小石川七福神

東京二十三区のほど中央のところに広がる住宅と文京の街―文京区(ぶんきょう-)のその一角にあって、小石川七福神こいしかわしちふくじん)は、平成七年(西暦1995年)の元旦の日より、その数8の霊場をその札所に定める。

『江戸名所記』に『極楽之井』として描かれた、弁財天札所―『極楽水』。
『江戸名所記』に『極楽之井』として描かれた、弁財天札所―『極楽水』。

七福神と謳われながら札所の数が8つであるのは、弁財天のそれが男/女と2つあるからである。各々の札所は、それらの全てが東京地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅と後楽園駅との間の範囲の内のところに位置しており、ゆっくりとした徒歩でも2時間もあれば巡り切ることができるという[1][2]

目次

札所

順は東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から後楽園駅のほうへ―すなわちおおよそ北から南のほうへ。

深光寺(恵比寿神)

商売繁盛と除災招福、そして医薬、酒造、漁業、交通安全、商業の繁栄を司る、七福神に唯一の日本の神―恵比寿(えびす)。深光寺(じんこうじ)は寛永十六年(西暦1639年)に開山した浄土宗の寺で、松林院との院号を、そして清水山との山号を称す。祀る恵比寿は本堂の脇に座った平成六年(西暦1994年)に建造されしという石像。墓地には文京区により文化財の指定を受けたところの、室町の代の伝奇を描いた大作―南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)などをもって後世に広くその名を遺した文士・滝沢馬琴(たきざわばきん)の墓があるという。[3][4][5]所在は東京都文京区小日向4丁目9番5号にて、電話番号は03-3941-7379、最寄の電停は東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅。拓殖大学の敷地を西に、曹洞宗・林泉寺を北に、貞静学園保育専門学校を南に、そして小石川七福神弁財天札所・徳雲寺を東に見据えている。

徳雲寺(弁財天/男)

学問成就と恋愛成就、そして音楽、弁財、美芸文学、智恵、記憶、思索、歓喜、福徳、財産、子孫の繁栄を司る、七福神に唯一の女性の神―弁財天(べんざいてん)・・・のはずながらなぜか男性の弁財天。徳雲寺(とくうんじ)は一翁碩觜なる禅師の手により寛永七年(西暦1630年)に『解脱寺』として開山した臨済宗の寺で、妙峰山と称し、同宗の円覚寺派に属する。祀る弁財天は蛇の胴体に人の顔がついた不思議なもので、女にあたる極楽水の弁財天に対して、男の弁財天であるそうで、芸術、学問、知恵、産業の神として広く拝されているという。[6][7][8]所在は東京都文京区小日向4丁目4番1号にて、最寄の電停は東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅。曹洞宗・傳明寺を南に、線路を隔てて西の向こうに小石川七福神恵比寿神札所・深光寺を見据えている。

極楽水(弁財天/女)

学問成就と恋愛成就、そして音楽、弁財、美芸文学、智恵、記憶、思索、歓喜、福徳、財産、子孫の繁栄を司る、七福神に唯一の女性の神―弁財天(べんざいてん)。元は寿老人札所・宗慶寺の境内にあったものという極楽水(ごくらくみず)は、『極楽の井』とも呼ばれる古井戸の遺構で、名水として史書『江戸名所記』にもその名を遺す。然るに今ではその底に少しの水を湛えるだけであるという。[9]所在は東京都文京区小石川4丁目16番13号にて、最寄の電停は東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅。善仁寺、光円寺、慈照院などの古刹を東に、そして小石川七福神寿老人札所・宗慶寺をわずか北のところに見据えている。

宗慶寺(寿老人)

長寿延命と富貴招福、そして妙薬、開運、厄除、健康、安楽、不老長寿を司る、中国宋代の仙人―時に福禄寿と同体とも云われる神―寿老人(じゅろうじん)。宗慶寺(そうけいじ)は了誉聖冏なる僧の手により応永二十二年(西暦1415年)に開かれた浄土宗の寺で、吉水山との山号を称し、古は伝通院と称した。元和七年(西暦1621年)に当時の大名・松平忠輝(まつだいらただてる)の母―茶阿局(ちゃあのつぼね)の墓所となった本寺は、今に至るまで変わらず伽藍にその墓を置いているという。[10]所在は東京都文京区小石川4丁目15番17号にて、電話番号は03-3811-3398、最寄の電停は東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅。弁財天札所・極楽水をすぐ南に見据えている。

真珠院(布袋尊)

