エマニュエル・ウンガロ

フランス生まれのファッションデザイナー、エマニュエル・ウンガロ(Emanuel Ungaro)〔1933年2月13日生〕―そしてその名をもってその名称としたファッションブランド、エマニュエル・ウンガロ(emanuel ungaro)。

西暦1933年―フランスの南の外れに位置して間近に地中海を見据える地―エクス=アン=プロヴァンスに生まれたエマニュエルは、イタリア南部のフランカヴィッラ・フォンターナという地からやってきたイタリア人の両親を持った。

ベニート・ムッソリーニの台頭によって生まれた当時のイタリアのファシスト政権から逃れるためにイタリアを後にした―そんな両親のもとに育ち、紳士服店を営んでいたその父を見習って、ごく幼い時から裁縫や仕立ての技術を習得し始めた。

そんなエマニュエルは、幼少の時期を過ぎ、22歳になってフランスの『ファッションの都』―パリへと移り、アンドレ・クレージュというデザイナーの推薦を得て、クリストバル・バレンシアガのもとでデザインの仕事を始めた。1958年から1963年まで―そうして6年間の時を送り、やがてクレージュのもとで働き始め、そのもとで1年間を費やし、1965年には初めてとなる自身のコレクションを開き、かくして期待の新人として注目を集める。

西暦2004年にお披露目となったその香水―『アパラシオン』。
西暦2004年にお披露目となったその香水―『アパラシオン』。

そして間もなく―ソニア・ナップというスイスの画家の支援を受けて、ついに自らのメゾンをパリに開くのである。ここにファッションブランド『エマニュエル・ウンガロ』が産声を上げたのだった。

それからおおよそ3年の時を経て1968年には、これまた初となる自身のプレタポルテ(既製服)のコレクションを開き、パリのモンテーニュに2つのブティックを開いた。

―そうして、1973年に紳士服の『ウンガロ・ウオモ』、1983年に香水の『ディーヴァ』、1987年に香水の『センソ』、1991年に香水の『ウンガロ』と『エマニュエル・ウンガロ・フォー・メン』、2004年に香水のアパラシオン、・・・数多のアイテムとコレクションを起こし、その誕生から30年という月日の間に、数多のブティックの創設と数多の事業の展開を通して、着々と世界的な認知を得てゆくのである。

H&Mのセーターの下にそのシャツを携えた女性
H&Mのセーターの下にそのシャツを携えた女性

その名を起こした時からちょうど30年後ほどにあたる1996年にフェラガモによる買収を受け、更に2005年にあっては、あるパキスタンのIT事業界の大物からの買収を受け、その氏の率いるグローバル・アセット・キャピタル・インベストメント・バンクの傘下となった。

2007年も末の頃にエステバン・コータザーというコロンビア出身の新進デザイナーをそのデザイン部門の頭に据え、そうして歴史あるブランドとしてのエマニュエル・ウンガロは今日も―『装』の世にあって光を放ち続けている。

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