オスカー・デ・ラ・レンタ

カリブの暖かな恵み育むドミニカ出身の名高いファッションデザイナー―そしてその名を冠して名称としたニューヨーク発のファッションブランド、それがオスカー・デ・ラ・レンタ(Oscar de la Renta)。

元々の名をオスカー・アリスティーデス・レンタ・フィアロ(Oscar Aristides Renta Fiallo)といったオスカー・デ・ラ・レンタは、西暦1932年の7月22日―ドミニカ共和国の首都サントドミンゴにてその生を享けた。父はプエルトリコ人の保険代理士で、母がドミニカ人であった。

地元サントドミンゴの芸術系の学校で2年間にわたって学んだオスカーは、ちょうど18歳のときに大いなる大西洋を越えてスペインへ、その首都マドリードに移り、サン・フェルナンド芸術アカデミーという学校に入学した。

王立の美術学校たるこの学校で油絵を学んでいたものの、すぐにその関心をファッションの方面へと移し、更にデザインの世界に興味を抱いたことで、やがて当地スペインの名デザイナー―クリストバル・バレンシアガに弟子入りし、そのもとで経験を積んでいった。

かくしてバレンシアガの開いた『エーザ』という店に奉職すること12年。いつしかフランスのファッションの都―パリへと移り、アントニオ・カスティヨという、当時ランバン―パリのジャンヌ・ランバンによるブランド―の意匠を担当していたデザイナーのアシスタントになった。そうして数多の経験を重ねてゆくなか、1963年をもって舞台をそして日々の生活の場をニューヨークへと移すのである。

そのアイテム―香水―『オスカー・リミテッド・エディション』―EDT。ドルチェ&ガッバーナの『ライト・ブルー』とともに。
そのアイテム―香水―『オスカー・リミテッド・エディション』―EDT。ドルチェ&ガッバーナの『ライト・ブルー』とともに。

エリザベス・アーデンという化粧品ブランドのデザイナーになったオスカーは、そのクチュールのコレクションを手掛け、更にクリスチャン・ディオール-ニューヨークのレディ・トゥ・ウェア(既製服)のデザインを担当。

そしてアメリカ合衆国に移ってきてからおおよそ2年後にあたる1965年に独立し、自らの名を冠した『オスカー・デ・ラ・レンタ』というファッションブランドを発起した。

―ここに産声を上げたファッションブランド―オスカー・デ・ラ・レンタは、それからというものニューヨークのコレクションをその主な発表の舞台として、多くの支持者、多くの愛好者を擁しつつ、そして今日に至るまで輝きを放ち続けている。

1971年をもってドミニカ共和国の国籍を放棄し、アメリカ合衆国市民となったオスカーは、アメリカファッションデザイナー協会の会長を1986年から2年間にわたって務め、1993年からそのおおよそ8年後の2001年に至るまでパリの名ブランド―ピエール・バルマンのデザイナーを務めるなどもしている。

クチュール(発注)によるそのアイテムでその身を飾った女性―『ちょっとイキってみた』
クチュール(発注)によるそのアイテムでその身を飾った女性―『ちょっとイキってみた』

そのブランドとともに大いなる名声を手にしたオスカー・デ・ラ・レンタは、その経歴において、国際的なものを含む数多の賞を受け取ってきた。

そのファッションデザイナーとしての経歴を始動させてよりおおよそ50年目の時を迎えた2007年の4月にあっては、『ファッション界におけるドミニカ共和国の地位向上に貢献した』として、故国ドミニカ共和国の議会から感謝状を授与されている。

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