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最新版
イタリア出身の女性モデル―ビアンカ・バルティ(Bianca Balti)〔1984年3月19日/あるいは1984年5月25日生〕。
イタリア共和国の北部に広がるロンバルディア―そのローディという町に生まれた彼女は、若くしてモデルを志し、自らモデル事務所へ売り込みを図りにゆくも、「モデルをやるにはあまりに平凡で、ありふれた容姿」とのことで、エリート・モデル・マネジメントなどの数多のモデル事務所から採用を拒否されてしまう。
それでもその志を捨てなかったビアンカは、やがてスーパーマーケットで働いていたときにスカウトを受け、ついにその経歴を始動するのである。
高校卒業後となったデビューののち、2005年の春/夏季のプレタポルテ(既製服)のコレクションで本格的にランウェイの舞台にデビューを飾り、母国の『ファッションの都』ことミラノや、フランスのパリ、そして米国ニューヨーク、・・・と、そのデビューからわずか二季目でその数50を超えるコレクションを飾り、毎年そして毎季にわたって数多のコレクションを飾っている。
その経歴のうえで飾ってきた広告の数々は、ティエリー・ミュグレー、アンナ・モリナーリ、アントニオ・ベラルディ、アルマーニ・ジーンズ、チェーザレ・パチョッティ、クリスチャン・ディオール・コスメティックス、ドルチェ&ガッバーナ、ダナ・キャラン、ダナキャラン・ニューヨーク、ジョルジュ・レッシュ、ゲラン、ゲス・ジーンズ、ラ・センザ、ラ・ペルラ、マンゴ、ミッソーニ、パコ・ラバンヌ、ポリーニ、プロノビアス、レブロン、ロベルト・カヴァッリ、ロレックス、ヴァレンティノ、ヴィクトリアズ・シークレット、ウエアハウス、・・・。
飾ってきたコレクションの数々は、アレッサンドロ・デラクア、アレキサンダー・マックイーン、コスチューム・ナショナル、ドルチェ&ガッバーナ、エマニュエル・ウンガロ、ジャンフランコ・フェレ、ランヴァン、ミュウミュウ、ソニア・リキエル、ヴァレンティノ、ヴィヴィアン・ウェストウッド、アルベルタ・フェレッティ、バレンシアガ、ボッテガ・ヴェネタ、クロエ、ダナ・キャラン、ジャンバティスタ・ヴァリ、グッチ、フセイン・チャラヤン、ジル・スチュアート、ケンゾー、マーク・ジェイコブス、ミッソーニ、モスキーノ、ナルシソ・ロドリゲス、ニナ・リッチ、ポリーニ、プロエンザ・スクーラー、リカルド・ティッシ、ローランド・モーレット、ソフィア・ココサラキ、ステラ・マッカートニー、ヴェラ・ウォン、ザック・ポーゼン、アンナ・モリナーリ、アントニオ・ベラルディ、アクアスキュータム、キャロリーナ・ヘレラ、シャネル、エミリオ・プッチ、フェンディ、ジバンシー、エルメス、ロエベ、オスカー・デ・ラ・レンタ、ポール・スミス、ラルフ・ローレン、ロッコ・バロッコ、ヴェルサーチ、バッジェリー・ミシュカ、クリスチャン・ディオール、ラ・ペルラ、サルヴァトーレ・フェラガモ、ファウスト・サルリ、ビブロス、ロベルト・カヴァッリ、・・・。
茶髪に青緑色の瞳。身長おおよそ1.75m。同業のエヴァ・リッコボーノと友達で、更に同業のドウツェン・クロエ、ジュリアナ・イマイ、カタリナ・イワノフスカ、シャナン・クリックらとの親交を持ち、理由はここに不詳ながらもしばしば“ビアンカ・ビオラ”(Bianca Biola)や“ビアンカ・バオリ”(Bianca Baoli)と記されることがあり、「肉感的な唇が印象的」―そのように語られもする。
そんなビアンカ・バルティは、モデルとしての経歴を始めて間もない西暦2006年に結婚し、その翌年には出産を成して一児の母へ―そうして今日も“美”の大いなる舞台にその名を知らしめ続けている。