マッケンジー・ハミルトン

カナダ出身の女性モデル―マッケンジー・ハミルトン(Mackenzie Hamilton)〔1989年生〕

アクリスのショーの舞台裏にてほほ笑むマッケンジー 2007年9月
アクリスのショーの舞台裏にてほほ笑むマッケンジー 2007年9月

北アメリカの遥かなる大地のうちの北方にわたり雄大なるその国土を横たえる土地と退屈余りある国―カナダ。

20世紀も暮れへと向かって移ろいゆく時代~その西の外れに広がり太平洋の大いなる海原を望むブリティッシュ・コロンビアという地にあって、一方の親から中国人の血を引くその生を享けたマッケンジーは、その経過はここに不詳ながらも、10代という若き時代にあってモデルの世界に足を踏み入れた。

西暦2005年~時におおよそ16歳。隣国の『ファッション・キャピタル』―ニューヨークに本部を置くDNAという名門のモデル事務所との契約を得たマッケンジーは、さっそくこの年の7月にあたり、太平洋を大きく越え~マリ・クレール誌の日本版の表紙に登場。

ルイザ・ベッカリアのランウェイを歩くマッケンジー 2008年度秋季
ルイザ・ベッカリアのランウェイを歩くマッケンジー 2008年度秋季

・・・自身初の雑誌の表紙の経験であったこの仕事を終えると、それから間もなく今度は同国の『装苑』というファッション雑誌の表紙へ。

やがて2006年を迎えると、イタリアの歴史あるミラノのホワイ・ノットというモデル事務所と契約。そして再び日本へ~資生堂という名高い化粧品ブランドの広告に登場。

更に新たにフランスの『モードの都』―パリのヴィヴァというモデル事務所と契約を交わしたうえで幕開けた2007年にあっては、ヴォーグ誌の遠き片親の祖国―中国の版に登場し、そこで12ページにもわたる特集の機会に恵まれた。

中国版のヴォーグ〔ビューティ〕の表紙を飾ったマッケンジー 2008年4月
中国版のヴォーグ〔ビューティ〕の表紙を飾ったマッケンジー 2008年4月

そして年も後半にあたりついには、中国出身のドゥ・ジュアンを始めとする複数の女性モデルらとともにヴォーグ誌中国版の表紙に輝く。

・・・それから間もなくミラノのファッション・ウィークに姿を現し、ベルスタッフとジャスト・カヴァリという2つのファッションブランドのショーを歩き、かくしてめくるめくランウェイの世界へのデビューを成したのであった。

自身のモデルとしてのささやかな『勃興の時期』と言えもしたこの年には、パリへと赴きアクリス、エリー・サーブ、クリスチャン・ラクロワ、・・・こうしたファッションブランドのショーを歩き、やがては二度目にあたるヴォーグ誌中国版の表紙の仕事を請負。

エリン・フェザーストンのショーの舞台裏にて~ブラジル出身のカロリーナ・パントリアーノ(左)とロシア出身のリョーカ・チャグネレワ(右)とともにマッケンジー 2008年度秋季
エリン・フェザーストンのショーの舞台裏にて~ブラジル出身のカロリーナ・パントリアーノ(左)とロシア出身のリョーカ・チャグネレワ(右)とともにマッケンジー 2008年度秋季

そのキャリアも4年目の時を廻った2008年にあっては、馴染みの中国版ヴォーグ誌への登場を見せたほか、デイヴィッド・シムズという名高い写真家の被写体となったうえで、イタリア発のベネトン社で仕事。

年も後半になると同国の『グラマー』という雑誌に登場し、その姿を披露した。

その経歴のうちに飾ってきた広告の数々は、インディヴィ、資生堂、ヨウイチ・ナガサワ、・・・。

暗めの茶髪に茶色の瞳。その身長おおよそ1.78m。

仕事をともにした中国出身のドゥ・ジュアンを始め、ロシア出身のダリア・ストロコウスとリョーカ・チャグネレワ、ベラルーシ出身のオルガ・シェレール、オーストラリア出身のスカイ・ストラック、・・・こうした同業者らとの交友を持つ。

ウクライナ出身のスネジャナ・オノプカ、オランダ出身のドウツェン・クロエ、そして同郷のジェシカ・スタム、・・・こうした女性モデルらが『お気に入り』で、ひそかに向ける興味の分野は哲学。

とある観察者から『若きラケル・ジマーマン』との評を受けるも、それはどこからどう見ても見事なまでに全くかすっておらず、敢えて似た顔立ちの人物を挙げるならばそれはおそらく女優のナタリー・ポートマン。

・・・というよりはもはや―獣臭さを抜いただけのただのナタリー・ポートマン。

そんなモデル―マッケンジー・ハミルトンは、若き時代にありながら刻み始めたその『美』のキャリアのうちに、『売れっ子』たることを思わすほどの勢いは未だ見せぬながらも、今日もこの世界にあり静かにその名を留め続けている。

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