正覚寺 〔暁夢院〕

福岡県の内陸にあって筑紫の大地の悠久なるその歴史と筑前の国の歴史とを眺め見てきた糟屋郡の町―志免(しめ)。その山号を十劫山といい、その院号を暁夢院といい、正覚寺(しょうかくじ)―そう寺号を称する浄土宗のこの一ヶ寺は、京都東山の知恩院を大本山に仰ぎつつ、近世の幕開けの頃に発した歴史を伽藍に伝えている。

秋のある日の朝に開かれた正覚寺―その山門
秋のある日の朝に開かれた正覚寺―その山門

目次

歴史

この寺―正覚寺のその歴史は、近世がまさに始まり間もなかった頃―江戸時代の最初期にあたる慶長9年(西暦1604年)にあって、単誉という名の僧の開基によって始まった。

近世中に書き記された『筑前三大地誌』と呼ばれる古書類―すなわち筑前国続風土記とその続編はこの寺のそのごく初期のことについては詳らかに記していないものの、志免町の公式編纂による『志免町誌』がこの寺の起こりの顛末を記している。

この寺の位置する別府という地は、往時にあった別府村という名の一ヶ村の後裔にあたる。いわく、伝えによれば、その別府村の民はかつて、村からいささか南を流れる宇美川の向こう―その山の麓のあたりに居住していた。

そしてそこには農耕や日常生活における不便さがあったことから、慶長9年(西暦1604年)をもって地の民総出で近場に移住した。その移住先がすなわち別府村の地で、信仰心の篤かった村人によって、その移住と同時にこの寺が建立されたのであったという。

その際の開基を単誉太及という者が務め、かくしてこの地に生まれた正覚寺は、それ以来というもの、近所の観音寺という同宗の寺とともに、福岡城下極楽寺町にあった極楽寺に属しつつ、途絶えることなくこの地に在り続けてきた。

伽藍

筑前福岡城下の歴史の名残をその端々に留める福岡県都―福岡市。糟屋郡に属して今にある志免という名の町は、その町域の西のほうでこの市と境を接している。

そんなこの町にあって『別府』(べふ)という名を持つ地は、役場などが立ち並ぶこの町の中央部と言えよう場所から北上―ちょうどかの隣市との境を間近に見据えるところにある。

その境界の向こうは往古に『席田』(むしろだ)と呼ばれた郡の地で、大空より飛んで入りまた飛び立ちゆく鉄の巨大鳥の群れ―数多の飛行機の港たる福岡空港の広大なる敷地の場。

廃駅の歴史を秘める公園の緑の間近に鎮まる伽藍
廃駅の歴史を秘める公園の緑の間近に鎮まる伽藍

この寺―正覚寺は、往古の別府村の後裔にあたるそんな別府の地の一角にあって、住宅のひしめく町のさなかに伽藍を置いている。

かつてこの地を走った勝田線という鉄道の路の跡に生まれた、志免緑道と名付けられた歩行者用の細道。

・・・その道すがらに佇む『上亀山駅跡公園』という名の公園は、その名の通り、往時にそこにあった上亀山駅という電停の跡地。

正覚寺の伽藍はその公園からすぐ北のところに位置している。

南に向かい立ったその本堂
南に向かい立ったその本堂

住宅街の小道に向かって南向きに開かれた門。

その宗派と寺号―『淨土宗 正覺寺』―とを記した板を左右の柱に打ち付けたこの山門を入ると、『白蓮堂』と名付けられた納骨堂らしき建物を左手に~仏堂らしき木造の堂を右手に見て過ぎ、参拝の者はすぐさま大屋根を据える本堂と対面する。

『總本山知恩院吉水講支部』―『浄土宗 正覚寺』―そう記した板を左右の柱に打ち付けたこの本堂は、その前方に『成等院』と記した板を掛けている。

本堂の手前―『白蓮堂』の向かいに置かれた木造の堂。
本堂の手前―『白蓮堂』の向かいに置かれた木造の堂。

・・・古書類や町誌によればこの寺の院号は『暁夢院』であって、この『成等院』の意味するところはここに詳らかではない。~余話ながら、宗派と山号と寺号とを同じくする寺<浄土宗十劫山正覚寺>が遠くみちのくは盛岡の地に存在している~

境内に立つ『白蓮堂』は、これが納骨堂であるとすれば、昭和28年(西暦1953年)に建立されたものである。

その対面にある木造の堂については―『筑前国続風土記附録』の記した『観音堂』がおそらくこれなのであろう。

往古の別府村の民の故地は、この寺の近く南を流れる宇美川に架かる亀山橋という橋梁を渡った向こう岸―亀山工業団地という工場地帯に生まれ変わって往時の面影を失った場所で、真教寺という小さな寺が佇むところのどこか。

その地は『古屋敷』という字を後世に残していたものの、いつしかそれも時代の流れのうちに消失の運命を辿った。

そうした歴史の記憶を秘めもするこの寺―正覚寺は、近代を経て始まった開発の波に呑まれゆくなかで刻々とその様相を変えてゆく町の一角にあって、その伽藍とともに今日も静かに時を刻んでいる。

寺宝

この寺の有する寺宝に『肉筆涅槃図』がある。

片幅おおよそ2.4メートルでもう片幅がおおよそ2.1メートルという大きさのこの図は、江戸時代の初期という頃からこの寺に伝えられてきたもので、毎年の2月15日をその開帳の日としている。

『六字名号』の伝説

いつの時代の話であるのかはここに定かでないものの、『志免町誌』の記すところによれば、この寺には『六字名号』にまつわる逸話が伝えられているという。

『六字名号』―すなわち『南無阿弥陀仏』という六文字の尊称。

いわく、別府村を流れる川―おそらくは宇美川―の堰に、夜な夜な光明を放つ何かが引っかかっていた。それを不思議に思っていた村人がある日それを拾い上げてみると、それは南無阿弥陀仏の六字の名号(を刻んだ像かあるいは板碑などか)であった。

それはしばらくこの寺に保存されていたが、いつしか売られてしまったことでこの寺から姿を消した。

この寺にあった時には郡中28番の札所であったという。

古記録

筑前国続風土記拾遺

正覚寺
本村にあり。十劫山暁夢院と號す。浄土宗鎮西派福岡極樂寺末也。開山を信蓮社單誉と云。此僧承應二年三月寂す。

筑前国続風土記附録

正覺寺
十劫山暁曼院と號す。福岡極樂寺に屬せり。開基の年歴詳ならす。寺内に觀音堂・地藏石佛あり。

所在

住所は福岡県糟屋郡志免町大字別府249にて、電話番号は092-935-0555、最寄の電停は原町駅。

資料

  • 『志免町誌』>第八編 宗教と文化>神社・仏閣>寺院>正覚寺 (P.819) - 志免町町誌編纂委員会
  • 『筑前国続風土記拾遺』>表糟屋郡>別府村 - 青柳種信
  • 『筑前国続風土記附録』>表糟屋郡>別府村 - 加藤一純/鷹取周成