般若院 〔松月庵〕

福岡県都・福岡市。“般若院”(はんにゃいん)―そう寺号を称する真言宗のこの寺は、山号を“華香山”(かこうざん)、さらに号を“松月庵”と称する同宗大覚寺派の寺にして、十一面観世音菩薩の立像を本尊に拝しつつ、坂多き住宅街のさなかに伽藍を鎮めている。

雲多き夏の日に鎮まる般若院 ―裏口
雲多き夏の日に鎮まる般若院 ―裏口

目次

歴史

この寺「般若院」の起源は、近世・江戸時代もさなかの宝永年間(西暦1704年〜1711年)に、博多の住吉という地にあって始まったという。

十一面観音を納めるその本堂
十一面観音を納めるその本堂

・・・この時代に、立花実山という人物が一宇の草庵を結んだうえで、それを“松月庵”と名付けた。

ある黒田藩家老の二男であったというこの立花実山は、若くして茶の道を志し、自らで開いたこの庵「松月庵」に穏栖しつつ、いつしかその名を“宗有”と改める。茶道南坊流の奥義を極めてこの庵に生活を送った。

そうして博多の町に在り続けた松月庵であったが、博多駅の移転に伴う新幹線の開通を受けて、昭和39年(西暦1964年)に移転することとなった。

その境内の壁に沿って並ぶ石仏―奥にあってその背を朱色に燃やすは「明月地蔵」。
その境内の壁に沿って並ぶ石仏―奥にあってその背を朱色に燃やすは「明月地蔵」。

その移転先がすなわち今の地にあたる福岡市南区大池。それにて般若院という寺号を称するようになった松月庵・般若院は、京都の大覚寺を本山に仰ぎつつ、以来この地に絶えず在り続けてきた。

伽藍

福岡の町、博多の町、そして筑前の地の悠遠の歴史を今に伝える福岡市。

市内「南区」に当たる区域は、ちょうど博多の町の歴史的な部分を含む博多区あるいはその西隣の中央区から南下した場所に広がる。

この南区の内に「大池」という街区があり、この寺「般若院」は、民家の密集する坂地たるこの町のさなかに伽藍を置いている。

古くは“高宮村”と呼ばれたところの一角。西側にはその高宮村の枝郷であった“寺塚”という地の後裔にあたる「寺塚」街区が広がり、大車道を挟んだ南側には「野間大池」という、その文字通りの大きな池が水面を揺らがせ、この寺と同じく元は博多にあった妙行寺という浄土真宗の寺の伽藍の影を映す。

『辨財天』との額を掛ける弁天堂
『辨財天』との額を掛ける弁天堂

かようの大池の町の一角にあって南に正面を向けたその伽藍は、注意せぬならば見落としてしまうであろう小道の傍に入り口を開き、もう少しばかり大きな車道の傍に裏口を開いている。

「このみ調剤薬局」という薬店の敷地と接するその境内。段となっている正面の入り口には山門もなく、入れば参拝者はすぐさまこの寺の本堂―その本尊たる十一面観音の立像を納める堂と対面することになる。この本堂の右手には茶室らしき建物、そして住職一家の住まいたる庫裏。

境内の壁に沿って置かれた数多の石仏。その中心に鎮まる、「九州八十八ヶ所第二番霊場」と書かれた板と、「本尊 十一面觀世音菩薩」と書かれた額とを掛ける本堂。その説明の通り、この寺は「九州八十八ヶ所」という霊場群の第2番目の札所なのである。

その手前を左折すると、“明月地蔵”という名の石仏群のありどころ。その奥に“辨財天”と記した額を掛ける堂、すなわち弁天堂が佇む。そんな境内に手掛かりは見られぬものの、この寺は生け花教室を副業にしているという。

その伽藍の見据える南方の町々
その伽藍の見据える南方の町々

高台にあって眼下の町々を一望するその境内は、開発の末の市街化とともに刻々と風景を変えてゆく―そんな町々の向こうに連なる大いなる山並みの影を見据えつつ、そこに運び持ってきた歴史をともに伽藍の内に秘めつつ、風受ける町の一角に今日も静かにあり続けている。

行事

1月21日 正月護摩供
2月3日 星まつり(節分)
3月(春分の日) 春彼岸供養
4月8日 花まつり
5月21日 五月護摩供
8月13日〜15日 お盆供養
9月21日 九月護摩供
9月(秋分の日) 秋彼岸供養
12月21日 年末総供養

所在

住所は福岡県福岡市南区大池1丁目3番15号にて、電話番号は092-541-5086、最寄の電停は西鉄天神大牟田線高宮駅、最寄のバス停は西鉄バス『大池1丁目』。

資料