マックス・アズリア

“優れた様式、優れた着こなし”、あるいは、“よき趣味・よき振舞い”―そうした意味を持つ『BCBG』(仏語:ベ・セ・ベ・ジェ | 英語:ビーシービージー)という名のブランドを引っ提げるチュニジア生まれのフランス人ファッションデザイナー―マックス・アズリア(Max Azria)・・・そしてその名を冠して名称に当てたファッションブランド「マックス・アズリア」(Max Azria)。

2007年度秋/冬季~自らの『BCBG・マックス・アズリア』のコレクションにてマックス・アズリア―2007年2月2日。
2007年度秋/冬季~自らの『BCBG・マックス・アズリア』のコレクションにてマックス・アズリア―2007年2月2日。

普段着からデニム、靴、水着、バッグ、小物までを手掛けるこのファッションブランド「マックス・アズリア」は、20世紀、1980年代の米国の地に産声を上げた。

ユダヤ系チュニジア人の血を引いて北アフリカ・チュニジア東部のスファックスという海沿いの町に生を享けたマックス・アズリアは、やがて家族でフランスの“モードの都”ことパリへと移住、この町にあってファッションの世界に足を踏み入れ11年にわたって女性向けアパレルのデザイン業に従事、やがて大西洋を越えて米国へと移住するに至った。

1980年代ごく初頭のことであったこの移住の末に西海岸のカリフォルニアへと落ち着いたマックスは、さっそく“ジェス”(Jess)という名の店をこの町に開いた。1981年のことであった。

その2008年度春季のBCBGのコレクションを飾るベラルーシ出身のモデル―オルガ・シェレール。
その2008年度春季のBCBGのコレクションを飾るベラルーシ出身のモデル―オルガ・シェレール

やがてこの店が成功の時を見ると、1989年に至って、“ボン・シック,ボン・ジャンル”(bon chic, bon genre)の頭文字を合わせた『BCBG』というブランドを興す。自身の長年の夢であったというこの発起の背景には、“ヨーロッパ的洗練”なるものを米国の女性らへ伝えたい―そのような想いがあったという。

その始まりの地となったカリフォルニアを中心として、ネバダ、アリゾナ、ワシントン、・・・と、西海岸とその周辺の地の数々で実に瞬く間に人気を得ていったBCBGは、ついには大陸を大きく東へ―。”ファッションキャピタル”―ニューヨークの街に旗艦店を開き、それより世界的な知名度を得るようになっていった。

“Max Azria” ―踊るそのロゴ
“Max Azria” ―踊るそのロゴ

1990年代も半ばを過ぎると、1996年に至って、BCBGを引っ提げた自身のアイテムの数々をニューヨークのコレクションに出品。ランウェイ界へのデビューとなったこの機会からおおよそ2年後には、パリの『エルベ・レジェ』というクチュールのメゾンを買収。

20世紀も大詰めを迎えようとしていた頃―1998年にあっては、『カウンシル・オブ・ファッション・デザイナーズ・オブ・アメリカ』(アメリカファッション協議会)という、国際的に名高いファッション賞の栄誉を受けた。

そうしてしだいにその名を不動のものと成していったマックス・アズリアは、その経歴も本格的な始動からおおよそ15年目を迎えた2004年という時期にあって、ハリウッドの著名人らを顧客に見据えた『マックス・アズリア・アトリエ』という名のクチュールを始動。

さらにそれからおおよそ2年の時を経て2006年になると、自身を表象したファッションブランド「マックス・アズリア」のもとにあって、「ザ・マックス・アズリア・コレクション」という、BCBGとはまた異色の高級ラインを発表。

そうした変遷のうちに、その発祥の地たる米国はもとより、カナダ、イギリス、フランス、ベルギー、イタリア、スイス、・・・大西洋の彼方に散在する数多の国々に店を開き、さらなる大陸を~海を跨いだ世界各地で知られるようになった「マックス・アズリア」、そしてBCBG。

それらを率いて一線のファッションデザイナーとして活動を続ける禿げ頭の小男―マックス・アズリアは、マックス・アズリア社の最高経営責任者としてその経営をも統括しつつ、“装い”の大いなる世界にその彩を送り続けている。

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