正覚寺 〔持地山〕

山号を“持地山”と称する『正覚寺』(しょうかくじ)というこの寺は、曹洞宗、釈迦如来をその本尊に拝し、数多の寺々とともに福岡・久留米の「寺町」(てらまち)を形作っている。

冬のある日のその伽藍
冬のある日のその伽藍

目次

歴史

この寺「正覚寺」は、元は三潴郡の「西牟田郷」〔現福岡県筑後市西牟田〕にあって「水引地蔵」を本尊としていた寺で、当地の領主・西牟田家綱の夫人の菩提所でもあった。

ところがその西牟田氏も没落。それにより天正15年(西暦1587年)に今の地に移転。のちに火災で焼失するも、「千光寺」〔現同市内山本町にある曹洞宗の古刹〕の9世・吉収和尚を開基に招聘したうえで、寛永9年(西暦1632年)に再興の時を迎えるのである。今も当地・西牟田の流川区というところに御堂が現存しているという。

以上が寺伝であるが、“俊虎”という名の一向宗(浄土真宗)の僧が元和7年(西暦1621年)に寺地を拝領し、明暦3年(西暦1657年)に有馬忠頼に追放されて無住となり、のちに禅寺(禅宗の寺)として再興された、とそのような一説もある。有馬忠頼とはすなわち久留米藩の代2代藩主であるが、明暦3年といえばこの氏が没した2年後にあたる。

嘉永5年(西暦1852年)の再建であるというその本堂
嘉永5年(西暦1852年)の再建であるというその本堂

近世も終焉迫る頃の嘉永5年(西暦1852年)の4月には、「玉潤」という和尚によって本堂が再建された。有栖川宮家から許可された「十六葉菊」の紋章を鬼瓦や軒瓦などに用いたという。

伽藍

やがては有明海に流れ込み果てる“筑紫次郎”こと筑後川。その大いなる流れを市域の北のほうに湛える久留米は、数多の周囲町村の併合によって幾度も拡大しながらも、その中心と言えようところは、今も往代の歴史の痕跡をそこかしこに留める。

「福岡県久留米市寺町」―今や公式の住所となっているこの町は、その名の通り、様々な宗旨の寺が軒を連ねて密集、それらそれぞれの歩んできた歴史を―その痕跡を今に伝えている。

医王寺少林寺、遍照院、千栄寺誓行寺浄顕寺心光寺宗安寺本泰寺真教寺西方寺妙正寺妙蓮寺妙善寺善福寺徳雲寺、そして持地山・正覚寺。

境内に散在する石仏
境内に散在する石仏

ちょうど同宗の千栄寺と伽藍を向かい合い、日蓮宗の妙善寺と浄土真宗の妙蓮寺とに挟まれたところに佇むその境内は、この寺町の小路に向かって西へとその三門を開いている。左右に石柱を立てたこの三門を入ると、墓石が左手に並び、細い参道はそのまま“三界萬霊”と刻む石仏を前に据え置く山門へと続く。

この山門を入りその参道は、庫裏を右手に、「寂光堂」という、納骨堂らしき建物を左手に見て、やがては本堂に突き当たる。

寺宝

  • 隠元書扁額
  • 有馬頼咸の書簡
  • 山口篤斎の涅槃像図

所在

住所は福岡県久留米市寺町72にて、電話番号は0942-33-4793、最寄の電停は櫛原駅。

資料