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ロシア出身の女性モデル―ユージニア・ヴォロディーナ(Евгения Володина - Eugenia Volodina)〔1984年9月17日生〕

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グッチのショーの舞台裏にてほほ笑むユージニア 2005年度秋季

ユーラシアの極北に横たわるロシア―その遥かなる大地。この国が世界を二極に隔てたソビエト連邦の巨頭としてあった時代~その内に佇むタタールスタンという地の首都たるカザンという町にその生を享けたユージニアは、この町で育ち、10代半ばという頃にあって、のちの半生に続くモデルとしての経歴の胎動を見た。

20世紀も大詰めを迎えようと移ろいゆく頃・・・1998年頃からこの『美』の世界との関わりを持ち始め、やがて世紀も末の2000年~フランスの『モードの都』―パリにその本部を置くパリジャンというモデル事務所からの『招待』なるものを受ける。

それを受けて10月にパリの街へと赴いた16歳のユージニアは、そこにモデルとしての経歴を始動したのであった。

その活動の本格的な始動は、それからおおよそ2年の時を経た2002年。

パリの『モードの帝王』―イヴ・サン・ローランのとある香水の広告の仕事を得たのちに、同じくロシア出身のナタリア・ヴォディアノヴァというモデルとともに、マリオ・テスティーノという著名なペルー人写真家の撮影を受け、イタリアの生んだグッチという歴史あるファッションブランドの仕事を請負。

さっそくイタリアのミラノを舞台にグッチの秋季のショーを歩き、それから間もなくののちにスティーブン・マイゼルという名高い写真家の被写体となったうえで、その写真を携えヴォーグ誌イタリア版の表紙に登場。同時に紙面における大変な分量を伴う紹介という機会に恵まれた。

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ディースクエアード²のランウェイを歩くユージニア 2007年度秋季

地元の両親に新たな部屋を購入してあげたというこの年は、ヴォーグ誌の母国ロシア版の表紙に初めて登場―更にはテリー・リチャードソンという米国の名高い写真家の撮影を受けたうえで同誌のイギリス版に姿を見せもし、これまた名高いヴィクトリアズ・シークレットというファッションブランドのショーに登場。

そうした年も幕を下ろして2003年には、セイ(TSE)とビル・ブラスという、ともに米国発の名高いファッションブランドの広告に登場。

かのスティーブン・マイゼルとの再開のうえでドルチェ・アンド・ガッバーナというイタリア発のファッションブランドの仕事をこなしたうえ、ピーター・リンドバーグ、マリオ・テスティーノ、・・・こうした写真家と仕事をともにし数多の雑誌に姿を披露。

その翌年も実に高名なる写真家らとの仕事の機会に恵まれた。・・・かのスティーブン・マイゼルとエスカーダで~米国人写真家のリチャード・アヴェドンとエルメスで~そしてファッションデザイナーを兼務するドイツ人写真家たるカール・ラガーフェルドの計らいを背後にフェンディの広告塔へ。

ニューヨーク発のバーグドルフ・グッドマンという有名百貨店のカタログに登場~イタリアの生んだあまりに名高いサルヴァトーレ・フェラガモという名のファッションブランドの広告を修飾~。

そうした活躍のうちに『トップモデル』と呼ばれるようになったそんな年―2004年を終えると、さっそくドミニカ発のオスカー・デ・ラ・レンタというファッションブランドによってその広告塔への起用を受け、やがて自らと同じロシアや東欧出身の数多のモデルらとともに、米国発の『ヴァニティ・フェア』という名の歴史あるファッション雑誌の紙面に登場。

『装いのスラブたち』~そのような触れとともにこの雑誌―ヴァニティ・フェアからのしばらくの後押しに恵まれたこの年は、イタリア発のヴァレンティーノとフランス発のジャン・ポール・ゴルチエという2ブランドのコレクションをパリの地に飾ってその後半を迎え、パオロ・ロヴェルシというイタリア人写真家の被写体となったうえでヴォーグ誌の日本版に姿を見せた。

ヴァレンティーノの送る『V』という名の香水との契約を得たのちに幕開けを見た2006年にあっては、イスラエルの生んだエリー・タハリというファッションブランドの広告塔に就任。やがてフランス発のセリーヌというファッションブランドの広告で春季を飾った。

この年からというもの、それまで膨大な数をこなしていたランウェイ―ショーの仕事をしだいに減らしてゆくのであった。

その経歴のうちに飾ってきた広告の数々は、アドリエンヌ・ヴィッタディーニ、アン・テイラー、バーグドルフ・グッドマン、ビル・ブラス、ビオテルム、ブルーミングデールズ、ブルガリ、セリーヌ、シャネル、クリスチャン・ディオールの香水―『ジャドール』、コチネレ、ドルチェ&ガッバーナ、エリー・タハリ、エレス、エルマンノ・シェルビーノ、エスカーダ、フェンディ、グッチ、エルメス、ジャン・ポール・ゴルチエ、ルイ・ヴィトン、ニーマン・マーカス、オスカー・デ・ラ・レンタ、ポール・カ、ラルフ・ローレンとその『ポロ』、プロノビアス、ロッコ・バロッコ、サルヴァトーレ・フェラガモとその香水―『インカント』、サックス・フィフス・アヴェニュー、タイム、セイ、ヴァレンティーノとその香水―『V』、ヴェルサーチ、ヴィクトリアズ・シークレット、ヴィッタディーニ、イヴ・サン・ローランとその香水―『イン・ラヴ・アゲイン』、・・・。

