善福寺 〔藤林山〕

福岡県の南部を貫く大河―筑後川(ちくご-)。その大いなる流れを見据える久留米(くるめ)の町の一角にあって、阿弥陀如来(あみだにょらい)をその本尊に据える善福寺(ぜんぷくじ)という浄土宗の一ヶ寺は、山号を藤林山と称し、院号を華岳院と称し、数多の寺々とともにそこに寺町(てらまち)を織り成している。

善福寺 ~ ある晩秋のその三門と本堂
善福寺 ~ ある晩秋のその三門と本堂

目次

歴史

本寺―善福寺のその歴史は、近世の幕開けからほどなくを経た頃。江戸時代の初期にあたる元和7年(西暦1621年)に、良伝西堂という名の僧侶が有馬豊氏(ありまとようじ/初代久留米藩主)から寺地を拝領、ここに開山して始まった。

初代住職となった開基の良伝は、本寺の開山から6年後の寛永4年(西暦1627年)の10月22日に遷化。

時も大きく下って近代―昭和41年(西暦1966年)にその本堂が再建された。現住職は道彦(どうげん)和尚、第28世。

伽藍

久留米の市街に一画を占める寺町は、南北に通る一本の通りを軸として形作られ、それぞれの背景をもとにこの地に生まれた多様な宗旨の寺々が軒を連ねる。

善福寺はこの町の北寄りのところにあって、軸たるその通りの右側に位置、西の方角に向けてその三門を開いている。

境内の納骨堂
境内の納骨堂

三門の右手前には『水子地蔵尊』の石塔。昭和41年に再建された本堂をはじめ、納骨堂、そして三門前の石塔に記されたところの『水子地蔵尊』の堂などが境内に散在。

立像を安置する『水子地蔵尊』の堂
立像を安置する『水子地蔵尊』の堂

寺宝に、赤穂浪士の寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)が背負って廻国したものという木彫の観音像(一般には非公開[1])、そして本寺出身の洋画家―古賀春江(こがはるえ/[2])の作品を有している。

南隣は日蓮宗の妙善寺、北隣は臨済宗の徳雲寺、向かいは真言宗の遍照院。対面から続く細道を入れば、曹洞禅寺の千栄寺から臨済宗の少林寺を経て真言刹の医王寺に到る。

墓碑

  • 古賀春江供養碑(碑銘は画伯・石井柏亭の筆)
  • 宮の陣楠一族

所在

住所は福岡県久留米市寺町68にて、電話番号は0942-32-5615、最寄の電停は櫛原駅。

資料