フランカ・ポテンテ

なによりも『ラン・ローラ・ラン』の主演女優として名のあるドイツ出身の女優―それがフランカ・ポテンテ(Franka Potente)。1995年に役者としての経歴を始めて以来、フランカはそのデビューから13年後にあたる2008年の時点で、ちょうど20作の映画にその名を残している。

フランカ・ポテンテ―その肖像
フランカ・ポテンテ―その肖像

目次

略歴

誕生から役者へ

西暦1974年の7月22日―西ドイツ―ノルトライン・ヴェストファーレン州のミュンスターという町に生まれ、その近くのデュルメンという町で育った。父のディーター・ポテンテ(Dieter Potente)は教師で、母のヒルデガルト(Hildegard)は補助医であった。

1994年にギムナジウムでの修学を終え、ミュンヘンのオットー・ファルケンベルク・シューレ(Otto-Falckenberg-Schule)という演劇学校に入学し、1995年のコメディ映画『ナーハ・フュンフ・イム・ウアヴァルト(Nach Fünf im Urwald)』でアンナという名の主役を張って役者デビュー。本人の言うところでは―公衆トイレで『見い出された』という。

いわく、宵闇のミュンヘンのとある酒場にいたときのことであった。ふと誰かに凝視されていることに気づき、そこを去ろうととりあえずトイレにゆくと、見つめていたその女性も後ろからついてきて、ついには鏡ごしに見つめてきた。そして突然『自分自身を一言で言い表すなら?』と聞いてきた。その女性がいわゆるスカウト―ネジー・ネスラウアー(Nessie Nesslauer)―であったという。―何と答えたかは不明。

しばらくはオットー・ファルケンベルク・シューレに通っていたが、ニューヨークのリー・ストラスバーグ演劇学校で学ぶために、この学校を退学してアメリカ合衆国に渡った。

大いなる成功へ

ヨーロッパに帰ってくると、数多のドイツ/フランス映画や幾つかのテレビドラマで仕事を重ねるようになっていった。

『ローラ・レント(ラン・ローラ・ラン)』にてローラに扮したフランカ。
『ローラ・レント(ラン・ローラ・ラン)』にてローラに扮したフランカ。

そうしたときに、1998年―『ローラ・レント(すなわちラン・ローラ・ラン)』にてローラという名の赤髪の女を妙に脂ぎった様子の顔で演じて主役を張り、かくしてその名を広く知らしめることになった。

数多のドイツ映画への出演を重ねてゆくなかで、2001年にはテッド・デミの監督によるアメリカ映画『ブロウ』でハリウッドの舞台を踏む。

以降というもの休む間もなく毎年のように映画に出演。

2007年には、近代の歴史に名を残した革命家―チェ・ゲバラの生涯を描く二部作となったスティーヴン・ソダーバーグの『ジ・アージェンタイン』と『ゲリラ』に。

2009年にはドイツ語圏と連合王国で公開される『ポープ・ジョアン』に出演することが噂されている。

私生活

苗字はイタリア語/スペイン語/ポルトガル語にて『力強い』という意味で、わずか1/16ながらイタリア人の血を引いている。曾々祖父がシシリア系のイタリア人であったという。

流暢なフランス語と英語と、そしてドイツ語を話すことができ、ヴァイオリンとフルートを嗜む。そんなフランカはその身長おおよそ1.74m。

自身の名を押し上げた『ローラ・レント』の監督でもあるドイツの映画監督―トム・ティクヴァと長きにわたって付き合ってきたが、2002年をもって破局している。

資料