建立寺 〔四王山〕

筑紫の悠久の歴史と筑前城下の歴史の残り香を今に伝える福岡県都・福岡市。この地のまさに中心部たるところにあって、『建立寺』(こんりゅうじ)―そう号する浄土真宗のこの寺は、同宗本願寺派の福岡教区福岡組に属し、“四王山”との山号を称しつつ、「春吉」(はるよし)という歴史ある町に伽藍を置いている。

秋のある日の夕迫る刻に佇む建立寺―その山門
秋のある日の夕迫る刻に佇む建立寺―その山門

目次

歴史

この寺―建立寺の起源については、『福岡寺院探訪』などの寺誌類や『筑前三大地誌』と呼ばれる古記録群にも明確でない。寺の有した古い記録は火災で失われてしまったという。

確かであるのは、この寺が遅くとも近世・江戸時代初期にあたる寛永の頃(西暦1624年〜1643年)には存在していたということである。

というのは、この寺は元は御笠郡の「瓦田」(かわらだ)という村〔のちの同県大野城市瓦田の内〕にあり、「四王寺」という天台宗の古刹の末寺として在ったが、寛永の頃に宗旨を真宗へ改めたうえで、那珂郡の春吉村―その内なる現在地―へと移った・・・という旨の記録があるからである。 隣の専立寺妙徳寺とがこの地に移されたのもちょうど同じ頃であった。

かくしてこの地に現われた建立寺は、近世には春吉からいささか西のところの薬院にある「光専寺」という真宗系の寺に属した。

時代が近代に移ろい、第12世住職〔崇讓〕の代にあたる大正4年(西暦1915年)の8月に本堂を新築。『福岡寺院探訪』の編纂期〔昭和63年(西暦1988年)の11月〜平成2年(西暦1990年)の5月〕でその住職は15世を数えた。

伽藍

福岡県都・福岡市。その南に接して町域を広げる那珂川町に源流を秘める二級河川「那珂川」。やがては博多湾の霊妙なる溜まりに注ぎ込んでゆくこの流れは、その河口ほど近くで東西に歴史ある博多と福岡の町の後裔たる市街を望む。

“寺町通り”と呼ばれる通りに面して並ぶ寺々~建立寺・・・専立寺・・・妙徳寺
“寺町通り”と呼ばれる通りに面して並ぶ寺々~建立寺・・・専立寺・・・妙徳寺

往古の「那珂郡春吉村」の後裔にあたる“春吉”と呼ばれる一帯は、旧福岡城下の町の一切を包含する中央区の内にあり、途絶えることなくゆらぐ那珂川のせせらぎの西岸に位置する市街。

車の往来止むことなき通り―町を南北に走る車道に面して、建立寺はその入り口を北東の方角に向けて開いている。

「浄土真宗 本願寺派 四王山 建立寺」・・・宗旨と宗派と山号と寺号とを刻む石。これをその手前に置き、「眞宗 建立寺」と書いた木札を柱に掛けた山門。

瓦屋根を携えたこの門をくぐって境内へと足を踏み入れた参拝者は、内に納骨堂があることをも思わせる造りの庫裏〔住職一家の住まい〕らしき建物を右手に見通り過ぎ、やがて大屋根を据えたこの寺―建立寺の本堂と対面する。

夕の寂光のもとに鎮まる本堂
夕の寂光のもとに鎮まる本堂

特に目立った事物も見られないその境内は、同宗の専立寺と隣接し、その向こうにこれまた同宗の妙徳寺の伽藍を見据える。

開発も進むところまで進んで美観なるものを致命的なまでに失ってしまった―そのような市街の一角にあって、今日も伽藍は途絶えることなき民の往来の音を聞きつつ、そこにささやかながらも仏の風情を宿して静かに在り続けている。

古記録

筑前国続風土記附録

建立寺 テラマチ 眞宗西 佛堂五間四間
四王山と號す。藥院光專寺に屬せり。此寺むかしハ御笠郡瓦田村にありて、天台宗四王寺の末寺なりしか、寛永の年眞宗に改め、今の地に移せりと言。瓦田村に今も舊跡あり。

筑前国続風土記拾遺

建立寺
同所に在。一向宗藥院光専寺の末なり。昔は御笠郡瓦田村に在しか寛永の比今の地に移せしといふ。

筑前名所図会

建立寺
眞宗なり 専立寺の西にあり

所在

住所は福岡県福岡市中央区渡辺通5丁目7番24号にて、電話番号は092-761-0959、最寄の電停は西鉄福岡駅。

資料