夫婦円満と財宝賊与、そして増長花実、円満完成、平和安穏、家運隆盛、無碍自由を司る、七福神に唯一の実在の人物、中国唐代の僧―布袋尊(ほていそん)。真珠院(しんじゅいん)は信濃国(しなののくに)・松本藩の初代藩主―水野忠清(みずのただきよ)の手により貞享元年(西暦1684年)に開山した浄土宗の寺で、無量山との山号を称し、全忠寺とも称する。寺というにはあまりに風情に欠けた本堂とともに、木造の布袋を伽藍に置いている。[11][12][13]所在は東京都文京区小石川3丁目7番4号にて、電話番号は03-3811-6109、最寄の電停は東京地下鉄後楽園駅または茗荷谷駅。東京学芸大学附属竹早小学校・中学校・高等学校と淑徳学園中学校・高等学校との間のところにあり、法蔵院、見樹院、伝通院などの寺々をその周囲に見据えている。

福聚院(大黒天)

五穀豊穣、子孫愛育、そして飲食、縁組、勤労、経営、治安、科学、農耕、機織の繁栄を司る、遠くインドのヒンドゥー教ではシヴァと呼ばれる神―大黒天(だいこくてん)。福聚院(ふくじゅいん)は安永三年(西暦1774年)に開山した浄土宗の寺で、霊應山との山号を称し、鎮護寺とも称する。幼稚園を併設する寺は数多あれども、この寺は幼稚園の敷地のなかに本堂を据える―あるいは境内そのものが幼稚園の敷地という伽藍。祀る大黒天の座像は鎌倉時代(西暦1180-1190年代~1333年)の作と伝えられるもので、古式にして実に簡潔な姿を示しているという。[14][15]所在は東京都文京区小石川3丁目2番23号にて、電話番号は03-3811-3978、最寄の電停は東京地下鉄後楽園駅。淑徳学園中学校・高等学校から真南のところにあり、見樹院、法蔵院、伝通院、慈眼院、善光寺、光雲寺、西岸寺、そして小石川七福神布袋尊札所・真珠院などの数多の寺々を周囲に見据えている。

源覚寺(毘沙門天)

開運厄除、大願成就、そして財宝福徳、降魔教化、名誉、協力、地位、神通自在を司る、仏教の守護たる四天王の一、戦の神―毘沙門天(びしゃもんてん)。源覚寺(げんかくじ)は伝通院定誉寛なる人の隠居の地として寛永元年(西暦1624年)に開山した浄土宗の寺で、向西院との院号を、そして常光山との山号を称す。鎌倉時代の作と伝わる閻魔(えんま)の木像を寺宝に有し、そこに伝える逸話をして『蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)』の別名を知らしめもするこの寺は、『汎太平洋の鐘』と名付けられた鐘をその境内に置いている。元禄三年(西暦1690年)に鋳られたこの鐘は、近代に入り昭和十二年(西暦1937年)に南洋・彩帆島(サイパン-)の南洋寺(なんようじ)という寺に寄進されるも、第二次世界大戦の終結とともに行方不明となり、やがて昭和四十年(西暦1965年)に遥か太平洋の向こうはアメリカ合衆国のテキサス州で見つかり、それをもって昭和四十九年(西暦1974年)に本寺に返還されたものであるという。祀る毘沙門天は堂に置かれた木造の立像。[16][17][18][19][20]所在は東京都文京区小石川2丁目23番14号にて、電話番号は03-3811-4482、最寄の電停は東京地下鉄後楽園駅。浄土宗・善雄寺をわずか南に見据えている。

東京ドーム(福禄寿)

福(幸福)、禄(俸禄)、寿(長寿)の三徳、招徳人望と俸禄増加、そして家内安全、幸福、秩禄、慶祝、良い配偶者の獲得を司る、道教(どうきょう)に言う南極老人―南極星の化身たる神―福禄寿(ふくろくじゅ)。世に名高い球場―東京ドームの外縁の一角にて、小石川七福神の福禄寿札所は赤の幟(のぼり)とともに佇む。元は小石川後楽園(-こうらくえん)という名の公園のところに祀られていたものというこの福禄寿像は、かの公園が正月には閉ざされてしまうことから、東京ドームの22番ゲートの前の広場という現所在地に再祀されたのであるという。[21]所在は東京都文京区後楽1丁目3番61号にて、電話番号は03-5800-9999、最寄の電停は東京地下鉄後楽園駅。小石川後楽園の広大な敷地を西に見据えている。

余話

朱印―いわゆるスタンプは無料で、無人の札所となる極楽水のそれは代わりに近くの寿老人札所・宗慶寺で押せるという。[22]

資料