照安寺 〔薗田山〕

薗田山との山号を称する浄土真宗本願寺派の一ヶ寺、照安寺(しょうあんじ)というその寺は、福岡県都―福岡市にあり、山の麓の柏原(かしはら)という町の一角に伽藍を置いている。

ある冬の夕刻の照安寺
ある冬の夕刻の照安寺

目次

歴史

その創建の時期については明らかでないが、その開基は鶴田徳右衛門なる者の手によるもので、その寺号と木仏を許可されたのが江戸時代の初めの頃―寛永年間(西暦1624〜1643年)のことで、その頃の住職は教伝という者であったという。

『早良郡志』という地誌によれば、本寺は元は政所にあって政所山との山号を称したが、元禄も間近の貞享5年(西暦1688年)に松本という字(あざ)の地に移った。更に江戸時代中に薗田(そのだ)―現所在地―に移り、その山号を薗田山に改称。同時代中には博多の万行寺に属した。

『政所』(読みは『まんどころ』か)というのはかつて柏原地内にあった小字であるが、今では消失してしまっており、これが今の柏原地内のいずれの場所にあたるのかはここに定かではない。松本、薗田も柏原地内にかつてあった字で、今ではいずれも消失してしまっている。

寺誌『福岡寺院探訪』の編纂の時期―昭和63年(西暦1988年)〜平成2年(西暦1990年)―で住職は14世を数えた。

伽藍

今や筑紫郡に唯一の町村となった那珂川町のその西部には、実に太古の代からその名を知られる油山という山に、更に遠くで脊振の山々に連なりもする、片縄山という山が広がっている。この山の北西の麓に佇む柏原という名の町は、県都・福岡市―その南区の内の更に南の外れのところにあり、そこに形づくるは軒を連ねる数多の民家と緑の織り成す集落。

黄金色の紋を携えるその本堂
黄金色の紋を携えるその本堂

照安寺は、西方の油山に源流を秘める樋井川という―市内を貫流した末にやがて博多湾の溜まりに注いでゆく―二級河川のその支流たる『糠塚川』という小川のほとりに位置している。

本堂の観る柏原の町角
本堂の観る柏原の町角

東方に向けて開かれた瓦屋根の山門、入ればすぐさま本堂。

鉄筋コンクリート造りにして2階建―やや『寺』の風情に欠けたこの本堂は、ちょうど長方形をしながら、その正面に大きな黄金色の紋を嵌め込んでいる。

『筑前国続風土記附録』にはこの寺の内に地蔵堂ありとの記録があるが、それらしきものは今の本寺の境内には―少なくとも山門と本堂の間に広がる寺地の内には―見られない。

本尊のおわしますは本堂の上階―そこでともに歴史を刻んできた柏原の町々を静かに見下ろしている。

樋井川の支流たる小川が寺地のそのすぐ脇を流れている。ちょうど山門の向かいに架かるその川の橋の名はこの寺の山号のそれと同じく『薗田』―すなわち『薗田橋』。『筑前国続風土記附録』の記述にも見られるように、かつては本寺の界隈の字を『薗田(そのだ―ソンダ)』と言ったのであろう。今に遺ったささやかな歴史の痕跡か。

古記

筑前国続風土記附録

照安寺 ソンダ 眞宗西 佛堂四間四間半
萬行寺に屬せり。寛永年中の住僧教傳といふ者、寺號木佛を許されしといふ。寺内に地蔵堂あり。
早良郡>柏原村

筑前国続風土記拾遺

照安寺
本村に在。真宗西博多万行寺末なり。開基は鶴田徳右衛門といふ。法名年号月日しれす。
早良郡>柏原村

周辺

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所在

住所は福岡県福岡市南区柏原4丁目16番3号にて、電話番号は092-566-5473、最寄の電停は高宮駅または博多南駅。ただし両駅とも『最寄』とすることにもはやほとんど意味がないほどに遠し。

資料