一乗寺 〔松葉山〕

福岡県都―福岡市のその奥部といえようところに伽藍を据える浄土真宗の一ヶ寺、一乗寺(いちじょうじ)というその小さな寺は、同宗の本願寺派に属し、松葉山との山号を称する。

集落の一角にのぞくその本堂
集落の一角にのぞくその本堂

目次

歴史

第16世住職の話によれば、本寺の歴史が始まったのは、ちょうど安土桃山時代から江戸時代へとうつろいゆく頃。井上与左衛門という者が、遠く京都の油小路六条(あぶらのこうじろくじょう)なる地からこの地にやってきた。教円(または教念)と称したこの人物は、やがてこの地に一ヶ寺を建立。これが慶長年間(西暦1596〜1615年)のことであった。

『筑前国続風土記』の『附録』によれば、貞享5年(西暦1688年)の2月に木仏と寺号を許され、博多の万行寺(まんぎょうじ)に属した。

時も下って昭和の時代になり、その39年(西暦1964年)に本堂が再建される。更に平成9年(西暦1997年)の9月1日から翌平成10年(西暦1998年)の11月30日にかけて、株式会社澄男工業(-すみおこうぎょう)を施工者として、その伽藍全体の大規模な造営工事が行われたようである[1]

古記

  • 『一乗寺 イノウヘ 眞宗西 佛堂二間半四面
松葉山と号す。博多萬行寺に屬せり。貞享五年二月木佛寺號を許さる。』
― 筑前国続風土記附録>早良郡>羽根戸村
  • 『一乗寺
本村に在。真宗西万行寺末なり。教念と云僧是はしめなり。』
― 筑前国続風土記拾遺>早良郡>羽根戸村

伽藍

南に背振(せふり)への道が連なるところ、山々を隔てた西の向こうに前原市(まえばる-)を見据えるところ、そこは福岡市の西のはずれといえようところ、羽根戸(はねど)という町の一角。

『松葉山 一乗寺』―その山号と寺号とを刻む、境内に置かれた岩。
『松葉山 一乗寺』―その山号と寺号とを刻む、境内に置かれた岩。

飯盛山(いいもり-)の麓に広がる平地に佇む羽根戸の集落は、ちょうどこの山と博多湾に注ぐ二級河川・室見川(むろみ-)とに挟まれたところ。この室見川の支流たる日向川、その更に支流に長尾川という小川があり、一乗寺はそのほとりに伽藍を置いている。

小道の傍らから続く階段を上がると、本堂の座する境内に辿り着く。寺号と山号―『松葉山 一乗寺』―の刻まれた岩のほかには、特に目立つ事物は見られない。簡素にまとまった境内である。

余話

開基の人物の名については、『福岡寺院探訪』には『教円』とあり、『筑前国続風土記』の『拾遺』には『教念』とある。前書の著者・今田正昭の聞き損じまたは書き損じであろうか、それとも後書の編纂者・青柳種信のそれであろうか。あるいは各書の取材時における住職の言い損じなのであろうか。

いずれにしても第16世住職の話では、この人物―井上与左衛門―に関係してか、この寺のあたりには井上姓が多いという。

それにしても京都からよくこのようなところにまで来たものである。今ですら福岡市の辺境の地といえようこのようなところに、この井上与左衛門という人は一体なにを想ってやってきたのであろうか。博多の賑わいは肌に合わなかったのであろうか。あるいは南方に連なる脊振の山々に―そのいにしえに栄えた壮大なる山岳仏教の時代の幻影に―浪漫(ろまん)を見い出しでもしていたのであろうか。

今となっては知る者もなし。

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所在

住所は福岡県福岡市西区羽根戸377にて、電話番号は092-811-1044、最寄の電停は地下鉄七隈線橋本駅。

資料