妙徳寺 〔柳光山〕

筑前福岡城下の歴史を今に伝える福岡市。福岡県都のこの地のまさに中心部たるところにあって、妙徳寺(みょうとくじ)―そう号する浄土真宗のその一ヶ寺は、同宗本願寺派の福岡教区福岡組に属しつつ、民の営みの喧騒のさなかに伽藍を置いている。

夕迫る秋のある日に佇む妙徳寺―その伽藍。
夕迫る秋のある日に佇む妙徳寺―その伽藍。

目次

歴史

この寺―妙徳寺のその歴史は、時代が中世から近世へ~安土桃山時代から太平の江戸時代へと時が移ろいゆく頃にあたる慶長年間(西暦1596年〜1615年)に創建されたことから始まった。

釈禺という者の開基によって生まれたこの寺は、元は現在地よりいささか西方の薬院と呼ばれる場所に位置していたものの、寛永7年(西暦1630年)という頃―そこに警固神社という宮が遷座するに伴って、同地にあった専立寺とともに現在地へと移設。

その薬院にある光専寺という真宗系の寺に属し、『柳光山』との山号を持って在り続けていた近世であったが、いつしか伽藍が火災に見舞われ、それに伴い本堂を再建した。

福岡寺院探訪』という寺誌の編纂期―昭和63年(西暦1988年)の11月〜平成2年(西暦1990年)の5月―でその住職は16世を数えた。

伽藍

筑紫の大地―そして博多と筑前は福岡の町の悠久の歴史の残り香を宿す福岡県都―福岡市。

その『中央区』という区域は、まさに筑前福岡の町の直なる後裔にあたるところに広がり、霊妙なる博多湾のゆらぎを北に見据える。

『寺町通り』―そう呼ばれる車道に面して並ぶ寺々~妙徳寺・・・専立寺・・・建立寺。
『寺町通り』―そう呼ばれる車道に面して並ぶ寺々~妙徳寺・・・専立寺・・・建立寺

この中央区と博多区とを分かつのが、筑紫郡の那珂川町に発する河川―那珂川。『春吉(はるよし)』とそう呼ばれる町は、この川の河口ほど近くの西岸にあり、その東方の対岸に博多の町の遥か悠遠の歴史とともに在り続けてきた住吉神社という名社を見据えている。

この寺―妙徳寺のその伽藍は、この川に架かる『灘の川橋』と『春吉橋』という二橋梁とのちょうど間の地点に位置し、市街化の波に呑まれて久しい春吉の町のさなかにある。

夕の陽光のもとに鎮まる本堂
夕の陽光のもとに鎮まる本堂

街を南北に貫く車道に面して、やや北に向きつつ東の方角に向けて開いた門。『浄土真宗 妙徳寺』―宗旨と寺号とを記した札を置く、山門も無きこの入り口を入ると、境内に入り参拝者はすぐさま大屋根を据える本堂と対面する。

その境内は簡素にして狭く、この本堂のほかには、住職一家の住まいたる庫裏が見られるのみ。寺誌によれば、戸尤という名の幕末の勤皇の志士たる武士の墓があるとのことであるが、目視の可能な境内の表側にその痕跡は無い。

そんな伽藍は寛永の代に連れ立ちここに移動してきた一ヶ寺―専立寺という同宗の寺と隣接している。この専立寺の更に隣は建立寺という同宗の寺の伽藍。古記録によれば、周辺はかつて『寺町』と呼ばれた場所であった。

あたりは行き交う車の轟音・・・そして行き交う人々の足取りのなかで騒々しい。市街化のうちに美観を大きく損ねてきた歴史ある町の一角にあって、伽藍は今日も人々の営みとともに静かに佇んでいる。

古記録

筑前国続風土記附録

妙德寺 テラマチ 眞宗西 佛堂五間四面
柳光山と號す。藥院光專寺に屬す。此寺昔は藥院にありしか、警固神社遷座の時今の地に移されしといふ。開基の初詳ならす。

筑前国続風土記拾遺

妙徳寺
寺町に在。一向宗藥院光専寺の末なり。此寺も始は藥院に在しか専立寺と同時にこゝに移れり。

筑前名所図会

妙德寺
眞宗なり、寺町ニあり

所在

住所は福岡県福岡市中央区渡辺通5丁目7番29号にて、電話番号は092-761-1245、最寄の電停は西鉄福岡駅。

資料