浄顕寺 〔大願山〕
福岡県の南部を貫く筑紫次郎(ちくしじろう)―筑後川(ちくごがわ)の大流は、その河口へと近づくところで南に久留米(くるめ)の町の影を見る。この町にわずかな一画を占める寺町(てらまち)のうちの一角にあって、浄顕寺(じょうけんじ)というその一ヶ寺は、山号を大願山と称し、阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊に据える浄土真宗―その大谷派の寺。俗に『千軒檀家の寺』と称されもするというこの寺は、軒を連ねる数多の寺々とともに歴史ある城下―久留米の寺町に時を刻んでいる。
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歴史
本寺―浄顕寺のその歴史は、室町時代も末期に至ろうとする頃に始まった。永禄2年(西暦1559年)―了心―俗名草野忠利―という僧が、御井郡の仁王丸(現同市内北野町)に一ヶ寺を開基。ここに本寺の歴史が興りの時を見る。
戦国時代から安土桃山時代を経て慶長8年(西暦1603年)―田中吉政(たなかよしまさ/初代柳河藩主)の時代に、二代目住職の善珍によって元町(現同市内城南町の祇園社付近)に移設。
やがて近世に入り、江戸時代の初期―元和7年(西暦1621年)、三代目住職の祐念(または裕念)のときに、久留米の寺町に寺地を拝領、今に至る。
時も下って昭和2年(西暦1927年)に本堂を改築した。
伽藍
城下の歴史の名残を留める筑後は久留米の町。市街の中心からほど近いところに一画を占める寺町は、それぞれの歴史的背景を秘める多様な宗旨の寺々が軒を連ねて形成されている。
宗安寺、心光寺、本泰寺、真教寺、西方寺、誓行寺、妙正寺、妙蓮寺、正覚寺、千栄禅寺、妙善寺、善福寺、徳雲寺、遍照院、少林寺、医王寺、・・・一本の通りを軸として右(東)と左(西)に分かたれるこの寺町にあって、浄顕寺はその左側にあり、東の方角に向けてその山門を開いている。
『真宗 大谷派 浄顕寺』―その宗旨と寺号とを記す木札を柱に備える瓦屋根の山門。入れば左手に納骨堂のような建物を見て、すぐさま大屋根を据えるその本堂が参拝者を迎え座す。
通りを挟んで向かいは同じ宗旨の真教寺。この寺も元は御井郡の仁王丸にあった。
香石という先住の師は漢学者として著名であったという。
墓碑
- 梅野多喜蔵 [県立久留米中学初代校長]
- 梅野実 [明善同窓会長/名誉市民]
- 河原みくさ [童謡作家]
- 稲生篤斎 [狩野派画家]
伝統行事
- 1月 修正会
- 3月 春季彼岸会 永代供養
- 8月 孟蘭盆会
- 9月 秋季彼岸会 永代供養
- 12月 報恩講
- 毎月 月例法話会
所在
住所は福岡県久留米市寺町12にて、電話番号は0942-33-5837、最寄の電停は櫛原駅。
資料
- 『久留米の町 寺社めぐり』 P.67 『浄顕寺』 - 高山精二
- 山門前の立札