諸岡川

福岡県(ふくおか-)の万葉の古都―太宰府市(だざいふ-)の山間の小池に発する御笠川(みかさ-)の流れは、同市から同県の大野城市(おおのじょう-)を過ぎ、やがて同県の県都―福岡市に入って先に博多湾(はかた-)に注いでゆく。歴史豊かなこの二級河川の支流のひとつ―諸岡川もろおかがわ)は、同県の愛称『弥生の里』―春日市(かすが-)のうちの南に大いなる水面を湛える白水大池(しろうず-)にその流れを発し、二級河川[1]または準用河川[2]として同市から北の福岡市―その博多区までを貫流し、やがて本流の御笠川に合流する。

その流れの福岡市内の一角。先に見られる橋は昭和62年(西暦1987年)の3月に完成した『那珂歩道橋』で、左手前に見られる団地は福岡市営那珂南住宅(那珂南団地)、橋の向こうに見られる団地は福岡市営板付住宅(板付団地)。
その流れの福岡市内の一角。先に見られる橋は昭和62年(西暦1987年)の3月に完成した『那珂歩道橋』で、左手前に見られる団地は福岡市営那珂南住宅(那珂南団地)、橋の向こうに見られる団地は福岡市営板付住宅(板付団地)。

歴史

その歴史については、資料の少なさから、ここに詳らかにすることはできない。源流の白水大池は江戸期に編纂された名のある地誌『筑前国続風土記』にも現れる古い堤で、同書によれば、同大池の再造成が完了に至ったのが寛文四年(西暦1664年)のこと。再造成―すなわち、その造成事業の前から同池はそこにあったことになる。この元々の―すなわち再造成前の―池がいつからそこにあったのかについては一切が不明であるという。[3]

流域の姿

周囲の緑豊かな公園とともに親しまれている白水大池。そこから北に向けて発するその流れは、本流の御笠川に転じるそのときに至るまでの間の多くを住宅街とともに過ごす。

発して間もない流れの脇には『諸岡川親水緑道』[4]と名づけられた遊歩道が設けられており、これらを過ぎて、流れは『弥生銀座』と呼ばれもするほどに数多の弥生時代の遺跡が出土するところの春日市域の西部―須玖(すぐ)、岡本(おかもと)などの街区に入る。

更にこれらの街区の北に広がる桜ヶ丘(さくらがおか)という街区。新興住宅地を思わせもするこの街区を抜けるとともに、流れは福岡市博多区のその名も諸岡という街区に差し掛かる。流れはちょうどこのあたりからその川幅をしだいに太くしてゆき、これまた太古の遺跡の密集地として広くその名を馳せるところの板付(いたづけ)、そして那珂(なか)という街区を貫流してゆく。

この那珂地区の1丁目界隈が、本流・御笠川に流れ込む地点―すなわち終点にあたるところとなっている。

余話

アメンボや鯉(こい)などの多様な生き物たちが生息する川であるが、しばしばゴミの投棄に悩まされてもいるようだ。

西暦2006年の夏に地元の三筑中学校の生徒たちが清掃を試みたところ、古タイヤに扇風機、携帯電話、そしていくつもの自転車などなど、数多のゴミが発掘されたという。[5]三筑中学校は福岡市立で、同市の博多区三筑(さんちく)にあって諸岡川の川べりといえるところに―ちょうど正光寺の近くにある中学校である。