画像:エリーズ・クロンベとエリン・オコナーとユージニア・ヴォロディーナ 00660m.jpg
ジョン・ガリアーノのショーの舞台裏にて、ベルギー出身のエリーズ・クロンベ(左)とイギリス出身のエリン・オコナー(中)とともにユージニア 2005年度秋季

飾ってきたコレクション―歩いてきたショーの数々は、ビー・マイケル、マーク・モンタノ、マーカス・ルプファー、アキラ・イソガワ、アン・ドゥムルメステール、アントニオ・フスコ、アントニオ・マラス、バリー、クロエ、エルスペス・ギブソン、エンポリオ・アルマーニ、エクステ、ハミッシュ・モロー、エルメス、ジャン&カルロス、ジャスパー・コンラン、ジャン・シャルル・ド・カステルバジャック、ジーン・ミュア、ジョン・リッチモンド、ジョランド、ラウラ・ビアジョッティ、マリア・チェン=パスカル、ポール・スミス、ロッコ・バロッコ、ロシャス、ルッフォ・リサーチ、トラサルディ、イヴ・サン・ローラン・リヴ・ゴーシュ、バルマン、クリスチャン・ディオール、ジバンシイ、ジャン・ポール・ゴルチエ、アルベルタ・フェレッティ、アン・クライン、バッジェリー・ミシュカ、キャサリン・マランドリーノ、シャネル、クリスチャン・ラクロワ、コスチューム・ナショナル、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、ドルチェ&ガッバーナ、グッチ、フセイン・チャラヤン、ジル・サンダー、ジョン・ガリアーノ、ラガーフェルド・ギャラリー、ルイ・ヴィトン、ルエラ・バートリー、マルティーヌ・シットボン、ミッソーニ、オスカー・デ・ラ・レンタ、ヴェルサーチ、アレッサンドロ・デラクア、アントニオ・ベラルディ、BCBG、ベナーズ・サラフプール、ビル・ブラス、キャシャレル、カルヴァン・クライン、キャロリーナ・ヘレラ、セリーヌ、ダナ・キャラン、エマニュエル・ウンガロ、フェンディ、ジェームズ・コヴィエロ、ジェレミー・スコット、マーク・ジェイコブス、マルニ、マシュー・ウィリアムソン、マックス・マーラ、マイケル・コース、ミュウ・ミュウ、モスキーノ、ナルシソ・ロドリゲス、プラダ、エミリオ・プッチ、ロベルト・カヴァリ、ステラ・マッカートニー、トミー・ヒルフィガー、ヴァレンティーノ、ザック・ポーゼン、フィリップ・トレイシー、ラルフ・ルッチ・チャド、アレキサンダー・マックイーン、アンナ・モリナーリ、アナ・スイ、DKNY、ヘルムート・ラング、ランヴァン、ラルフ・ローレン、ソニア・リキエル、ヴィクター&ロルフ、プロエンザ・スクーラー、ローランド・モーレット、ジェイ・メンデル、ケネス・コール、ニナ・リッチ、ビブロス、クスト・バルセロナ、ジャイルズ・ディーコン、ロエベ、ルカ・ルカ、パコ・ラバンヌ、スティーブン・バロウズ、バレンシアガ、ジョン・ヴァルヴェイトス、ラ・ペルラ、エリー・サーブ、アイグナー、ブルマリン、ダックス、ディーゼル・スタイルラボ、エトロ、ストラネス、ボッテガ・ヴェネタ、デニス・シマチェフ、ガエタノ・ナヴァッラ、マーロ、サルヴァトーレ・フェラガモ、ソフィア・ココサラキ、Y-3、アン=ヴァレリー・アッシュ、ディースクエアード、アイザック・ミズラヒ、ジャスト・カヴァリ、・・・。

茶髪に青色の瞳。身長おおよそ1.80m。同郷のコレット・ペクノヴァとナターシャ・ポーリーを始め、ブラジル出身のバルバラ・ベルガー、チェコ出身のハナ・ソークポヴァ、・・・こうした同業者らとの交流を持つ。

そんなモデル―ユージニア・ヴォロディーナは、一人のトップモデルと見做されるようになってからもその母国たるロシアに生活の居を置き続けつつ、世の万人やこの『装い』の世界の万人にその名を知られるほどの存在感は未だ持たずも、今日もその舞台にありどこかの『美』の肖像をささやかながらに飾り続けている。

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『私たちは美しい肌を持ってる。私たちは美しい顔を持ってる。ブラジル人たちの時代はもう終わり!』
〔We have beautiful skin, we have beautiful faces, and the Brazilians are finished!〕
ヴァニティ・フェア誌の『装いのスラブ』にその名を連ねた2005年に.
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