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最新版
アルゼンチン出身の女性モデル―ミラグロス・シュモール(Milagros Schmoll)〔1989年4月27日生〕。
南米―南アメリカ―の更に南の外れに位置するアルゼンチン共和国・・・大西洋の大海原に臨むその首都アルゼンチンにて、ドイツ系アルゼンチン人の血を引くその生を享けたミラグロス・シュモールは、それからおおよそ14年後の2003年、おおよそ14歳という少女期にあって、どうしたわけでかモデルとしての道を歩み始めた。
2004年の4月にアメリカ合衆国の『ファッション・キャピタル』―ニューヨークへと赴き、クスト・バルセロナ、ナネット・レポー、サクーン、ヴィヴィアン・タム、・・・こうしたファッションブランド群のコレクションを飾ったミラグロスは、この初のランウェイの仕事をもってトップモデルの世界にデビュー。
それから毎年毎季のように膨大な数のショーで仕事をこなすようになり、ジャン・ポール・ゴルチエとトミー・ヒルフィガーの秋季の広告に姿を見せた2006年には、マリ・クレール誌のイタリア版の表紙を飾り、フランス出身のモルガン・デュブレとベラルーシ出身のターニャ・ディアヒレヴァという、ふたりのモデルらとともにジャン・ポール・ゴルチエの広告塔となった。
そのキャリアも4年目となった2007年にあっては、さっそく2月にジョルジオ・アルマーニ、エルメス、モスキーノ、オスカー・デ・ラ・レンタ、・・・こうした錚々たるファッションブランド群のコレクションに出場。月の内にジョルジオ・アルマーニのコレクションをイタリアのミラノで締めくくると、ウィメンズ・ウェア・デイリーという、歴史あるファッション雑誌に登場。
その紙面において、モデルにありがちな拒食症についての話題を投げ掛けられたミラグロスは、それに対して『朝はトーストだけだった。それでも元気だったよ。』―ニューヨークのファッションウィークで仕事をしていた時期の自身の食生活をそう語った。
7月には故国アルゼンチンのエル誌の表紙に姿を現し、それからすぐにフランスのパリに赴き、ジャン・ポール・ゴルチエの秋季コレクションの仕事に取り掛かる。更にマリオ・テスティーノというペルー出身の写真家の被写体となったうえで、その写真をもってイタリア発のドルチェ&ガッバーナという名高いファッションブランドの秋季広告を飾り、10月になると、それまで世話を受けていたワン・モデル・マネジメントというモデル事務所を去り、同時にトランプ・マネジメントというモデル事務所に移籍した。
そうした年も過ぎて2008年になると、2月にさっそくニューヨークへと赴き、この町に生まれたチャールズ・ノーランというファッションブランドのコレクションを修飾。それを終えてからすぐに英国のロンドンへと飛び、この国発のモダニストというファッションブランドの秋季のコレクションを飾り、やがてマリ・クレール誌イタリア版の表紙を再び、5月にはエル誌アルゼンチン版の表紙を再び飾ることとなった。
その経歴のうえで飾ってきたコレクション―歩いてきたランウェイの数々は、アマヤ・アルズアーガ、アントニオ・マラス、アズ・フォー、ベンジャミン・チョー、クスト・バルセロナ、ガッティノーニ、ゴースト、ジル・ロジエ、ルイザ・ベッカリア、ナネット・レポー、ペリー・エリス、レイチェル・コーミー、レベッカ・テイラー、ロベルト・メニケッティ、サリ・ゲロン、サクーン、ヴィヴィアン・タム、ワイ・アンド・ケイ、アダム・ジョーンズ、アン=ヴァレリー・アッシュ、シャネル、エリン・フェザーストン、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタ、ジャン=ポール・ゴルチエ、バルバラ・ビュイ、ジバンシー、エルメス、ランヴァン、レオナール、ロエベ、ニナ・リッチ、ヨージ・ヤマモト、アレキサンドレ・ヘルコヴィッチ、アリス・ロイ、アンドリュー・ゲン、マックス・アズリア、ベティ・ジャクソン、ブルマリン、ブリオーニ、カルヴァン・クライン、カルロス・ミーレ、クリスチャン・ワイナンツ、チヴィディーニ、コステロ・タグリアピエトラ、コスチューム・ナショナル、シンシア・ローリー、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、ディーゼル・スタイルラボ、エリー・サーブ、ガイ・マッティオーロ、ジャンバティスタ・ヴァリ、ジュリアナ・テーゾ、アイスバーグ、ジェイ・メンデル、ジャスミン・ディ・ミロ、ジェレミー・スコット、ジル・スチュアート、ジョナサン・サンダース、ジャスト・カヴァリ、カイ・ミラ、ラブ・セックス・マネー、マックスマーラ、ミッソーニ、ミュウ・ミュウ、カイ・クーン、ニコル・ファーリ、ピーター・ソム、ポリーニ、サス・アンド・バイド、テル・エ・バンティーヌ、ティビ、ツモリ・チサト、テューラ、アルベルト・ビアーニ、アンナ・モリナーリ、キャサリン・マランドリーノ、チャップリン、クリスチャン・ラクロワ、ダナ・キャラン・ニューヨーク、ヘザレット、フセイン・チャラヤン、マリエラ・ブラーニ、ミラ・ショーン、モニーク・リュイリエー、モスキーノ、ポーツ・1961、ラフィアン、スー・ステンプ、トレイシー・リース、ヴェリエ、ヴンダーキント、アルマーニ・プリヴェ、アクリス、アンテプリマ、アントニオ・ベラルディ、ベイビー・ファット、バッジェリー・ミシュカ、バリッツァ、ブルーガール、ビブロス、カルメン・マーク・ヴァルヴォ、シャルル・ノラン、シェール・ミッシェル・クラン、コレット・ディニガン、エレン・トレイシー、エンポリオ・アルマーニ、ジョルジオ・アルマーニ、ニール・バレット、オスカー・デ・ラ・レンタ、シモネッタ・ラヴィッザ、トラサルディ、ヴァネッサ・ブリューノ、ズッカ、アバエーテ、アダム、アン=ソフィー・バック、チャド・ラルフ・ルッチ、クレア・タフ、アーデム、イッサ、ジョシュ・グート、ジュリアン・マクドナルド、ジャストスウィート、クリツィア、ラム、ラコステ、マリオス・ショワブ、ピーター・イェンセン、ヴィヴィアン・ウエストウッド、ルカ・ルカ、・・・。赤味を帯びた金色の髪に緑色の瞳。その身長おおよそ1.75m。ボビー・ウィエンズ、デニサ・デヴォラコヴァ、エミナ・チュンムラジ、フラヴィア・ディ・オリヴェイラ、モルガン・デュブレ、パトリシア・シュミット、ロミーナ・ラナロ、タチアナ・ウソヴァ、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、『そのアヒル型の口とソバカスが良し』―そのような評を受けることしばしば。
そんなモデル―ミラグロス・シュモールは、世人万人にその名を知られるほどの存在感は未だ持たぬながらも、いつしかニューヨークにその居を置き、今日もまた・・・どこかの『美』と『装い』の舞台にその彩を送り続けている。