ナルシソ・ロドリゲス

米国出身の男性ファッションデザイナー―ナルシソ・ロドリゲス(Narciso Rodriguez)〔1961年1月27日生〕、そしてその名を冠してその名称に当てた高級ファッションブランド―ナルシソ・ロドリゲス(narciso rodriguez)。

ニューヨーク・ファッション・ウィークにおける自身の秋/冬季コレクションの場にてナルシソ・ロドリゲス―2007年2月6日。
ニューヨーク・ファッション・ウィークにおける自身の秋/冬季コレクションの場にてナルシソ・ロドリゲス―2007年2月6日。

目次

歴史

胎動期

西暦1961年―アメリカ合衆国の東海岸にあって遥かなる大西洋の水面を見据えるニュージャージー州にてキューバ系移民の両親のもとに生まれたナルシソは、そのニューアークという大都市にあって貧しい地域で育った。

いつしかファッションに関わる道を模索し始めていたナルシソであったが、キューバ人の社会にあっては男が関わるには『女々しい』ものとして『ファッション』の受容性は低いそうで、そのため両親からの理解もあまり得られなかった。

そんな両親はナルシソに対して、医師か弁護士かあるいは歯科医になることを望んでいたという。・・・かようの『マッチョ』な風土のなかで育ったナルシソは、どうしたわけかいつしかゲイ―同性愛者―であることを自認するようになった。

始動期

そうした状況にありながらも、やがて故郷を後にしいつしか大きく北上。この国のファッション・キャピタル―ニューヨークへと移ったうえで、いずこかのデザインの学校に学んだナルシソは、その後・・・アン・クラインという名デザイナーのもとにいたダナ・キャランのアシスタントを務める機会を得たことで、そのデザイナーとしての経歴をついに始動することになった。

やがてカルヴァン・クラインのもとに移り、女性服のデザインを担当しながら経験を積んでいった。1995年にはセイ(TSE)というブランドのデザイン・ディレクターに就任し、ニューヨークにてそのレディ・トゥ・ウェア(既製服)のコレクションを展開。

同時期にはパリのチェルッティのデザイン・ディレクターに任命されもし、友人であったキャロリン・ベセット=ケネディがジョン・フィッツ・ジェラルド・ケネディ・ジュニア(―ジョン・F・ケネディの長男)と結婚する際のウェディングドレスを作り、これによって世界的に注目を集めることになった。

―"narciso rodriguez"
―"narciso rodriguez"

勃興期

かくしてしだいにその名を高めていったナルシソは、時も世紀末を迎えようとしていた1997年―アルベルタ・フェレッティというイタリア初の名ブランドの参与を得て、自身初のコレクションをイタリアのミラノで開いた。

・・・イタリアのミラノに展開したこのコレクションは、これによって『ヴォーグ』をはじめとする複数のファッション雑誌らからの新人賞を受け取るなど、まさに名実揃えたナルシソ・ロドリゲスの勃興のきっかけであった。

それから間もなくスペインのロエベからレディ・トゥ・ウェアのコレクションに際するデザイン・ディレクターに任命されたナルシソは、しばらくの時をこのブランドのもとにあって過ごした。

佇むその香水―『ナルシソ・ロドリゲス・フォー・ハー』。
佇むその香水―『ナルシソ・ロドリゲス・フォー・ハー』。

落着期

時も2002年度に至ってロエベを去ると、母国のニューヨークに舞い戻ったうえで自身のブランドに専念。

ナルシソ・ロドリゲス』が産声を上げた年からちょうど10年目にあたる2007年―その5月に至って、同国のリズ・クレイボーンという服飾企業がその株式の半数を取得。同社とともに新たな会社を設立し、その根幹を務めるデザイナーに就任した。

そんなナルシソ・ロドリゲスは、カウンシル・オブ・ファッション・デザイナーズ・オブ・アメリカ(Council of Fashion Designers of America―『アメリカファッション協議会』)という、国際的に名高いファッションの賞の女性服部門のそれを2度にわたって受けてもいる。これはアメリカ人のデザイナーとしては歴史上初という快挙であった。

『ラテンの色濃いスタイル』―そのような評を得ることしばしばながらのナルシソ・ロドリゲスは、かくして『装い』の世界にその名とその輝きとを放ち続けている。

資料