龍正院

大いなる大河―利根川(とね-)の流域、千葉県のうちの成田市(なりた-)にその伽藍を据え置く龍正院(りゅうしょういん)は、天台宗の一ヶ寺にして、滑河山(なめかわさん)との山号を持ち、平安時代と云われる頃からの歴史をそこに伝える。

寺号よりも『滑河観音(なめがわかんのん)』との通称でより知られるこの寺は、延命、安産、ならびに子育ての守り本尊であるとの利益(りやく)とともに、坂東三十三ヶ所の札所の一、更に境内に祀る毘沙門天(びしゃもんてん)をもって『しもふさ七福神』の一にも定められている。

国指定重文―『龍正院仁王門』
国指定重文―『龍正院仁王門』

目次

歴史

その歴史は、平安時代(西暦おおよそ794~1185年)の初めの頃、その名を後世に至るまで伝えることになる名僧・慈覚大師(じかくだいし)―円仁(えんにん)の開基によって開かれたとき―承和5年(西暦838年)に始まったものと今に伝えられている。のちには勝福寺という寺号を称しもしたと考えられている。

源実朝(みなもとのさねとも)の生きた時代―建久3年(西暦1192年)~建保7年(西暦1219年)―には同人によって坂東三十三ヶ所の札所に定められ、室町時代(西暦1336~1573年)に差し掛かった頃、後世に国の文化財に指定されることになる仁王門(におうもん)が建てられた。

時も下って江戸時代(西暦おおよそ1600~1867年)には、今にも遺るその本堂が元禄年間(西暦1688~1703年)に建立され、昭和40年(西暦1965年)に至ってこれが県の有形文化財に指定された。

伽藍

関東地方のうちの南方にあって、大いなる洋の揺らぎを南に見据える千葉県。かつて『下総町(しもふさ-)』と呼ばれたところは、この県の北の外れに位置し、今に成田市の一部としてその時を刻んでいる。

滑河観音・龍正院は、この市の内のその名も滑川(なめがわ)という地区の一角にあって、市立滑河小学校の敷地とその境内を接し、『坂東太郎(ばんどうたろう)』―利根川の流れをすぐ西のほうに見据えつつ、まさにその河原といえようところに伽藍を置いている。

そこを形作るは、昭和54年(西暦1979年)の3月2日に県の文化財に指定された胴造りの宝筺印塔(ほうきょういんとう)、夫婦松(めおとまつ)と呼ばれる赤松(アカマツ)、その傍に置かれた寛政5年(西暦1793年)の銘ありという松尾芭蕉の句碑に加え、次のような事物群。

本堂

江戸時代の元禄年間に建てられた、本寺―龍正院の本堂。元禄11年(西暦1698年)の建造であるという入母屋造(いりもやづくり)にして屋根に銅板を葺いたこの本堂は、定朝なる者の作品と伝わる十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)の像―すなわち本寺の本尊をその内に安置している。昭和40年(西暦1965年)の4月27日より千葉県の有形文化財。内に納める本尊は秘仏で、往時のこの地にあった城郭―滑河城の主であった小田将治がこの地に祀ったものであるという。

仁王門

龍正院の仁王門は、室町時代の中期から末期にかけての頃に創建されたものという、その屋根に茅(かや)を葺く門。蔦(つた)の絡んだ注連縄(しめなわ)をその前方に垂らすこの門は、享保年間(西暦1716~1736年)にこの地を襲った大火の本寺への波及を仁王が防いだ、という伝説を今に伝え、これを背景として、今でも毎年1月の8日に門前の民からの注連縄の奉納を受けるという。大正5年(西暦1916年)の5月24日より国の重要文化財。

行事

  • 四万八千日 - 8月9日
  • 大祭 - 11月18日

夏の宵に催行される『四万八千日』、そして冬に開かれる『大祭』。ともに近郷の人々の醸す大いなる賑わいに包まれるという。

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所在

住所は千葉県成田市滑川1196にて、電話番号は0476-96-0217、最寄の電停は滑河駅。

資料