杜鵑

杜 鵑(と けん∨ドゥ ジュアン)〔1982年9月15日生〕―『つつじの花』そして『ホトトギス』という意味の名前を持つこの女性は、国境を越えた活躍を見せる中国出身のモデルである。

笑う杜鵑
笑う杜鵑

西暦1982年~中華人民共和国の『魔都』―上海にてその生を受けた鵑は、そのままこの町で育ったようで、やがて上海の名門と言われる踊りの学校に入学した。

・・・しかしながら、そのうちに身長があまりに伸びすぎたことから、組みの相手の保持に難儀するようになり、いつしかその道を断念することになった。

そんな鵑がひときわ目立って光を浴びることになったのが、『フォード・スーパーモデル』という大会に参戦した1999年のことだった。この大会にて国内東部地域の予選で優勝を飾ったのである。

更にそれからおおよそ4年の歳月を経た2003年―この年に鵑は更に大いなる光を浴びる機会に恵まれ、自身のモデルとしての経歴に飛躍を見ることとなった。・・・『ミス中国』に選ばれたのである。

ジュアン―ボッテガ・ヴェネタをその身にとあるランウェイを。
ジュアン―ボッテガ・ヴェネタをその身にとあるランウェイを。

そして香港を本拠地とする有名ブランド―上海灘(しゃんはいたん)のとある人物に見出され、いつしか本格的にモデルとしての経歴を始動した。

2005年にジェマ・ワードという若きトップモデルとともに『ヴォーグ』のフランス版の表紙を飾り、その翌2006年には、台湾の『ヴォーグ』、アメリカ合衆国―タイム誌の『スタイル・アンド・デザイン』の表紙をココ・ロシャというカナダ出身のモデルとともに飾った。

そしてその年―2006年の春に、ヴァレンティノやゴルチエのコレクションを飾ってランウェイ(ファッションショー)の舞台にデビュー。それからというもの、毎年そして季節を欠かすことなく数多のファッションショーにて著名なブランド群のコレクションを飾っている。

ドルチェ&ガッバーナのコレクションの舞台裏にてベラルーシ出身のマリナ・リンチュクとともにジュアン ―2008年
ドルチェ&ガッバーナのコレクションの舞台裏にてベラルーシ出身のマリナ・リンチュクとともにジュアン ―2008年

その経歴のうちに飾ってきた広告の数々は、ルイ・ヴィトン、ギャップ、ロベルト・カバリ、イヴサンローラン、ジョルジオ・アルマーニ、ベネトン、ダニエル・スワロフスキー、タダシ・ショージ 、・・・、そして恩人―上海灘。コレクションをよく飾るブランドは、シャネル、ヴァレンティノ、ジバンシー、ジャン・ポール・ゴルチエ、オスカー・デ・ラ・レンタ、・・・。

黒髪に黒の瞳。その身長おおよそ180.5cm。同じく中国出身の裴蓓をはじめ、大韓民国出身のハン・ジン、中国人の血を引くマッケンジー・ハミルトン、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、バレエと体操とチェスが趣味。

日本的な価値観から眺めてみれば、いわゆる『大陸顔』―『中学校のクラスに必ず一人は生息するひどく根暗な女子』―特に軽武装(ナチュラルメイク)のときは―いや―わざわざ海を越えた隣国の価値観を持ち出すまでもなく、中国にあっても―深南部勢の台頭とその活躍が目立ってきた21世紀にあっては『あまり推奨されない顔』と見なされうる―そんな顔相。

とある著名なファッション雑誌―『ヴォーグ』と『W』―のオンライン版にあたる『スタイル・コム』というウェブサイトにて、2006年の秋に要注目モデル上位10名のうちの一人に選ばれもした―そんな杜鵑は、2007年に至って、米国タイム誌の表紙を飾ることになった。―これは中国人としては女優の章子怡(チャン・ツィイー)に続いて二人目という快挙であった。

時も21世紀に至って勃興を続ける『魔都』―上海。この町に育まれた女―杜鵑は、数多の国境を越えて、IMGモデルズという名高いモデリング・エージェンシーのパリ、ミラノ、ニューヨークという、錚々たる『装都』の数々に置かれた事務所らからのマネジメントを受けつつ、今日の『美』の世界にその名を轟かせ続けている。

ギャップ~デザイン・エディション~の2008年度春/夏季の広告を7名のモデルらとともに飾った鵑―左から、イリナ・ラザレアヌ、鵑、リリー・ドナルドソン、ドウツェン・クロエ、シャネル・イマン、ジェシカ・スタム、キャサリン・マクニール、アンニャ・ルービック。
ギャップ~デザイン・エディション~の2008年度春/夏季の広告を7名のモデルらとともに飾った鵑―左から、イリナ・ラザレアヌ、リリー・ドナルドソン、ドウツェン・クロエ、シャネル・イマン、ジェシカ・スタム、キャサリン・マクニール、アンニャ・ルービック

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