本光寺 〔禅林山〕

四国三郎(しこくさぶろう)―吉野川(よしの-)のその遥かなる流れが瀬戸内海の霊妙の溜まりに注いでゆこうとするそのときを見据える徳島市。その歴史的な街から見てちょうど川の向こうのところに広がる国府(こくふ)という町の外れにあって、本光寺(ほんこうじ)という寺はその山号を禅林山と称し、室町時代と云われる頃より高野山(こうやさん)―真言宗(しんごん-)の一ヶ寺としてそこに在り続けている。

目次

歴史

寺伝によれば、その歴史は室町時代(西暦1336~1573年)の後期にあたる頃、妙照寺―ほど近くにある四国八十八ヶ所第17番札所・井戸寺(いどじ)―の末寺としてこの地に長福寺という名で創建された永正年間(西暦1504~1520年)に始まった。

江戸時代の中頃にあたる享保年間(西暦1716~1735年)に寺号を本光寺に改称。近代に入り明治(西暦1868~1912年)の中期に火災に見舞われたことで伽藍の全てを失った。

時も下って昭和5年(西暦1930年)にその本堂が再建されるも、その16年後にこの地を襲った南海大地震の災禍を被り半壊、それからおおよそ35年の間を仮補修の伽藍でしのぐことになった。

やがて昭和56年(西暦1981年)の5月に、庫裏(くり)や霊園などをあわせて新たな伽藍が落成し、その翌年にはその落慶法要が行われた。

伽藍

この四国の島の奥地と言えよう内陸の地にその源流を秘める大河―『四国三郎』との異名を知らしめもする吉野川は、その流れを発して東へ東へ・・・やがて海原に注ぎ込もうとするとき、そのほとりに歴史ある旧城下町の影を見る。

これすなわち徳島市―四国四県の内の東方に広がる徳島県、その更に東の外れに佇むこの市は、その東に瀬戸内海の海峡を見据え、その水面の揺らぎの向こうに遠く紀伊の大地の影を見据える。

禅林山―本光寺は、かの大河―吉野川の枝川にあたる鮎喰川(あくい-)のそのほとりにあり、この川がちょうどその本流に合流しようとする地点からほど近く―田園地帯の集落の一角に伽藍を置いている。

国府町(こくふちょう)―南岩延(みなみいわのぶ)―ところは鮎喰川のまさに『川べり』。西の方角に向けて開かれたその境内はささやかなもので、『水掛地蔵』に庫裏に墓地、そして内に本尊―地蔵菩薩―を納める、その屋根に銅を葺いた寄棟(よせむね)という様式の本堂を据える。

寺地の背後には鎮守の森を思わせもする林が佇んでいる。本寺と隣接して鎮座する八幡宮(はちまんぐう)の森たるこの林は、別当寺(べっとう-)―神社の管理寺―としてあったのであろう本寺の往代を想起させる。

すぐ南のほうには四国旅客鉄道徳島線の線路が東西に走っており、その向こうには県の公営住宅・県営住宅国府団地が一画を占めて聳える。

そして―脇のせせらぎに沿って北上したところには―不動(ふどう)の町が広がりその影を落としている。

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所在

住所は徳島県徳島市国府町南岩延641-1にて、電話番号は088-642-0350、最寄の電停は鮎喰駅。

資料