?????????

版間での差分

最新版

ブラジル出身の女性モデル、ミシェル・アルヴス(Michelle Alves)〔1978年9月19日生〕

画像:ミシェル・アルヴス 00220m.jpg
アン・ヴァレリー・アッシュのコレクションにてミシェル・アルヴス ―2008年度春季

ブラジル連邦共和国の南の外れにあって大西洋の遥かなる水面に臨むパラナ―そのロンドリーナという内陸の町に生を享けたミシェルは、技術者の父親、そして弁護士の母親という両親のもとでこの町に育ち、やがてロンドリーナ州立大学という地元の大学に進学した。

『世界を旅して異文化に触れたい』―そんな夢を抱きつつ、土木工学を専攻して勉学に邁進したミシェルは、実に優秀な学生として学内で台頭。いわゆる『ナード』―静か/あるいは内向的/もしくは単に『おたく』―な女学生であることを自認していたという。

そんなミシェルに転機が訪れたのは、エリート・モデル・マネジメントという世界最大のモデル事務所が主催するモデル発掘の大会―『エリート・モデル・ルック』に出場した時のことだった。この大会にて決勝戦にまで進んだミシェルは、これをきっかけに受けた『発掘』をもとに、のちに連なるモデルとしての経歴の始動を見るのである。

やがてこの国―ブラジル最大の都市たるサンパウロに移ったミシェルは、ちょうど20歳の誕生日を迎えておおよそ半年を過ぎた頃に、イタリア発のジャンフランコ・フェレという、名高いファッションデザイナーのコレクションに出場。このブランドの発祥地にあたるミラノで飾ったこのショーこそ、自身初となるランウェイの仕事であった。

画像:ミシェル・アルヴス 00490m.jpg
ラルフ・ローレンのコレクションにてランウェイをゆくミシェル ―2005年度秋季

スティーヴン・マイゼルというあまりに名高い写真家の撮影による写真をもってヴァレンティノの広告を飾った2002年には、フランスのパリに赴きエマニュエル・ウンガロ、ジバンシー、ジャン・ポール・ゴルチエ、ヴェルサーチ、そしてヴァレンティノ、・・・こうした名高いブランド群のショーを歩き、その翌年には『スポーツ・イラストレイテッド』というアメリカ合衆国の雑誌の水着特集で一押しを受ける。

かくして南米のモデル界にて確固たる地盤を築いていったミシェルは、この年にクリスチャン・ディオールの化粧品部門との契約を交わしもし、更にヴィクトリアズ・シークレットのカタログに登場。同ブランドのコレクションにその姿を現した。そうして―アドリアナ・リマ、ジゼル・ブンチェン、アナ・ベアトリス・バロス、・・・などといった同郷の女性モデルらがそうしてきたように、やがては大いなる北アメリカにて成功の階段を登ってゆくのである。

画像:フェルナンダ・タヴァレスとミニ・アンデンとデルフィーヌ・バフォーとミシェル・アルヴス 100093280.jpg
2003年度秋季のマシュー・ウィリアムソンのコレクションの舞台裏にて3名のモデルらとともにミシェル―左から、同郷のフェルナンダ・タヴァレス、スウェーデン出身のミニ・アンデン、ベルギー出身のデルフィーヌ・バフォー、そしてミシェル

ヴォーグ誌フランス版の表紙を飾りもした2005年には、かのスポーツ・イラストレイテッド誌の水着特集に再び登場。年も過ぎて2006年に入ると、ランウェイの仕事を一時的に引退し、アメリカ合衆国発のマイケル・コースというブランドの広告塔を務めるなどしつつ、11月に至って息子を出産。

産児ののちの休息のためか2007年にはほとんどとして目立った活動を見せなかったものの、2008年に至り、2月にアン・ヴァレリー・アッシュ、アルマーニ・プリヴェ、クリスチャン・ディオール、クリスチャン・ラクロワ、エリー・サーブ、・・・こうしたブランド群のショーをパリにて飾り、ランウェイの舞台に復帰。4月には故国ブラジル版のヴォーグ誌に登場し、そこでトップモデルとしての特集を受けた。

