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最新版
ブラジル出身の女性モデル―フェルナンダ・タヴァレス(Fernanda Tavares)〔1980年9月22日生〕。
西暦1980年―ブラジル連邦共和国のまさに最東端―大西洋の遥かなる大海原を見据えるリオグランデ・ド・ノルテのナタールという町にブラジル人とポルトガル人の血を引いて生まれたフェルナンダは、そのモデルとしての胎動をごくごく幼い頃に示していた。
・・・9歳という幼さにして地元でファッションショーを歩いていた少女フェルナンダは、1993年―13歳のときにとあるモデル関係のコンテストに参戦。『エリート・ルック・オブ・ザ・イヤー』と題されたこの大会で優勝―これこそ、そのモデルとしての経歴を本格的に始動するきっかけだった。
そうして国内―そのサンパウロにあるモデル事務所と契約したフェルナンダは、そのモデル業の追及のためにとのことで、この国の“ファッションの都”としばしば称えられるこの町サンパウロに1994年をもって移住。
・・・それからしばらくの無名の時代を経て、1998年―おおよそ18歳のときに、エクステというファッションブランドのコレクションを歩き、これをもってランウェイの舞台へのデビューを飾り、さっそくゲランというフランス発のブランドの広告塔の仕事を請けてヌードを披露することとなった。
ランウェイの仕事もしだいに増え、2002年に至ってロレアルと契約を交わし、更にその翌2003年にあっては、PETA―『動物の倫理的扱いを求める人々の会』―という世界的に展開する動物愛護団体の運動に参加し、その姿を披露した。~この手の団体はいわゆる『外貌的不遇者層』の女性運動家を多く抱えているのが常で、それを原因としてか数多の『美を武器にする著名な女性』らに対してシェパードのごとく噛み付いたうえで『参加』を呼びかける。したがって、フェルナンダの場合もおそらくは本人の意思による自発的な参加ではなく、あくまで受動的なそれであり、特別な思想はないものと見られよう。~
そのキャリアもおおよそ10年に届いた2004年に至っては、スティーヴン・マイゼルというあまりに著名な写真家との仕事に恵まれ、ヴェルサーチの広告を飾る写真の撮影を受けることとなった。
そうした経歴のうえで飾ってきた広告の数々は、アア・ミラノ、トム・フォード、アン・テイラー、ブルーミングデールズ、ボッテガ・ヴェネタ、クロエ、シトロエン、ディナ・バックマン、ダビドフ、ドルチェ&ガッバーナ、ギャップ、ジョルジオ・アルマーニ、ゲラン、H&M、アイスバーグ、ジェイ・クルー、レジャビー、ロレアル、ルイ・ヴィトン、マンゴ、マレーラ、マッシモ・ドゥッティ、マリア・リア、ナイン・ウエスト、オーウェル、ラルフ・ローレン、ロッコバロッコ、ロック&リパブリック、ロザ・チャ、ヴァレンティノ、ヴェルサーチ、・・・。
飾ってきたコレクション―歩いてきたランウェイの数々は、エクステ、ロエベ、ロベルト・カヴァッリ、アレッサンドロ・デラクア、キャロリーナ・ヘレラ、ダナ・キャラン、エマニュエル・ウンガロ、ヴェルサーチ、ヴァレンティノ、クロエ、ヴィクトリアズ・シークレット、セリーヌ、クリスチャン・ディオール、クリスチャン・ラクロワ、ダリル・ケー、ジョン・バートレット、ヴィヴィアン・タム、アルベルタ・フェレッティ、グッチ、マイケル・コース、ミッソーニ、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、ドリス・ヴァン・ノッテン、ジョン・ガリアーノ、オスカー・デ・ラ・レンタ、アレキサンダー・マックイーン、クレメンツ・リベイロ、イヴ・サン・ローラン、ビル・ブラス、キャサリン・マランドリーノ、ジャンフランコ・フェレ、マシュー・ウィリアムソン、ヴェルサス、アントニオ・ベラルディ、ザック・ポーゼン、イミテーション・オブ・クライスト、・・・。
茶髪に茶色の瞳。身長おおよそ1.78m。水泳やジョギングなどが趣味で、ブルックリン・デッカー、ダニエラ・ペストーヴァ、ジゼル・ブンチェン、タイソン・バルーといった同業者らとの交流を持つ。
そして『ファッション関係者の薦めるモデルにはどう見ても"魅力的"とは言い難い個体がしばしば見られる―だが彼女は違う―明らかに"魅力的"である』―そのような評を得ることしばしば。
そんなフェルナンダ・タヴァレスは、2007年の2月―26歳で自身初の子供を身ごもり、それからおおよそ半年を経て、10歳年上のブラジルのある俳優の男性と結婚。かくして今日も『美』の大舞台にその名を留め続けている。