クリスタル・レン

アメリカ合衆国出身のモデル―クリスタル・レン(Crystal Renn)〔1987年6月18日生〕は、太めのモデル―いわゆる『プラスサイズ・モデル』として活動する、同国のプラスサイズの世界で大きな成功を成し得た部類の女性である。

その黒髪さらり~クリスタル・レン
その黒髪さらり~クリスタル・レン

西暦1987年―大いなる海原の揺らぎを見据えるフロリダ州のマイアミの町に生まれた彼女は、口下手で静かな少女としての幼少期を送っていたさなか、2001年―14歳のときにスカウトを受けたことで、のちに繋がるモデルとしての半生を始動することとなった。

2003年にフォード・モデルズというモデリング・エージェンシー(モデル事務所)との契約を交わしたクリスタルは、元来は深刻なほどに細い肉体を持っていたものの、いつしか太り始め、ついにはエージェンシーから『太ももの危機』を警告されるようにまでなった。

そうした状況を受けて、焦ってダイエットに明け暮れるようになった彼女は、レタス、無糖ガム、コーヒー、・・・こうしたものを日々の主食に据え、そうしてしばらくの間を常にクラッシュ・ダイエット下にあって過ごした。・・・仕事を終えて2時間のエクササイズ、そして家に帰って眠りこける―このような感じの毎日で、自らで自身を『痛ましい』と感じるほどに疲弊した状態であったという。

そんなクリスタルにひとつの転機が訪れたのが2004年のことだった。『プラスサイズ・モデルになったほうがよいかもしれない』―そんな提案をマネージャーから受けたのである。

2006年度春季―ジャン・ポール・ゴルチエのあるコレクションのランウェイをゆくクリスタル。
2006年度春季―ジャン・ポール・ゴルチエのあるコレクションのランウェイをゆくクリスタル。

その助言を真摯に受け止めたクリスタルは、それまで長きに渡って続けてきた『不健康』なダイエットを止め、やがてプラスサイズ・モデルとしての道をゆくことを決心。食事もきとんと摂るようになった彼女は、それから1年のうちにしだいに体重を取り戻し始めた。

それは―ひとりの職業人としての成功の追求という点で明らかに正しい選択だった。スティーヴン・マイゼルというあまりに名高い写真家との出会いにも恵まれ、プラスサイズのアイテムを抱える数多の企業―ブランドからの広告の仕事が舞い込むようになったのである。

そうしてついには、『ヴォーグ』という著名なファッション雑誌の、イタリア版、フランス版、ドイツ版、そしてアメリカ合衆国版という、4つの国際版に登場―これはプラスサイズ・モデルとしては初の事態であった。

その経歴のうえで飾ってきた広告の数々は、ドルチェ&ガッバーナ、レーン・ブライアント、リズ・クレイボーン、マンゴ、ノードストローム、サックス・フィフス・アヴェニュー、トリッド、ナイン・ウエスト、・・・。

茶髪に薄茶色の瞳。その身長おおよそ1.75m。ブラッド・クローニグ、シャネル・イマン、ヒラリー・ローダ、リサ・カント、タイラ・バンクス、・・・などといった同業の者らとの交流を持ち、2007年の6月30日―20歳のときに、それまで長いこと付き合ってきた6歳年上の英語教師の男性と結婚。

『プラスサイズであることを誇りに思ってる』―そう語る彼女は、次のような発言の数々の引用を受けつつ語られることしばしば。

...
『痩せることなんかより健康のほうが遥かに大切。』
〔Health is far more important that skinniness.〕
『プラスサイズを巨大なものだと思ってる人達は、あたいに会ったときに驚くんだ。あたいがぜんぜん普通なもんだからさ。』
〔People are always surprised when they meet me because they think of plus-size as huge, but actually I represent the average.〕
『ありのままの自分でいようよ、って言いたい。周りが何を考えてるかなんて気にするのはやめようよ、って。』
〔I say be true to yourself, and stop worrying about what the rest of the world thinks.〕
...

中段の発言はごもっとも―『モデル』を基準にした場合ならば『太め』の部類にあることは確か―しかしながら、アメリカ合衆国の一般的な女性―特に彼女と同じ『白人女性』―を基準にした場合においてならば、ほぼ同い年で同じくプラスサイズのホイットニー・トンプソンと同様に、全くもって『普通』である。

下段の発言については・・・これはモデルが言うセリフではないとも考えられるが、いずれにしても―そんなクリスタル・レンは、いつしか母国の『ファッション・キャピタル』―ニューヨークに居を移したうえで、おおよそ2006年からというもの毎年毎にわたってエレナ・ミロのレディ・トゥ・ウェアのランウェイを歩き続け、ひとつの『美』の世界にその光を放ち続けている。

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