その経歴のうえで飾ってきた広告の数々は、アクリス、アニマル、ブルー・マン、カルツェドニア、クリスチャン・ディオール、エンポリオ・アルマーニ、フォーラム、ヘネス・アンド・モーリッツ、ジョーンズ・ニューヨーク、マリッツァ、マイケル・コース、ミス・シックスティ、モスキーノ、ラルフ・ローレン、レナ・ランゲ、ヴァレンティノ、ヴァリゼール、ヴィクトリアズ・シークレット、イヴ・サン・ローラン、・・・。

飾ってきたコレクション―歩いてきたランウェイの数々は、ジャンフランコ・フェレ、ジョルジオ・アルマーニ、ジュリアナ・テーゾ、キャロリーナ・ヘレラ、オスカー・デ・ラ・レンタ、ラルフ・ローレン、ステラ・マッカートニー、エマニュエル・ウンガロ、ジバンシー、ジャン=ポール・ゴルチエ、ヴァレンティノ、ヴェルサーチ、アルベルタ・フェレッティ、アレキサンダー・マックイーン、アレッサンドロ・デラクア、アントニオ・ベラルディ、バッジェリー・ミシュカ、ビル・ブラス、セリーヌ、クリスチャン・ディオール、コスチューム・ナショナル、ダイアン・フォン・ファステンバーグ、フェンディ、ジョン・ガリアーノ、ラガーフェルド・ギャラリー、ランヴァン、マックス・マーラ、マイケル・コース、ミッソーニ、ナルシソ・ロドリゲス、プッチ、ロベルト・カヴァリ、ソニア・リキエル、トミー・ヒルフィガー、アン・ヴァレリー・アッシュ、クリスチャン・ラクロワ、エリー・サーブ、チャド・ラルフ・ルッチ、チェルッティ、ダナ・キャラン、ルカ・ルカ、マシュー・ウィリアムソン、ザック・ポーゼン、アマヤ・アルズアーガ、ベイビー・ファット、キャサリン・マランドリーノ、クロエ、クリップス、ダリル・ケー、ディースクエアード、エミリオ・カヴァリーニ、エンリコ・コヴェリ、エルマンノ・シェルビーノ、エステバン・コータザー、エクステ、フィジコ、ガエタノ・ナヴァッラ、アイスバーグ、イミテーション・オブ・クライスト、ラ・ペルラ、ロッコ・バロッコ、ロザ・チャ、トマソ・ステファネリ、ヴィクトリアズ・シークレット、ヴィクター・アンド・ロルフ、ウォルター・ロドリゲス、クスト・バルセロナ、エルメス、クリツィア、マリエラ・ブラーニ、ミッシェル・クラン、アンジェロ・マラーニ、カルメン・マーク・ヴァルヴォ、ドルチェ・アンド・ガッバーナ、ドリス・ヴァン・ノッテン、エレン・トレーシー、リリー・ピュリッツァー、ヴィヴィアン・タム、アルマーニ・プリヴェ、カイ・ミラ、ナイーム・カーン、ロベルト・メニケッティ、イーガル・アズルーエル、ボルボネーゼ、ファッション・フォー・レリーフ、ヴィヴィアン・ウエストウッド、バッソ・アンド・ブルック、ジュリアン・マクドナルド、レニー、アニマル、アグア・デ・ココ、コルチ、カンパーニャ・マリチマ、フォーラム、トゥフィ・デュエキ、・・・。

茶髪に緑色の瞳。身長おおよそ1.79m。同郷のマルセル・ビッターやマリサ・ミラーをはじめ、アレック・ウェック、キャロライン・ウィンバーグ、ディアナ・ドンドー、リンダ・ヴォジュトヴァ、ナタリア・ヴォディアノヴァラケル・ジマーマン、ヤスミン・ウォーセイム、・・・こうした同業者らとの交流を持ち、料理と空手とが趣味。

そのキャリアのうちに、その数100を超える著名なファッション雑誌群の表紙に姿を現し、そうしていつしか名実揃えて『トップモデル』と呼ばれるようになった―そんなミシェル・アルヴスは、ロサンゼルス、ニューヨーク・・・アメリカ合衆国の『ファッション・キャピタル』にその居を定めつつ、今日も遥かなる『美』の大舞台にその名を馳せ続けている。

資料