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ロシア出身の女性モデル―ヴァレンティナ・ゼリャヴァ(Валентина Зеляева - Valentina Zelyaeva)〔1982年10月11日生〕

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2007年度春季~アルベルタ・フェレッティのショーの舞台裏にて笑ったヴァレンティナ。

ユーラシアの遥かなる大陸のうちの北方にあってその様あまりに雄大にわたる国土を携え横たわるロシアの大地。今亡きソビエト連邦の巨頭としてあった時代のこの国の首都―モスクワに生を享けたヴァレンティナは、その経過はここに不詳ながらも、いつしかモデルとしての道を歩みゆくようになった。

その本格的なキャリアが始動したのは20歳の時―新たな世紀を迎えて間もなくの2003年のことであった。アメリカ合衆国の『ファッション・キャピタル』―ニューヨークへと赴いたうえで、この国の生んだシンシア・ステフィというファッションブランドのショーを修飾。

そうしてめくるめくランウェイの世界へのデビューを飾ったゼリャヴァは、それからおおよそ半年を過ぎてハーパーズ・クイーンという名の雑誌の表紙に登場。米国発のコール・ハーンというファッションブランドの広告に起用されもしたこの年―2004年にあっては、同じく米国発のニーマン・マーカスという有名百貨店のカタログに姿を現し、年も半ばの頃にグラマーという雑誌のイタリア版の表紙に登場した。

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2008年度春季のジャンフランコ・フェレのショーをゆくヴァレンティーナ

そうした年も過ぎて2005年になると、ラルフ・ローレンというあまりに名高いファッションブランドとの契約を得たうえで、これと同じく米国発のカルヴァン・クライン―そのジーンズの広告に登場。

さっそくニューヨークをその舞台にラルフ・ローレンのショーの開幕を見て、それから間もなくパトリック・デマルシェリエというフランス人写真家の被写体となったうえで、ヴォーグ誌のイタリア版に登場した。

更に同誌のイギリス版に姿を見せてのちに、東欧出身のモデルらと連れ立ったうえで『装いのスラブたち』―そのような触れを携え、米国発のヴァニティ・フェアという歴史あるファッション雑誌に登場。ナタリア・ヴォディアノヴァ、カルメン・カース、カロリナ・クルコヴァ、ユージニア・ヴォロディーナハナ・ソークポヴァ、マリヤ・ヴジョヴィック、ナターシャ・ポーリー、イングナ・ブターネ、・・・こうしたロシアや東欧諸国からやってきたモデルらと仕事をともにした。

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ラルフ・ローレンの広告を飾るヴァレンティーナ ―2008年度春/夏季

年も後半に移ろった末に、エル誌ドイツ版の表紙を飾り、例年となったラルフ・ローレンのショーを歩いてから間もなくして、大西洋を大きく越えてフランスへ~パリでバレンシアガ、シャネル、クリスチャン・ディオール、エルメス、・・・こうした高名余りあるファッションブランド群のショーを飾っていった。

年も暮れゆく頃にエル誌ドイツ語版の表紙を再び、同時にハーパース・バザー誌イギリス版の表紙を修飾・・・そうして幕を下ろした2005年。そしてヴォーグ誌中国版~同誌フランス版~同誌スペイン版の表紙を立て続けに飾った2006年。

ついに馴染みとなったヴォーグ誌の母国ロシア版の表紙を飾って幕を開けた2007年―ラルフ・ローレンの40周年記念のショーを歩き、同ブランドの春季/夏季の広告の仕事で米国出身のシャネル・イマン、ポーランド出身のマグダレナ・フラッコウィアック、ベラルーシ出身のターニャ・ディアヒレヴァ、・・・これら3名のモデルらと対面するに至ったこの年は、エル誌フランス版の表紙に現われたうえ、ヴォーグ誌の母国ロシア版のその表紙に再び輝くなどしてその幕を下ろす。

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2005年度秋季のポリーニのショーの舞台裏にて、フランス出身のモルガン・デュブレ(中)とラトビア出身のイングナ・ブターネ(右)とともにヴァレンティナ。

そのキャリアも6年目を迎えた年―2008年になると、『フォーブス』・・・この世界に名だたる経済誌による『世界の稼ぐモデルたち』という記事にその名を見せ、この世界に名のある数多のモデルらとともに語られることとなった。

