千栄寺
福岡県の南部を貫く筑後川(ちくご-)―その大いなる流れを見据える久留米(くるめ)の町。徳光山、千栄寺(せんえいじ)―その曹洞宗(そうとうしゅう)の一ヶ寺は、釈迦如来(しゃかにょらい)をその本尊に据える禅宗の寺で、数多の寺々とともに寺町(てらまち)を織り成している。
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歴史
その歴史の大元は、千光寺(せんこうじ―今の同市内山本町にある曹洞宗の寺。『あじさい寺』として名がある。[1])の8世―縦寅曇逸禅師が、城下出府の折の宿寺として設けた一ヶ寺に始まる。これが田中筑後守忠政の代にあたる慶長15年(西暦1610年)のことで、当初は山号を吉祥山と称していた。
江戸時代(西暦おおよそ1600〜1867年)に入り、この地に有馬氏が入府すると、のちの元和7年(西暦1621年)に現在地に寺地を拝領した。
時も下って昭和34年(西暦1959年)―24世禅哲光明の代に、石橋正二郎(ブリヂストン社初代社長)の寄進をもとに伽藍の改築が行われた。更に昭和57年(西暦1982年)には、一般人のための座禅修業道場としての、石橋幹一郎(ブリヂストン社二代社長)の寄進による座禅堂が落成。石橋徳次郎(アサヒコーポレーション二代社長)によって梵鐘とその鐘楼堂が寄進された。
伽藍
諸宗の寺が軒を連ねる久留米の寺町―この町は一本の通りを軸として右(東)と左(西)に大きく分かたれる。南方を東西に貫く小車道からその通りに入り、真教寺、浄顕寺、西方寺、誓行寺、妙正寺、妙蓮寺、正覚寺、・・・こうした寺々を左右に見ながら、やがて参拝者はその左手に小道を見つけることになる。
その小道は少林寺を通り過ぎて医王寺に到るもので、この小道と通りとが角をつくる地点の南が本寺―千栄寺の伽藍。
東に向けて開かれた三門はレンガのような色合い。かの昭和34年の改築の際に、それまであった山門は永禅寺(同市内草野町吉木)に移築されたという(現存)。
三門を入って突き当たりに座すのが本堂。上部前面に寺号―『千榮禅寺』―を刻んだその本堂は、禅寺の本堂どころかもはや寺の本堂とすら見做し難い―まるでキリスト教の教会のような外観を示すもので、仏教の刹と言うにはどうも違和感のある造りとなっている。
この本堂は、その外装に同じく、内部もまるでキリスト教の教会のような造りとなっており、その様を指して『洋風の禅寺』と表現する人もいる[2]。
境内の左隅に二階建の鐘楼と梵鐘。そのすぐ近くに『慈母観世音菩薩』の像。
向かいに宗旨を同じくする正覚寺の伽藍が位置し、北には遍照院という真言宗の寺が位置し、歴史あるこの寺町をそこに形作っている。
墓碑
- 広津藍渓 [藩校修道館教官] - 庄島の妙泉寺から移されたもので、田代家墓地に合葬されている。
- 淡河正範 [西洋砲術家]
- 真木旋臣夫妻 [真木保臣の父母]
- 石橋正二郎 [ブリヂストンタイヤ社創立者]
- 歴代の寄進が物語るように、本寺―千栄禅寺はこの石橋家の菩提寺でもある。
所在
住所は福岡県久留米市寺町21にて、電話番号は0942-32-1519、最寄の電停は櫛原駅。
資料
- 三門前の立札
- 『久留米の町 寺社めぐり』 P.69 『千栄寺』 - 高山精二
- 『石橋正二郎 (5)』>『千栄禅寺』 - あけぼの商店街