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最新版
ブラジル出身の女性モデル―アナ・ベアトリス・バロス(Ana Beatriz Barros)〔1982年5月29日生〕は、時に『スーパーモデル輩出大国』と称えられるブラジル出身の錚々たるモデルらのなかにあって、“最も成功した部類の一人”―そう見做されることしばしばのトップモデルである。
目次 |
経歴
幼少期
西暦1982年―ブラジル連邦共和国のうちの南東部に広がるミナス・ジェライス―そのイタビラという内陸の町にてアナは、機械技士の父親とその妻という両親のもとで、スペイン人とポルトガル人の血を引くその生を享けた。
そして大西洋の遥かなる水面を見据えるリオデジャネイロの町へとごく幼い時期に家族で移り、三姉妹の末っ子としてこの町で幼少の時期を送ることになった。
この地に生きる多くの娘たちの例に漏れることなく、この地の渚に寄せては返す波と潮風に馴染みながら育った―そんなアナに大きな転機が訪れたのは、ちょうど休暇でこの町のビーチを姉のパトリシアとともに歩いていたある時―14歳の時のことだった。
『発見』から『勃興』へ
そこは『ガラパリ』という名の有名な浜だった。・・・エリート・モデル・マネジメントという、名実ともに世界最大と言われるモデリング・エージェンシー(モデル事務所)の代理人からモデルとしてのスカウトを受けたのである。この渚はちょうどフェルナンダ・モッタが同様にスカウトされた場所でもあった。
その誘いに応じたアナは、やがてこのモデリング・エージェンシーのリオデジャネイロ支部の勧めで、このエージェンシーの主催による『エリート・モデル・ルック』という大会のブラジル場所に出場することになり、ついには優勝を勝ち取る。―1996年のことだった。
そしてすぐ―今度はこの大会の国際場所に出場し、その結果として第2位の栄冠を手にするのである。モデル―アナ・ベアトリス・バロスの勃興の瞬間であった。
それからすぐに米国の“ファッション・キャピタル”ことニューヨークに移住したアナは、それからしばらくの間を目立った活動のないままに過ごし、おおよそ4年という時を経て再び姿を現すことになる。
『始動』から『成功』へ
世紀末を目前に控えた西暦2000年のある日―ベイビー・ファットというアメリカ発のブランドの広告塔を務めるなどしていたアナの写真を、所属事務所―エリート・モデル・マネジメント―がゲスという名のブランドのもとに送った。
それがすぐさま契約に繋がり、同郷のアレッサンドラ・アンブロジオというモデルとともに、この世紀末―ミレニアム―を記念したゲスのキャンペーンを飾ることになった。・・・この仕事こそモデルとしての自身の成功を大いに後押しするもので、そのモデルとしての経歴のうえでの転機と言えるものであった。
同年の2月に至って、ヴァレンティノ、クリスチャン・ディオール、クリスチャン・ラクロワの秋季のコレクションを飾り、そうしてランウェイの世界への本格的なデビューを成した。
『トップモデル』へ
そうしてランウェイの世界へのデビューの日を見た2000年度からというもの、ほぼ毎年毎季にわたって数多のコレクションを飾っていった。
・・・かくして2003年までに飾ったコレクション―歩いたランウェイの数々は、バルマン、ケンゾー、ロリータ・レンピカ、クリスチャン・ディオール、クリスチャン・ラクロワ、イネス・ド・ラ・フレサンジュ、ジャン・ポール・ゴルチエ、パコ・ラバンヌ、ヴァレンティノ、クスト・バルセロナ、ダナ・キャラン・ニューヨーク、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、マルセル・マロンジュ、アルベルタ・フェレッティ、ランドルフ・デューク、ティエリー・ミュグレー、ヴィクトル・ベライシュ、エリー・サーブ、アリス・ロイ、ビーシービージー・マックス・アズリア、ダーク・ビッケンバーグ、ギ・ラロッシュ、ファウス・ハテン、イミテーション・オブ・クライスト、ベッツィ・ジョンソン、ブルー・マン、ロザ・チャ、ステラ・マッカートニー、ヴィヴィアン・ウエストウッド、アレキサンドレ・ヘルコビッチ、ベイビー・ファット、ブルンズ・バザー、キャサリン・マランドリーノ、ジルボー、ホルストン、ジョン・ガリアーノ、アグア・デ・ココ、クロエ、エレウノ、フォーラム、アイスバーグ、ランチェッティ、マリア・ボニータ、ポコ・パノ、トリトン、ヴェルサーチ、ヴェルサス、ウォルター・ロドリゲス、アルカディウス、エンポリオ・アルマーニ、エトロ、ジョン・リッチモンド、マリエラ・ブラーニ、トマソ・ステファネリ、ダナ・キャラン、・・・。
そうしてモデル―アナ・ベアトリス・バロスは、数多の有名ファッション雑誌の表紙を幾度も飾りつつ、いつしか名実揃えて『トップモデル』―そう呼ばれるまでの成功を収めることとなった。
『落ち着き』の境地へ?
