法昌寺 〔日照山〕

ほど近くに上野公園の緑を見据える入谷(いりや)という名の町は、東京二十三区の内は台東区の市街のそのまた一角。法昌寺(ほうしょうじ)はその下町にあって、その山号を日照山といい、『宗祖奠定十界勧請大曼陀羅』なる曼荼羅(まんだら)を本尊とする。

謳われる利益は入試合格 、闘病平癒 、商売繁盛、諸願成就そして、開運などなど[1]。法華宗(ほっけしゅう)―その本門流(ほんもんりゅう)の一ヶ寺にして、その境内に毘沙門天(びしゃもんてん)を祀ることにより下谷七福神の札所をも務め、その毘沙門天を奉ずる講(こう)―『毘沙門講』を毎月のように開くという法昌寺は、福島泰樹(ふくしまやすき)という、名のある歌人を住職の座に控えつつ、小さきながらも日々に数多の参拝者と活気をたたえている。[2][3]

目次

歴史

そのごく初期については、江戸時代の頃―慶安元年(西暦1648年)の開山をもって始まったとのことであるが[4]、資料の少なさから、これ以上のことをここに詳らかにすることはできない。

昭和六十年(西暦1985年)には境内に『たこ地蔵』が祀られ[5]、いつしか下谷七福神の毘沙門天に定められもし、平成十四年(西暦2002年)の秋には救世観音を祀る観音堂が落成した。[6]

伽藍

『江戸の五街道』のひとつ―日光街道(にっこう-)がちょうど発するところの鴬谷(うぐいすだに)の界隈に位置し、その境内には本堂をはじめ、下谷七福神の札所たるゆえん―最澄(さいちょう)の作とも日蓮(にちれん)の開眼とも伝えられる毘沙門天の立像を祀るところの『毘沙門天』との額を掛けた堂[7][8]、そしてこの寺を菩提寺とした往時の芸人を祀る地蔵を置いている。

境内に入ると右手に本堂、左手に毘沙門堂が位置する。この毘沙門堂は毘沙門像のみならず、最澄ならびに日蓮の作と伝わる鬼子母神(きしぼじん)の像をあわせて安置している。

たこ地蔵

たこ八郎(-はちろう)、という人がいた。法昌寺はこの男の菩提寺でもあった[9]

仙台(せんだい)の農家に次男坊として斉藤清作(さいとうせいさく)という名で生まれ、やがて上京、ボクシングの選手として一時を過ごし、喜劇役者を仕事の軸として大いにその名を知らしめたが、昭和五十九年(西暦1984年)の夏、酒をあおって海に入ったすえに心臓発作におそわれ、この世を去ったのであった。[10]

そうして43年の生涯に幕を下ろしたこの男を慰霊するためにと、生前の彼と深い親交を持っていたという、彼を弟子としていた由利徹(ゆりとおる)に加え、赤塚不二夫(あかつかふじお)、山本晋也(やまもとしんや)といった文化人らがその発起人となり、昭和六十年(西暦1985年)、今に『たこ地蔵』と呼ばれるところのこの地蔵を建てたのである。[11][12]

石造りのこの地蔵は立像で、その右耳の形はボクサーであった時代に対戦の相手に噛み千切られて抉れてしまったものという彼のそれを模り、その頭―髪型―は彼の生前のそれを模り、その胴体には『めいわくかけて ありがとう ―たこ八郎』との銘を刻んでいる。この言葉は祀る男―たこ八郎の座右の銘であったという。[13][14]

毘沙門天堂の傍らにあって、無病息災を祈願しているというこの地蔵は、その手と手をあわせて合掌し、法昌寺の境内の一角に今も静かに佇んでいる。[15][16]

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余話

作家・立松和平(たてまつわへい)の談によれば、現住職の福島泰樹はかつては静岡県沼津市の妙蓮寺という小寺の住職であったという。[17]

所在と交通

住所は東京都台東区下谷2丁目10番6号にて、電話番号は03-3872-5891、最寄の電停は入谷駅。

資料