そうして年も後半に至ると、ヴォーグ誌の母国ロシア版にて『トップモデル』としての特集を受け、やがてニューヨークへと赴いたうえで馴染みのラルフ・ローレンのショーの舞台に輝いたのであった。

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ベルサーチのランウェイをゆくヴァレンティナ 2006年

その経歴のうちに飾ってきた広告の数々は、アグア・デ・ココ、バレンシアガ、BCBG、カルヴァン・クラインおよびその『ジーンズ』、コーチ、コール・ハーン、ICB、ロレアル、ラルフ・ローレンの香水―『ピュア・ターコイズ』、トミー・ヒルフィガー、ヴィクトリアズ・シークレット、・・・。

飾ってきたコレクション―歩いてきたショーの数々は、シンシア・ステフィ、バルバラ・ビュイ、キャシャレル、カルヴァン・クライン、クロエ、コスチューム・ナショナル、アイザック・ミズラヒ、ラルフ・ローレン、ソニア・リキエル、ヴァレンティノ、アマヤ・アルズアーガ、アンドリュー・ゲン、アンナ・モリナーリ、アツロウ・タヤマ、ベイビー・ファット、バレンシアガ、ベナーズ・サラフプール、ブルマリン、ボルボネーゼ、カルロス・ミーレ、クリス・エアー、クリスチャン・ディオール、ドルチェ&ガッバーナ、デレク・ラム、ダグラス・ハーネット、ディースクエアード²、エマニュエル・ウンガロ、エミリオ・プッチ、エステバン・コータザー、エトロ、ガエタノ・ナヴァッラ、エルメス、アイスバーグ、ジェイ・メンデル、ジェフリー・チョウ、ジル・スチュアート、ジョン・ガリアーノ、ジャスト・カヴァリ、ケンゾー、ラ・ペルラ、リリー・ピューリッツァー、ルイ・ヴィトン、ルカ・ルカ、ミリー(ミッシェル・スミス)、モニーク・リュイリエー、モスキーノ、ニナ・リッチ、ペリー・エリス、Phi、ポリーニ(リファット・オズベック)、プロエンザ・スクーラー、リーム・アクラ、リチャード・チャイ、ロザ・チャ、サマンサ・トレーシー、スポートマックス、ステラ・マッカートニー、テス・ギバーソン、テューラ、ヴェルサーチ、ヴンダーキント(ヴォルフガング・ヨープ)、アリス・ロイ、アンジェロ・マラーニ、アントニオ・ベラルディ、バナナ・リパブリック、ボッテガ・ヴェネタ、ビブロス、キャサリン・マランドリーノ、クリップス、ダナ・キャラン、エルマンノ・シェルビーノ、ジュリアナ・テーゾ、ランチェッティ、ニコール・ミラー、ピーター・ソム、ローランド・モーレット、スウィートフェイス、タムセン、ヴェラ・ウォン、ワイ&ケイ、ザルディ、アルベルタ・フェレッティ、アレキサンダー・マックイーン、ベルスタッフ、シャネル、ディーチェ・カヤック、フィジコ、ジバンシイ、フセイン・チャラヤン、ランヴァン、マリエラ・ブラーニ、ミラ・ショーン、ロベルト・カヴァリ、トレンド・レ・コパン、クリスチャン・ラクロワ、エリー・サーブ、フェンディ、ジャンフランコ・フェレ、グッチ、ジャスミン・ディ・ミロ、ロエベ、シモネッタ・ラヴィッザ、アクリス、チャップリン、フランキー・モレロ、ラヴ・セックス・マネー、ミス・ビキニ、ロッコ・バロッコ、バリッツァ、サルヴァトーレ・フェラガモ、ソニア・フォルトゥーナ、トラサルディ、ピンナップ・スターズ、・・・。

金髪に緑色の瞳。身長おおよそ1.77m。同郷のカティア・ココレワとナターシャ・ポーリーを始め、フランス出身のフィリッパ・ハミルトン、ブラジル出身のフラヴィア・ディ・オリヴェイラ、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、しばしばヴァレンティーナ・ゼリャエヴァワレンティナ・ゼリャワなどとの表記を受けもする。

そんなモデル―ヴァレンティナ・ゼリャヴァは、交流のあるフィリッパ・ハミルトンほどではないもののラルフ・ローレンとの深い馴染みを持ちつつ、いつしか移り住んだニューヨークにその生活の居を定めつつ、今日もどこかの“美”と“装い”の舞台に輝きを放ち続けている。

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