フォルクスガルテン 〔ウィーン〕

オーストリアの歴史ある都市―ウィーン(Wien)を飾るフォルクスガルテン(Volksgarten)は、その名の通りの『市民の庭園』として市民から親しまれている公共庭園である。

フォルクスガルテンの夏とその脇にのぞくホーフブルク宮殿
フォルクスガルテンの夏とその脇にのぞくホーフブルク宮殿

この庭園の興りは、近世と呼ばれる時代も終ろうとする頃―19世紀の初めの頃にまで遡る。

ちょうどこの地にオーストリア帝国が成立し、やがて長きにわたってこの地を統べた神聖ローマ帝国がその終焉の時を迎えた頃。時の皇帝は神聖ローマ帝国の最後の皇帝でもあったフランツ一世(Franz I.)。その治下にあって、その造園が1819年をもってそこに始まるのである。

ルードヴィヒ・フォン・レミー(Ludwig von Remy)という名の人物の設計のもとで、当時のこの街にあった城のその壁に沿う形で造られていった。その造園が始まって4年の時を経た1823年に完成したこのフォルクスガルテンは、すぐさま街の市民に公開された。この街―ウィーン初の公共公園の誕生である。

王宮を見据えるエリザベート
王宮を見据えるエリザベート

それからしばらくの時を過ぎ、19世紀も半ばに差し掛かる頃に拡張整備が始まる。かつて走っていた城壁も撤去されたのちのことで、その設計は宮廷の造園技師の手によるものだった。それは1857年から1884年までという、実に27年の歳月を費やすものとなった。

更に時代は下って20世紀に入って間もない頃―1905年には、フリードリヒ・オーマン(Friedrich Ohmann)という名の人物の設計による『ユーゲントシュティル』という名の庭園が完成した。

咲き誇る薔薇とテセウス神殿
咲き誇る薔薇とテセウス神殿

誰であっても分け隔てなく無料にて入ることのできるこの庭園―フォルクスガルテンは、かくして今の姿に至り、この街―ウィーンの旧市街のそばに位置して、そこで重厚な雰囲気を漂わせる鉄柵に四方を囲まれている。

ゆき届いた手入れ―実に落ち着き払った上品な面持ちの園内。そこには、人々の待ち合わせの場所として重用されている『テセウス神殿(Theseustempel/ギリシャ―アテネのそれを模したもので、フランツ一世がローマから購入した『ミノタウロスを殺すテセウス』の像の安置のために建設された。)』をはじめ、その数800以上の高級品種を集めた薔薇園、かつては『コルティッシェス(Cortisches)』と呼ばれたカフェであったダンスホール/ディスコ、自然博物館、そして王宮のほうを見つめ続ける往時の皇后―エリザベート(Elisabeth)の像が佇む。

立ち並ぶ木々の向こうには、ともに歴史を見てきたその王宮、市庁舎、ブルク劇場、そして手前にアテナの噴水を携える国会議事堂を見ることができる。

今日も古の帝都―ウィーンの街の人々の憩いの場として親しまれているフォルクスガルテン。かようの優美なる印象とは裏腹に、どうしたわけか夜間の一人歩きは避けたほうが賢明であるという[1]

資料