スティーヴン・マイゼル

アメリカ合衆国出身の写真家、スティーヴン・マイゼル(Steven Meisel)〔1954年生〕―この男は、ファッションの世界にあって最も成功した部類のそれと言われるファッション・カメラマンである。

2008年―その撮影によるディースクエアードの広告写真。
2008年―その撮影によるディースクエアードの広告写真。

西暦1954年―アメリカ合衆国のいずこかにその生を享けたマイゼルは、ごくごく幼い時期からモデルと『美』への執着を現していた。

子供の頃から玩具で遊ぶ代わりに女性の絵を描いていたマイゼルは、そのうちに、のちに深く関わることになる『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』などの雑誌から自身の描く絵の着想を得るようになり、ちょうどグロリア・ギネスやベイブ・ペイリーなどといったいわゆる上流階級の女性達への憧れを持ち、自らの母や妹にあわせてしばしばそうした著名人らを絵の題材にしていた。

そうして10代になって間もない頃には、モデル事務所からモデルらの写真を入手しようとの意図で女友達に電話を掛けさせたり、活動中のモデルらの追っ掛けをするようにまでなっていた。

そのような幼年時代を送ったマイゼルは、やがてニューヨークのマンハッタンにあるハイ・スクール・オブ・アート・アンド・デザインという高校に学び、次に同じくニューヨークにあるパーソンズ・スクール・オブ・デザインという学校に学んだ。

社会人としての自身初の仕事となったのは、ホルストンというファッションデザイナーのもとでのイラストレーターとしての活動だった。この頃の時期にあっては、まさかのちに写真家になれるとは考えもしていなかったという。

マイゼルの撮影によるプラダの写真で躍進のきっかけを得たベルギー出身のモデル―エリーズ・クロンベ。
マイゼルの撮影によるプラダの写真で躍進のきっかけを得たベルギー出身のモデル―エリーズ・クロンベ

イラスレーターとしての仕事を続けるなかで、やがて『ウィメンズ・ウェア・デイリー』という、伝統ある雑誌で仕事をするようになったマイゼルは、ある時にエリート・モデルズというモデリング・エージェンシーに足を運ぶ機会を得た。そしてそこで見つけた2人の娘を連れ出し、街路や自身のアパートにて彼女らの写真を撮影。

・・・それからというもの、ウィメンズ・ウェア・デイリーで仕事をしながら、週末になるとモデルらの写真を撮る―という日々を送るようになった。そしてある時―彼女らのうちの幾人かが、マイゼルに撮られた写真を時の『セブンティーン』という雑誌に持ち込んだことで、それをきっかけとしてこの雑誌の関係者から、うちで仕事をしてみないか―そんな声が掛かる。そこにかくして写真家としての『スティーヴン・マイゼル』の経歴が始動したのであった。

1990年代初頭にマドンナの『Sex』と題した写真集の写真群を撮影したことで特にその名を広く知らしめることになったマイゼルは、数多のファッション雑誌での仕事を重ねるなかで、実に膨大な数のモデルらを見い出し、そしてそれらをスーパーモデルと呼ばれる存在にまで育てていった。

・・・近年にあってはココ・ロシャ、サーシャ・ピヴォヴァロヴァ、スネジャナ・オノプカなどのモデルらに特に熱を注ぎ、時にはブリューワー・ツインズなどといった男性モデルを被写体にすることも。

モデルを自らの空想の中に取り込んだうえで『イメージ』を作り上げる―そう語るスティーヴン・マイゼルは、母国の『ファッション・キャピタル』―ニューヨーク、そしてロサンゼルスに自らのスタジオを置きつつ、今日も数多の『像』の数々を世に送り出し続けている。

その撮影による『ヴォーグ』の表紙を飾る一枚―左から、リリー・ドナルドソン、ヒラリー・ローダ、ドウツェン・クロエ、サーシャ・ピヴォヴァロヴァ、キャロライン・トレンティーニ、ラケル・ジマーマン、ジェシカ・スタム、シャネル・イマン、ココ・ロシャ、アギネス・ディーン。
その撮影による『ヴォーグ』の表紙を飾る一枚―左から、リリー・ドナルドソン、ヒラリー・ローダ、ドウツェン・クロエ、サーシャ・ピヴォヴァロヴァ、キャロライン・トレンティーニ、ラケル・ジマーマン、ジェシカ・スタム、シャネル・イマンココ・ロシャ、アギネス・ディーン。

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