信楽寺 〔獨留山〕

島根県の東の外れに位置し、西に宍道湖(しんじこ)を、東に中海(なかうみ)を―ともに湖たるこれらの水面を抱くように広がる松江市(まつえ-)。その北方に日本海の波の揺らぎを見据えもするこの地にあり、信楽寺(しんぎょうじ)というその一ヶ寺は、山号を獨留山と称し、至心院との院号を称し、浄土宗をその宗旨としつつ、かの湖の溜りへと注ぐ小川のほとりに伽藍を置いている。

寺号の札を掛けるその山門
寺号の札を掛けるその山門

目次

歴史

その大元の興りについては不詳―つまり開山の時期は不明であるという。ただ明らかであるのは、本寺が現所在地の松江に時を刻み始めたのが17世紀(西暦1601~1700年)の前半の頃であったということである。

江戸時代の幕開けその時からしばらくの間にわたって出雲国(いずものくに)のこの地―松江―を治めた大名、それが堀尾氏(ほりお-)。この大名は松江の地に入りくる前は、ちょうど松江の南のほうに位置する広瀬(ひろせ)という地の城に陣取っていた。富田城(とだ-)である。この頃には既に存在していたようで、常栄寺なる禅寺の和尚と本寺の和尚とが法問答を行った、という慶長八年(西暦1603年)の記録があるという。

この富田城が廃されたのが慶長十六年(西暦1611年)。当時の同城の主であった堀尾忠晴(ほりおただはる)がその本拠を松江に移し、新たに松江城を築いたときである。本寺―信楽寺はそのときにともに松江に移ってきたものであったという。この移転を中興開山としており、その折の開基の僧は信誉慧伝。増上寺(ぞうじょうじ)―今の東京都港区にある浄土宗・鎮西派の大本山―の十二世・観智国師(かんちこくし)の弟子にあたる人であった。

寛永年間(西暦1624~1643年)には、当時の松江城の主―すなわち松江藩主であった松平直政(まつだいらなおまさ)の手により、それまで隠岐国(おきのくに)―今の同県内の隠岐島―にあったものという『聖徳太子堂』が本寺に移された。

時も下って昭和の時代に入り、その二十八年(西暦1953年)には、今に至るまで続けられているこの寺の寺報『月影』がその興りのときを見る。昭和四十九年(西暦1974年)には、本寺の檀家の総代であった高木勇を中心として、歌唱をもって信徒の親睦をなそうという旨の組織―『詠唱会』が発足した。

伽藍

松江市の中心を貫流しやがて宍道湖に注ぎゆく天神川(てんじん-)。その南のほとりに置かれた信楽寺の伽藍は、その寺号を刻んだ札を掛けた瓦屋根の山門を据えている。くぐれば左に庫裡を見ながらすぐに本堂へと辿り着く。

墓所の広がるその境内には寛永の頃に移されたものという聖徳太子堂が未だに遺され、これにゆかりの祭が今に至るまで伝えられているという。

そのほか、小島清兵衛(松江藩の漆師)の墓碑や、戦国時代(西暦おおよそ1493~1573年)の武将―滝川一益(たきがわかずます)のものと伝わる墓があるとのことである。

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すぐ北を流れる天神川の向こうに寺町らしきものがある。

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余話

開基の僧・信誉慧伝は『行蓮社信誉慧伝』とも言うようである。この『行蓮社』なる名称が何を意味するのかはここに定かではないが、同じく『行蓮社』なる名で記された僧が遠く九州の地にもいた。念誉行明という、室町時代(西暦1336~1573年)の浄土宗の僧である。

所在

住所は島根県松江市竪町88番地にて、電話番号は0852-21-1589、最寄の電停は松江駅。

資料