ・クック、フロストフレンチ、ミチコ・コシノ、ラファエル・ロペス、アン・ヴァレリー・アッシュ、アンチポディウム、ゴースト、ジョン・ロシャ、ピーター・イェンセン、リチャード・ニコル、シャネル、アクリス、アリステア・カー、ベティ・ジャクソン、ボイド、ブルーノ・ピータース、カレン・ウォーカー、ロバート・キャリー=ウィリアムス、アマンダ・ウェイクリー、アシュリー・イシャム、バッソ・アンド・ブルック、イーリー・キシモト、ジュンヤ・ワタナベ、ニナ・ドニス、アダム・ジョーンズ、バレンシアガ、ヨージ・ヤマモト、アレキサンダー・マックイーン、アンナ・モリナーリ、アナ・スイ、
2009年―その3月号の『シュプール』の表紙に覗くイリナ~規格生産のクローンのごとく類似した顔ばかりがひしめくこのモデルの世界にありながら、瞳だけで瞬時に識別の付くその存在は貴重なり。
2009年―その3月号の『シュプール』の表紙に覗くイリナ~規格生産のクローンのごとく類似した顔ばかりがひしめくこのモデルの世界にありながら、瞳だけで瞬時に識別の付くその存在は貴重なり。
BCBGマックス・アズリア、バルマン、バーバリー・プローサム、ビブロス、クリスチャン・ラクロワ、コスチューム・ナショナル、デレク・ラム、エミリオ・プッチ、フェンディ、フランキー・モレロ、ジャイルズ・ディーコン、エルメス、ジャン・ポール・ゴルチエ、ジョン・ガリアーノ、ジャスト・カヴァリ、カール・ラガーフェルド、ケンゾー、ランヴァン、ルイ・ヴィトン、ルエラ・バートリー、マーク・ジェイコブス、マーク・バイ・マーク・ジェイコブス、マルニ、マシュー・ウィリアムソン、マックスマーラ、マイケル・コース、ミス・シックスティ、ミッソーニ、ミュウ・ミュウ、モスキーノ・チープ・アンド・シック、ニナ・リッチ、Phi、プラダ、プリングル・オブ・スコットランド、プロエンザ・スクーラー、リチャード・チャイ、ロダルテ、サルヴァトーレ・フェラガモ、ソニア・リキエル、スポートマックス、サクーン、テューラ、ヴェラ・ウォン、ヴェルサーチ、ヴィクター・アンド・ロルフ、イヴ・サン・ローラン・リヴ・ゴーシュ、ザック・ポーゼン、ジバンシイ、6267、アレッサンドロ・デラクア、アクアスキュータム、ビバ、セリーヌ、クリスチャン・ディオール、クリストファー・ケイン、ドルチェ・アンド・ガッバーナ、ドゥー・リー、ドリス・ヴァン・ノッテンエマニュエル・ウンガロ、エトロ、ファッション・イースト、ガラニ・ストロク、グッチ、フセイン・チャラヤン、ジェイ・メンデル、ジル・スチュアート、ジョナサン・サンダース、ジョヴォヴィッチ・ホーク、ロエベ、マーロ、マックス・アズリア、ミション・シュール、ナルシソ・ロドリゲス、ノワール、ポール・スミス、プリーン、ラルフ・ローレン、ラフィアン、ソフィア・ココサラキ、ヴィヴィアン・タム、アンジェロ・マラーニ、アツロー・タヤマ、DKNY、ハイダー・アッカーマン、リン・デヴォン、オスカー・デ・ラ・レンタ、ピーター・ソム、ポリーニ(リファット・オズベック)、ポーツ1961、ラグ・アンド・ボーン、スー・ステンプ、TSE、スリーアズフォー、ワイ・アンド・ケイ、3.1フィリップ・リム、アン・ドゥムルメステール、デレルクニー、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、ジェレミー・スコット、ジャストスウィート、ニコライ(ニッキー・ヒルトン)、リュ・ドゥ・マイユ、テンパリー・ロンドン、・・・。

