スネジャナ・オノプカ

スネジャナ・オノプカ〔1986年12月15日生〕―スネジャナ(Снєжана)・オノプカ(Онопка)―英語表記ではスネジャナ(Snejana)・オノプカ(Onopka)―しばしばスネジャーナ・オノプカとも―この女性は、国境を越えた活躍を見せるウクライナ出身のモデルである。

2006年度秋季~イヴ・サン・ローランのコレクションの舞台裏にて佇むスネジャナ・オノプカ
2006年度秋季~イヴ・サン・ローランのコレクションの舞台裏にて佇むスネジャナ・オノプカ

目次

経歴

胎動の時代

西暦1986年~ちょうどかの有名なチェルノブイリ原発事故が起こった頃~ソビエト連邦の内にあってウクライナ社会主義共和国と号した時代のウクライナの首都キエフに生まれたスネジャナは、その地元キエフにて外国から来たスカウトに『発見』されたことで、若くしてモデルの世界に足を踏み入れることとなった。

・・・2001年―時におおよそ15歳の時のことであった。

かくして『発掘』の機会に恵まれたスネジャナの、そのモデルとしての活動が国境を越えて本格的に始動したのは―おそらく2006年からであった。

始動の時代

2007年度秋季―エマニュエル・ウンガロのコレクションにてランウェイを歩くスネジャナ。
2007年度秋季―エマニュエル・ウンガロのコレクションにてランウェイを歩くスネジャナ。

まず2005年にスティーヴン・マイゼルというあまりに名高い写真家の被写体となる機会を得て、その写真を携えプラダとドルチェ・アンド・ガッバーナという、ともにイタリア発の高名なるファッションブランドの秋季の広告に登場。

そしてこのスティーヴン・マイゼルに馴染みの深いイタリア版のヴォーグ誌の表紙を飾り、自身初となる著名な雑誌の表紙の仕事を経験する。

そのような年を過ぎて2006年を迎えると、ノルウェー出身のイセリン・ステイロという女性モデルとともにグッチの広告に~更にはラトビア出身のマルタ・ベルツカルナとポーランド出身のアンニャ・ルービックとともにドルチェ・アンド・ガッバーナの広告に登場。

そしてプレタポルテ(既製服)を中心とした数多のファッションショーを舞台に、毎年そして毎季のようにその姿を見せるようになってゆく。

グッチの『オー・デ・パルファムⅡ』―その広告を飾るスネジャナ
グッチの『オー・デ・パルファムⅡ』―その広告を飾るスネジャナ

あわせて『ヌメロ』のフランス版(2006年4月)~母国ウクライナの『i-D』(2006年6月)~『ヴォーグ』のフランス版(2006年9月)~同誌のポルトガル版(2007年10月)~同誌の日本版(2008年1月)~『ヌメロ』の日本版(2008年6月)、・・・などなど数多の著名なファッション雑誌の表紙を飾るようになった。

母国の地元キエフのモデル事務所に所属しつつ、パリのヴィヴァ・モデルズやニューヨークのDNAモデル・マネジメント、イタリアはミラノのホワイ・ノット・モデル・エージェンシーなどといったモデル事務所らからの世話を受けもし、シャネル、グッチ、クリスチャン・ラクロワ、フェンディ、マーク・ジェイコブス、バレンシアガ、・・・こうした名のある錚々たるファッションブランド群のショーにその姿をよく現す―。

そんなモデルとなったスネジャナは、ニューヨークにおける2007年度の秋/冬季ファッションショーでは殊に不在が目立っていた。この年に資生堂の化粧品部門との契約を結んだことで、同時期のこのブランド―資生堂のキャンペーンでの仕事に勤しんでいたからだった。

エマニュエル・ウンガロのコレクションの舞台裏にてベラルーシ出身のマリナ・リンチュク(右)とともにオノプカ ―2007年
エマニュエル・ウンガロのコレクションの舞台裏にてベラルーシ出身のマリナ・リンチュク(右)とともにオノプカ ―2007年

更にこの年―2007年の初め頃にちょっとしたスキャンダルに見舞われもした。というのは、あるロシアのタブロイド誌が、『オノプカのヌード』であるとする数写真をその誌面に掲載したのである。いわゆるセレブリティに関してはよくある類の騒動であった。―ちなみにオノプカはそれを自分であると認めることはなかった。

