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北関東―群馬県の南の外れにあり、今に『躑躅(つつじ)の城下町』として四季の花々をたたえる館林市(たてばやし-)は、その東に板倉町(いたくら-)を見据える、江戸五代将軍―徳川綱吉(とくがわつなよし)にゆかりの城下町の後裔。平成7年(西暦1995年)―この地に散在する4つの寺と3つの神社とが七福神(しちふくじん)の霊場に定めれ、もって館林七福神(たてばやししちふくじん)と名付けられた。

画像:茂林寺 459924797.jpg
大黒天―茂林寺の狸

『つつじの館林七福神』とも呼ばれるこの七福神は、その各々の札所が花の名前を冠しているのが特色。年の初めの頃―正月3日から31日までの間には、館林市の観光協会と七福神会の主催によって、これらの霊場群を巡る『七福神めぐり』の行事が催行されているという。

目次

札所

順は全国七福神めぐりにおける描写の順による。

茂林寺(大黒天)

五穀豊穣、子孫愛育、そして飲食、縁組、勤労、経営、治安、科学、農耕、機織の繁栄を司る、遠くインドのヒンドゥー教ではシヴァと呼ばれる神―大黒天(だいこくてん)。茂林寺(もりんじ)は青竜山との山号を称する曹洞宗の寺で、室町時代―当時の青柳城主・赤井正光(あかいまさみつ)とのゆかりをもって応仁年間(西暦1467〜1468年)に開かれた。かの有名な童話―『分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)』の舞台でもあるこの寺は、館林七福神の霊場たるゆえんの『萩の大黒尊天』とともに、この童話にゆかりの狸(たぬき)に因んだ事物を端々に覘かせる。住所は群馬県館林市堀工町1570にて、電話番号は0276-72-1514、最寄の駅は茂林寺前。

普済寺(布袋尊)

夫婦円満と財宝賊与、そして増長花実、円満完成、平和安穏、家運隆盛、無碍自由を司る、七福神に唯一の実在の人物、中国唐代の僧―布袋尊(ほていそん)。『しだれ桜の布袋尊』と名のある立像としてそれを祀る普済寺(ふさいじ)は、その山号を龍洞山と称する寺で、過ぎた時代の悲恋の逸話を今に伝えている。しだれ桜に紫陽花(あじさい)などなど、時の参拝者たちを季節に折々の花模様で迎えるという。[1][2]住所は群馬県館林市羽附町1691にて、電話番号は0276-72-2037、最寄の駅は茂林寺前または館林。

尾曳稲荷神社(弁財天)

学問成就と恋愛成就、そして音楽、弁財、美芸文学、智恵、記憶、思索、歓喜、福徳、財産、子孫の繁栄を司る、七福神に唯一の女性の神―弁財天(べんざいてん)。この地の往代を統べた城郭―館林城の遺跡よりすぐ近くのところに鎮座する尾曳稲荷(おびきいなり)は、天文元年(西暦1532年)に当時の大袋城主・赤井照光によって祀り始められたという神社で、この氏が築城することになった館林城の守護神としてこの地に在り続けてきたという。かの城のちょうど外郭であった『稲荷郭』と呼ばれたところにあり、名勝―つつじヶ丘公園とともに城沼(じょうぬま)の揺らぎのほとりに位置する尾曳公園の一角で、『藤の弁財天』をその本殿の裏手に祀っている。住所は群馬県館林市尾曳町10にて、電話番号は0276-72-1293(社務所)、最寄の駅は館林。

善長寺(寿老尊)

長寿延命と富貴招福、そして妙薬、開運、厄除、健康、安楽、不老長寿を司る、中国宋代の仙人―時に福禄寿と同体とも云われる神―寿老尊、すなわち寿老神(寿老人―じゅろうじん)。善長寺(ぜんちょうじ)は室町時代の大永3年(西暦1523年)に開かれた曹洞宗の寺で、山号を巨法山と称する。伽藍は尾曳稲荷から東に歩いてしばらくのところで城沼のほとり、石室や刀が出土した山王山古墳とその境内を接する。本堂の前に石像として祀る寿老人は、通称『水仙の寿老尊』―春にはスイセンの花が伽藍を飾り彩るという。[3][4][5]住所は群馬県館林市当郷町1975にて、電話番号は0276-72-0099、最寄の駅は館林。

善導寺(毘沙門天)

開運厄除、大願成就、そして財宝福徳、降魔教化、名誉、協力、地位、神通自在を司る、仏教の守護たる四天王の一、戦の神―毘沙門天(びしゃもんてん)。善導寺(ぜんどうじ)は終南山―見松院と号する浄土宗の寺で、行基(ぎょうき)の手による和銅元年(西暦708年)の創建と伝えられる古刹。徳川四天王と称えられた武将・榊原康政(さかきばらやすまさ)の中興を経て今に至るこの寺は、その境内に『すみれの毘沙門天』を祀りつつ、かの城沼の東のほとりに伽藍を置いている。[6]住所は群馬県館林市楠町3692にて、電話番号は0276-72-1259、最寄の駅は館林。

名良神社(恵比須)

商売繁盛と除災招福、そして医薬、酒造、漁業、交通安全、商業の繁栄を司る、七福神に唯一の日本の神―恵比須(えびす―恵比寿)。名良神社(ながらじんじゃ)は平安時代の朝臣―藤原名良(ふじわらのながよし)を祭神に据える神社で、あわせて『銀杏の恵比寿神』と呼ばれる恵比須をその境内に祀る。館林第一中学校と館林第一小学校との間のところにあって、護国神社と隣り合いながらそこに鎮座している。[7]住所は群馬県館林市代官町11にて、電話番号は0276-72-1542(社務所)、最寄の駅は館林または渡瀬。

雷電神社(福禄寿)

福(幸福)、禄(俸禄)、寿(長寿)の三徳、招徳人望と俸禄増加、そして家内安全、幸福、秩禄、慶祝、良い配偶者の獲得を司る、道教(どうきょう)に言う南極老人―南極星の化身たる神―福禄寿(ふくろくじゅ)。雷電神社(らいでんじんじゃ)は上州名物の雷三神―火雷大神(ほのいかづち-)・別雷大神(わけいかづち-)大雷大神(おおいかづち-)―を祀る神社で、聖徳太子の手により推古天皇の時代(西暦592〜628年)に創られたという伝え、のちに坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が祈願を行い社殿を造営したとの伝えを今に遺す。『椿の福禄寿』とともに国指定重要文化財の末社などを携えるその境内は、遥かなる万葉の時代の歌に詠まれた『伊奈良(いなら)の沼』の後裔の地であるという。[8]住所は群馬県邑楽郡板倉町板倉2328にて、電話番号は0276-82-0007(社務所)、最寄の駅は館林(ただし最寄ということにもはや意味はないほどに遠し)。

資料