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2008年2月1日 (金) 14:16の版
筑紫次郎(ちくしじろう)との異名を馳せる大河―筑後川のその大いなる流れを見据える久留米(くるめ)の町は、福岡県の南部にあって、往代筑後の歴史の面影をところどころに留める。その往時の色濃い情緒をたたえる寺町(てらまち)にある一ヶ寺―宗安寺(そうあんじ)というその寺は、山号―広岳山、院号―願行院、そして阿弥陀如来をその本尊に拝する浄土宗(じょうどしゅう)の一ヶ寺として、軒を連ねる数多の寺々とともに歴史あるこの町の今を形作っている。
目次 |
歴史
本寺―宗安寺のその歴史は江戸時代の開闢からほどなくの頃、柳川(やながわ)の玉樹院―ぎょくじゅいん/現柳川市蟹町にある浄土宗の寺[1]―の住僧であった莫伝(乗誉)により、時の久留米藩主・有馬豊氏(ありまとようじ)から寺地を拝領のうえ創建された、元和7年(西暦1621年)に始まった。
太平の時代となった近世も幕を下ろして近代へ。明治43年(西暦1910年)に本堂が再建される。
更に時も下って昭和5年(西暦1930年)には、それまで本寺の下寺としてあった光久寺という元天台宗の寺(4世透誉の代に時の藩主から旧寺地を拝領)が本寺に合併のうえ、これをもって廃寺となった。
伽藍
久留米の市街からほど近いところにその一画を占める寺町。その名の通り数多の寺々が軒を連ねるこの町は、南北に走る一本の通りを軸として、大きく東(右)と西(左)とに分かたれ、往代からそこに育んできた仏(ほとけ)の風情を漂わせる。
遍照院、少林寺、医王寺、千栄寺、誓行寺、浄顕寺、心光寺、・・・こうした寺々の並ぶ西側。そして徳雲寺、善福寺、妙善寺、正覚寺、妙蓮寺、妙正寺、西方寺、真教寺、本泰寺、・・・こうした寺々の並ぶ東側。
広岳山―宗安寺は、このうちの東側にあって、その最も南側の外れのところに伽藍を置いている。
西の方角に向けて開かれ、宗旨を同じく浄土宗とする心光寺と向かい合う瓦屋根の山門。これを入るとすぐさま燈籠を携える本堂に突き当たる。内におさめる本尊―阿弥陀如来(あみだにょらい)は、聖光という名の僧が、御井町(みいまち/現同市内御井町)の安養寺(厨寺)で千日の別時念仏(べつじねんぶつ)を行ったときのものであるという。
境内には、大永6年(西暦1526年)の銘ありという六地蔵(ろくじぞう)の塔、そして寺宝に、無銘の『伝兆殿司涅槃像』、鋳銅印度仏、蒙古仏などを有している。
隣は日蓮宗の本泰寺。
墓碑
- 円羽頼母 [普請奉行/利水の名手]
- 戸田乾吉 [久留米小史著者]
- 今井湛斉 [剣術家]
- 吉村円鳳 [日本画家]
- 宮原検校 [生田流琴の師匠]
- 川崎峰次郎 [らんたい漆器創始者]
- 田中順信 [2代目久留米市長]
所在
住所は福岡県久留米市寺町3-1にて、電話番号は0942-32-9579、最寄の電停は櫛原駅。
資料
- 『久留米の町 寺社めぐり』 P.89 『宗安寺』 - 高山精二
- 浄土宗宗安寺-久留米市 [公式]