迎乗寺

大和(やまと)―奈良盆地のさなかに市域を広げる天理(てんり)の都に連なる町々。迎乗寺(こうじょうじ)というその寺は、紫光院との院号を称し、同時に白雲山との山号を称す浄土宗(じょうど-)の一ヶ寺にして、かの『精神世界の町』の中枢からほど近い町の一角にその伽藍を置いている。

目次

歴史

そのはじめは寺伝の消失により不詳ながらも、おおよそ貞和年間から康安年間の頃(西暦1345~1361年)に建立されたものと考えられ、その当初は小さな庵のような伽藍をしてこの地にあったものと推測されている。室町時代と云われる時期である。

江戸時代(西暦おおよそ1600~1867年)も中期に差し掛かった頃には火災の禍に見舞われ、開基の僧の像と梵鐘、そして本尊を遺して、伽藍の全てが消失することとなった。

やがていつしかなされた再建を経て、近世も終幕に近づく頃―天保14年(西暦1843年)の春には、皇族の舜仁親王(しゅんにん-)が本寺に立ち寄り、次のような和歌を遺したという。

和が宿の 千世の河竹 ふしとおみ
さも 行末は はるかなるかな

時は下って時代も昭和に入り、第二次世界大戦の火花が世界を覆った頃には、その伽藍に長きにわたって歴史を刻んできた梵鐘が、その戦に係る供出によって本寺をあとにした。

伽藍

奈良県の内の中北部に位置する天理市は、時代も近世から近代に移ろうとする頃に生まれた教団―天理教に名の由来を持ち、この教団との深いゆかりを有する宗教都市として今にある。

その市域の今世の中心とも言えようところは、その教団の本教会や大学、そしてこの市の役所などの建つ、川原城や三島といった町になる。本寺―迎乗寺のその伽藍は、そうした地帯からわずかに南に下ったところ―丹波市(たんばいち)という町の一角に置かれている。

小路の傍に置かれた山門は、本寺の山号―『白雲山』―を刻む札を上に掛け、本寺の寺号―『迎乗寺』―を刻む札を柱に掛けて参拝の者を迎える。

その境内には、遅くとも天保14年(1842年)には本寺にあったものという2体の木像―延命地蔵尊と子安地蔵尊―を祀った地蔵堂、明治時代のはじめの頃に柳本町(やなぎもと-)―現天理市柳本町―の旧藩主邸の書院を移してきたものという庫裏、そして往時の住職が自らの足で歩いた大和路の道中に集めた岩をもって設計したものという回遊式の庭園などが散在。

あわせて、貞享5年(西暦1688年)の銘ありという、江戸時代の火災を潜り抜けて今に遺された開基僧の像、その火災からほどなくの頃―寛延2年(西暦1749年)に再建されたものという本堂などがその伽藍を形作っている。

周辺

寺地からわずか東の側に南北に近鉄桜井線の線路が通っており、わずかに北には大河・大和川の支流―布留川の流れを湛える。

寺地からわずかに東のところを国道25号が南北に貫く。そして―その向こう側には勾田(まがた)ならびに御経野(ごきょうの)という町があわせて広がっており、市営住宅や改良住宅をはじめとして、児童福祉と人権問題のために設置されたものという『御経野児童館』、同じく人権問題の解決を企図して設置されたものという『御経野コミュニティセンター』、御経野集会所、老人憩いの家、教育総合センター、男女共同参画プラザ、などなど、・・・市の設置による数多の公共施設の散在の場となっている。

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西

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所在

住所は奈良県天理市丹波市町40にて、電話番号は0743-62-0601、最寄の電停は天理駅。

資料

リンク