ヴォーグ誌日本版から『今月のモデル』としての特集を受けて年に幕を下ろし、27歳を迎える年~2009年が幕を開けると、3月になってさっそく『シュプール(SPUR)』という、自称『日本で一番売れているモード誌』の表紙を飾った。

様相

茶髪に茶色の瞳。その身長おおよそ1.76m。アンジェラ・リンドヴァル、ベッテ・フランケ、ブラッド・クローニグ、ダウル・キム、イーデン・クラーク、フレジャ・ベハ、ハイ・パク、ジャロッド・ブランチ、リリー・ドナルドソン、パトリシア・シュミットターシャ・ティルバーグ、テオドラ・リチャーズ、そしてケイト・モス、・・・こうした同業者らや、リンジー・ローハン、ショーン・レノン、・・・こうしたいわゆるセレブリティの面々らとの交友を持ち、ダンス、作曲、作詩が趣味。

シャネルのショーの舞台裏にて~ショーン・レノン(左)と『トップモデル業界の重鎮』―カール・ラガーフェルド(右)とともにイリナ 2008年度秋季
シャネルのショーの舞台裏にて~ショーン・レノン(左)と『トップモデル業界の重鎮』―カール・ラガーフェルド(右)とともにイリナ 2008年度秋季

モデルとしての活動よりも、いわゆる『ゴシップ』の方面においてその名を知らしめることが多かった―。

その長き恋仲―ピート・ドハーティ(右)と戯れるイリナ~『名のある男の金魚の糞』たる共通点からか、『ヨーコ・オノの一種』―そう言い表す向きも。
その長き恋仲―ピート・ドハーティ(右)と戯れるイリナ~『名のある男の金魚の糞』たる共通点からか、『ヨーコ・オノの一種』―そう言い表す向きも。

そんなイリナは、フランソワ・ロトゲールという、フランス生まれの映画監督と交際していたことがある。モデル業を他方に置いて様々な活動に精を出していた2005年にあっては、おおよそ10歳年上のこの男との縁で、この年に封切られた『パッセンジャー』という映画の制作に関わることとなった。

・・・フランス、カナダ、そして日本という3国で公開されたこの映画は、伊勢谷友介という日本人が主演を務めた作品であった。この男―フランソワ・ロトゲールとの縁はそれからも切れることはなかったようで、2008年10月に至っては、彼の撮影による写真を持ってマリ・クレールのイタリア版に登場している。

ようやくモデルとしての活動の活発化を見た2007年という頃には、アムネスティ・インターナショナルという、いわゆる人権擁護を主眼とした活動で全世界的にその名を馳せる暇人団体のとある慈善事業に参加。

そんなこの年にあっては、かのショーン・レノン、そしてもはや腐れ縁たるピート・ドハーティとともに、ボブ・ディランというあまりに高名な米国の歌手の『ガール・フロム・ザ・ノース・カントリー』という楽曲の制作への関与を発表。

色恋沙汰にあっては、自らが『ピーター』と呼ぶそのピート・ドハーティと通算2回の婚約を交わしたほか、ショーン・レノンと恋仲にあるのではないかとの噂がこの年の半ばの頃に立っている。

・・・そんなモデル―イリナ・ラザレアヌは、モデルというその本業一本における実績のうちに輝かしきものを持つことはなかった―そのような半生にありながらも、どこかふわりふわりと浮ついたような―いわゆる『不思議ちゃん』を思わせもする存在感をまといつつ、今日もどこかの『美』と『装い』の肖像のうちにささやかに在り続けている。

ギャップ~デザイン・エディション~の2008年度春/夏季の広告を7名のモデルらとともに飾ったイリナ―左から、イリナ、ドゥ・ジュアン、リリー・ドナルドソン、ドウツェン・クロエ、シャネル・イマン、ジェシカ・スタム、キャサリン・マクニール、アンニャ・ルービック。
ギャップ~デザイン・エディション~の2008年度春/夏季の広告を7名のモデルらとともに飾ったイリナ―左から、イリナドゥ・ジュアン、リリー・ドナルドソン、ドウツェン・クロエ、シャネル・イマン、ジェシカ・スタム、キャサリン・マクニール、アンニャ・ルービック

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