デヴィ・ドリーゲン
オランダ出身の女性モデル―デヴィ・ドリーゲン(Dewi Driegen)〔1982年9月15日生〕。
色めく『飾り窓』の情景と麻薬の嗜みの町として時に名のある町―オランダ王国の歴史ある首都―アムステルダムにその生を享けたデヴィは、オランダ人と往古の植民地人の血筋にあたるインドネシア人との混血という母親を持った。
そのモデルとしての経歴の胎動は、1995年―13歳のときに訪れた。エリート・モデル・マネジメントという、名実ともに世界最大手と謳われるモデル事務所のアムステルダム支部の代理人によって『発掘』を受けたのである。
ところが学業の優先のためにとのことでその誘いを断ったデヴィは、それからおおよそ5年の時を経てようやく―高校を卒業した18歳のときにエリート・モデル・マネジメントとの契約を結んだのであった。
そうして幕を開けたモデルとしての経歴が本格的に始動したのは、それから更に2年後の2002年。フランスの歴史ある『ファッションの都』―パリでヴァレンティノのショーを飾って自身初となるランウェイの舞台を踏んだこの年には、それからすぐにこの町で、アレキサンダー・マックイーン、バレンシアガ、シャネル、ジバンシイ、・・・こうした錚々たるファッションブランド群のコレクションに出場し、年も暮れゆく頃にはヴォーグ誌のロシア版の表紙を飾った。
マリオ・テスティーノというペルー出身の名高い写真家の被写体となったうえでグッチの広告に現われた2003年には、ヴィクトリアズ・シークレットの例年のショーを11月を舞台に歩き、更にはこのファッションブランドのカタログに姿を見せもした。
2004年になると、英国出身のニック・ナイトという写真家の撮影を受けて、イタリア発のピレリ社の発する『ピレリ・カレンダー』という名の、著名な女優やモデルを特集する例年物の冊子に登場。秋季だけでクリスチャン・ディオール、シャネル、エルメス、ランヴァンなどといったファッションブランド群のショーを歩き、ドミニカ発のオスカー・デ・ラ・レンタという名高いファッションブランドの春季の広告を務め、秋季にはフランス発のクロエの広告の仕事を請けた。
数多のコレクションを舞台に―それに特化して仕事を続けてゆくなかで、それからおおよそ2年の時を経て2007年。2月にニューヨークの地でカルメン・マーク・ヴァルヴォのショーを終えると、フランス出身の名写真家―ジル・ベンシモンの被写体となったうえで、その写真を携えエル誌の米国版に登場。11月にはマリ・クレール誌米国版の『モノクロ』をテーマとした号に、8月になるとヴォーグ誌フランス版に登場した。
金髪に緑色の瞳。その身長おおよそ1.78m。ダリア・ウェーボウィ、エリーズ・クロンベ、エリン・ワッソン、ヘザー・マークス、イセリン・ステイロ、ジュリア・ステグナー、マリアカルラ・ボスコーノ、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、乗馬とテニスが趣味。
バレンシアガやグッチの広告塔として特にその名を馳せながらも、ちょうど2006年度という頃からしだいにショーの仕事を減らし、そのキャリアもおおよそ6年目となる2008年に至ってからは、ほとんど引退と言える状況に入った。
そんなモデル―デヴィ・ドリーゲンは、21世紀のごく初頭の『美』の舞台に向け放ったささやかな輝きの跡を携え、そして自らの日々を携え、どこかの町の『装い』の顔を今日の日も飾り続けている。
資料
- Dewi Driegen - Model Profile - Fashion on New York Magazine
- Profile of fashion model dewi driegen - ファッション・モデル・ディレクトリ
- Dewi Driegen - Biography | IMDb