勃興の時代

その経歴のうえで飾ってきた広告の数々は、カルバン・クライン、クレ・ド・ポー・メイクアップ、ドルチェ・アンド・ガッバーナ、グッチ、 ヒューゴ・ボス、ランバン、ルイ・ヴィトン、マックスマーラ、プラダ、レベッカ、イヴ・サン=ローラン、資生堂、・・・。

飾ってきたコレクション―歩いてきたランウェイの数々は、アナ・スイ、ビル・ブラス、バーバリー、カルヴァン・クライン、クスト・バルセロナ、ドルチェ・アンド・ガッバーナ、グッチ、マーク・ジェイコブス、マックスマーラ、マイケル・コース、ミュウミュウ、パコ・ラバンヌ、プロエンザ・スクーラー、ロベルト・カヴァリ、ヴェラ・ウォン、ヴィクター・アンド・ロルフ、イヴ・サン・ローラン、シャネル、クリスチャン・ラクロワ、アレッサンドロ・デラクア、キャロリーナ・ヘレラ、セリーヌ、クロエ、クリスチャン・ディオール、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、ダナ・キャラン、エマニュエル・ウンガロ、フェンディ、ジバンシー、ジル・サンダー、ジョン・ガリアーノ、カール・ラガーフェルド、ケネス・コール、ランヴァン、ルイ・ヴィトン、マーロ、マルニ、マックス・アズリア、ミッソーニ、ナルシソ・ロドリゲスオスカー・デ・ラ・レンタ、プラダ、ロシャス、ソニア・リキエル、ストラネス、ヴァレンティノ、ヴェルサーチ、ヴィヴィアン・タム、アレキサンダー・マックイーン、バルマン、ベルスタッフ、エトロ、ルエラ・バートリー、ミス・シックスティ、ザック・ポーゼン、アルベルタ・フェレッティ、バレンシアガ、ニナ・リッチ、プリングル・オブ・スコットランド、ガイ・マッティオーロ、プリーン、ロダルテ、トミー・ヒルフィガー、・・・。

そのキャリアの胎動からして7年目を迎える年―2008年にあっては、9月にヴォーグ誌のロシア版に登場。そこで名実揃えたトップモデルとしての特集を受けた。

Cle de Peau BEAUTE 〜 資生堂、クレ・ド・ポー・ボーテ。
Cle de Peau BEAUTE 〜 資生堂、クレ・ド・ポー・ボーテ。

その姿

ブロンドの髪に青色の瞳。その身長おおよそ1.77m。

そんなスネジャナ・オノプカは、今日のランウェイ・モデルらのなかでも最も細い部類の身体を持つことから、しばしば論争の的になり、そうした論争のときに『モデルの痩せ過ぎ』の典型例としてしばしばその名が挙がる。

具体的にはBMI―ボディマス指数―がわずか14.6なのであるという。BMI―ボディマス指数―とは、体重(キログラム)を身長の2乗(メートル)で割った数値のことで、18.5から25までが『標準』、16.5から18.5までが『体重不足』、16.5から下がいわゆる『激痩せ』に該当。このためスネジャナはいくつかのファッションショー―例えばBMIについての最小条件を設けているマドリード(スペイン)のファッション・ウィークから出場を拒否されてもいる。

こうしたことがあってか、あるいはいつ見ても無表情で―そのどこか暗めの雰囲気も手伝ってか、『病的』などと評されることも。確かに広告写真やショーなどといった完全武装のときを除けば、オルガ・シェレールのような近隣国出身の多くのモデルらにも似たあまりに幸の薄そうな―まるでヘロイン中毒者のような顔を見せていることが多い。

(笑った!オノプカが笑った!) ―2007年度秋季~クリスチャン・ラクロワのショーの舞台裏にて。
(笑った!オノプカが笑った!) ―2007年度秋季~クリスチャン・ラクロワのショーの舞台裏にて。

そんなスネジャナ・オノプカは、国際的に活躍するようになってからも故国ウクライナに居住し続け、第二の部屋を合衆国の『ファッションの都』―ニューヨークに置いている。私生活では言語の勉強をしたいと考えているとのことで、それについてその熱い想いを次のように語っている。

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―『言葉を学びたい。多くの言葉を理解したい。かっこいいじゃない。ヨーロッパに行ったときにフランス語が喋れたら。アメリカに行ったときに英語が喋れたら。日本に行ったときに日本語が喋れたら。』
〔I want to study languages. I want to know many languages. It's cool when you come to Europe, you can speak French. When you come to America, you can speak English, and when you come to Japan you can speak Japanese.〕
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