ジュディ・マゼル

ジュディ・マゼル(Judy Mazel)〔1943年12月20日〜2007年10月12日〕―20世紀から21世紀までに生涯を送ったこの女性は、ダイエットをそのライフワークとしたアメリカ合衆国の作家で、ビバリーヒルズ・ダイエット(Beverly Hills Diet)の提唱者として有名であった。1981年に出版した『ザ・ビバリーヒルズ・ダイエット(The Beverly Hills Diet)』がベストセラーになり、このダイエットが国境を越えて大流行。これにて一躍時の人となり、数多の女優や有名人らからの篤い支持を集めた。

マゼル
マゼル

そんなマゼルは、3姉妹のうちの三女としてシカゴのユダヤ人家庭に生まれ、その保守的なアシュケナジー・ユダヤの家庭に育った。幼少の成長を経てからやがてカリフォルニアに移るも、女優になるという夢に挫折。いつしか自らの体重と格闘し始め、ダイエットについての本を書き始めるようになった。そして転機作―『ザ・ビバリーヒルズ・ダイエット』を1981年に発表し、合衆国内でミリオンセラーを記録するのだ。

『ザ・ビバリーヒルズ・ダイエット』の続編―1996年に上梓された『ザ・ニュー・ビバリーヒルズ・ダイエット(The New Beverly Hills Diet)』。
『ザ・ビバリーヒルズ・ダイエット』の続編―1996年に上梓された『ザ・ニュー・ビバリーヒルズ・ダイエット(The New Beverly Hills Diet)』。

ビバリーヒルズ・ダイエット―日本語には『フルーツ・ダイエット』や『パイナップル・ダイエット』などと意訳されることがあるこのダイエットは、極めて大まかに言ってしまえば、炭水化物とタンパク質の食べ合わせの回避を提唱し、更に始め10日間のうちの果物の摂取を禁止するというもの。その名の起源は、かの有名な高級住宅街―やしの木が並び陽光溢れる西海岸の街―カリフォルニアのビバリーヒルズ。食事の制限を骨格とするクラッシュ・ダイエットの類ではなく、あくまで摂取の品目にこだわるダイエット法であったようだ。

この『ザ・ビバリーヒルズ・ダイエット』を著した時点では医学や栄養学についての正式な修養は経ていなかったマゼルであったが、この本が成功を収めてから、カリフォルニアのビバリーヒルズにクリニックを開いた。かくして週に250人前後のダイエッターたちと触れ合う。その半生において180ポンド(≒81.5キログラム)の体重を誇ったことがあったマゼル自身も、このダイエット法を実践することでおおよそ72ポンド(≒32.5キログラム)の体重を失ったという。

そんなマゼルの提唱には批判もあった。時の多くの栄養士たちがマゼルのビバリーヒルズ・ダイエットを攻撃した。批判者達は口を揃えて述べた。『多くのダイエッターたちが減量を成したのは当たり前のことだ。特別の理由などない。ビバリーヒルズ・ダイエットは単なる低カロリー・ダイエットに過ぎないのだから。』

そんな批判をよそに、一種の流行現象となって広まったビバリーヒルズ・ダイエットは、同時にマゼルの名声を高めに高め、数多の支持者を生んだ。小脇にマゼルの本を抱えて登場する時のセレブリティ(有名人)らも多かった。例えば、カリフォルニア州知事の妻であったジャーナリストのマリア・シュライヴァー(Maria Shriver)や、女優のサリー・ケラーマン(Sally Kellerman)、同じく女優のリンダ・グレイ、歌手のエンゲルベルト・フンパーディンク(Engelbert Humperdinck)などなどが著名な支持者であった。

ロサンゼルスの海沿いの町をその生涯の住居に定め、ひとりの敬虔なユダヤ教徒としての日々を送ったマゼルであったが、2007年の10月―末梢動脈閉塞性疾患によりカリフォルニア州サンタモニカの病院で死去。享年63。

時代を飾ったビバリーヒルズ・ダイエットのその名とともに、後世の美の挑戦者たちのうちにささやかながらも―その名を刻み留めている。

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