飾ってきた数多くのブランド群のコレクションのなかでも、特にバルマン、クリスチャン・ディオール、クリスチャン・ラクロワ、ゴルチエ、パコ・ラバンヌ、ヴァレンティノ、ロリータ・レンピカ、・・・などなどのブランド群のランウェイでその名を馳せ、名ブランドのそれは一通り歩いた―そんなアナであったが、時も2004年に至って『JLO』―ジェニファー・ロペスによる下着ブランド―の広告塔の仕事を請けるとともに、歩くランウェイ―コレクションの対象を絞るようになったようで、2005年とその翌2006年にあって歩いたのはヴィクトリアズ・シークレットのコレクションのそれのみ。
更に2007年にあってはランウェイの仕事自体が記録されていない―その翌2008年にあっては、『アニマル』の秋/冬季のそれを歩いたのみとなった。
いずれにしても―そうしたなかで、アグア・デ・ココ、アンドリュー・マーク、アンナ・リタ・エンネ、アルマーニ・ジーンズ、ベベ、カルツェドニア、シャネル、クリスチャン・ディオール、カンパーニャ・マリチマ、クラランス、ディーゼル、デュモン、エルマンノ・シェルビーノ、エクステ、フォーラム、ハンロ、ヘッド・アンド・ショルダーズ、インティミッシミ、ロレアル、マンゴ、マリア・ボニータ・エクストラ、メックス、ミス・ビキニ、モルガン、ナフ・ナフ、ニーマン・マーカス、ネクスト、オークリー、オニックス、パンテーン、ペペ・ボテージャ、レッド・オーク、リプレイ、ロザ・チャ、セルジオ・ヴァレンテ、ショッピング・イグアテミー、シスレー、シュピーゲル、スウォッチ、トリトン、ヴァリゼール、ヴィクトリアズ・シークレット、ヴィクトリオ・アンド・ルッキーノ、キスキス、ヤママイ、ゼキ、そしてゲス、・・・こうした企業―そしてブランド群の広告の仕事をその日々のうちに請けてきたアナは、いつしかゲスの広告塔として特にその名を知られるようになった。
その姿とその素顔
薄茶色の瞳に緑色の瞳。身長おおよそ1.81m。背中と足首とにタトゥを持ち、自転車、博物館、そしてビーチに行くのが大好き。
キャロライン・リベイロ、イザベリ・フォンタナ、ジェイサ・チミナッツォ、ジェシカ・ホワイト、ジュリアナ・イマイ、メイ・アンダーセン、・・・こうした同業の者らとの交流を持ち、長い付き合いにして同郷のアレッサンドラ・アンブロジオと特に仲良し。
そのあどけない瞳が魅力的―そう評されることしばしば。
そんな“スーパーモデル”―アナ・ベアトリス・バロスは、かくして今日にあって、今日も大いなる『美』の世界と舞台にその輝きを放ち続けている。