野方天満宮

その歴史の痕跡を今もところどころに留める筑前(ちくぜん)の地は、その往代から今に至るまで福岡の町を脈々とその中心として継承する。かつて早良郡(さわら-)と呼ばれたところは、その筑前福岡の町の後裔として今に在り続けている福岡市のその一画にあたり、西区(にし-)と呼ばれるところはその内の更に一画にあたる。野方 天満宮(のかた てんまんぐう)―その神社は、この筑紫(ちくし)の地方にゆかり深き神―菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神に祀り、この地に古くより野方(のかた)と呼ばれてきたところのその一角に鎮座。開発の波に呑まれゆく町のさなかで、室町時代と言われる頃からの時を刻んでいる。

雲多き冬のある日の午前の野方天満宮
雲多き冬のある日の午前の野方天満宮

目次

歴史

小さきながらもなかなかに由緒深いこの神社の近世までの通史は、『筑前三大地誌』と謳われる地誌類のうちの二書―『筑前国続風土記』の『拾遺』と『附録』にそれぞれの筆で記されている。

地元に伝わる説にあっては、室町時代にあたる天文元年(西暦1532年)の8月―当地(野方村)の藤淡路という郷士がどこからか勧請したのがその初めであるという。しかし、この社の奉祀者のもとに残るこの社への寄進の記録を見ると、それより前の永正14年(西暦1517年)のものがあることから、青柳種信は遅くともそれ以前―すなわち永正14年以前―よりあったものと結論付けている。

やがて近世に入り、江戸の時代も中期を過ぎた頃―宝暦5年(西暦1755年)のこと。当時のこの地―筑前福岡藩―の主であった黒田継高(くろだつぐたか/6代目藩主)が、遊猟の途にこの社を訪れ、参詣。その折に和歌を遺し、祠を再建、更に祭祀のための費用や石の鳥居を寄進。それから10と余年とを経て明和6年(西暦1769年)の夏に至ると、ふたたび継高によってその石鳥居が再建された。

古記

  • 『天満宮
本村の北に在。菅神を祭る。鎮座の始詳ならす。里人の説に天文元年に、郷士藤淡路といふ者勧請せしといひ傳ふれとも、永正十四年に武藤主税助長信といふ者、當社に天神免灯油田の寄進賞状、奉祀姪濱村殿上氏の家にあるを見れハ猶此さきより在し社なり。寶暦五年に功崇公神祠を再造給へり。其時石鳥居をも建給ひ、祭料をも寄給ひ、明和六年八月に石鳥居再建し給へり。或時同公遊獵の序に、此社に詣給ひて御歌あり。
神垣の若木の梅はいく千代のはるをこめたる色香なるらん
本社の南に室尼社有。木像を安置す。』
― 筑前国続風土記 拾遺>早良郡>野方村
野方村の後裔―野方の町中に茂る鎮守の森
野方村の後裔―野方の町中に茂る鎮守の森
  • 『天満宮 神殿方一間・拝殿一間半二間
村の北天神の前といふ所に有。川の邊なり。菅神を祭れり。天文元年八月、野方村の郷士藤淡路といふ者造立す。其後寶暦五年、繼高公遊獵の次、此社に詣て給ひ自ら和歌を 神かきの若木の梅の幾千代の春をこめたる色香とそ見る 詠してさゝけ給ふ。其後石の鳥居を造立し給へり。柱の銘に、筑前國主從四位下行左近衞權少将源朝臣繼高建立明和六歳己丑八月吉日とあり。』
― 筑前国続風土記 附録>早良郡>野方村

境内

歴史ある博多湾の水面の揺らぎを見据え、太古の時代に築かれた防塁の遺構を留める砂浜―生の松原(いきのまつばら)。湾に流れ込む十郎川(じゅうろう-)という小川をその渚から遡れば、幾つかの町を両脇に見つつやがて野方の町が現れる。

『熊野三社宮』
『熊野三社宮』

本社―野方天満神社は、この小川の流れの東のほとりに鎮座し、町を縦貫する小車道の傍で、その口を南のほうに向けて開いている。

その名―天満宮―を刻み付けた石塔を携える石畳。これに従って歩くと、一柱の石の鳥居が迎え、そのすぐ先にて一宇の社殿が参詣の者を迎える。本殿と一体であることを思わせるこの社殿は、『野方天満神社』と記した額束をその内部に掛け、小さな祭壇のようなもの―おそらくは本殿―をその奥のほうに据えている。

その境内より見られる本願寺の本堂。
その境内より見られる本願寺の本堂。

この社殿のすぐ近くに、木々に埋もれるような形で小さな石の祠がある。『熊野三社宮』との文字を刻むこの祠は、その側面の刻銘によれば明治に寄進されたものである。

社領から畑を隔てた西の向こうには、本願寺という浄土宗の寺が伽藍を置いている。行明という名の僧によって天文年間(西暦1532〜1554年)に開かれたものと伝わるこの寺は、その創建の時期の近しさや、この神社との位置関係からして、この神社―野方天満宮の別当寺としての往古の姿を想起させもする。

佇む石鳥居とその遠く向こうに聳える飯盛山
佇む石鳥居とその遠く向こうに聳える飯盛山

開発のうちに市街化を迎え古き面影を失いゆく町。時の流れとともに刻々と色を変えてゆく町の一角にあって、今もその境内は遥か悠久の霊峰―脊振(せふり)の山塊の影を静かに見据えている。

所在

住所は福岡県福岡市西区野方1丁目4番にて、最寄の電停は橋本駅、最寄のバス停は西鉄バスの『野方天満宮前』。

資料

  • 『筑前国続風土記拾遺』 - 青柳種信
  • 『筑前国続風土記附録』 - 加藤一純/鷹取周成