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2007年11月3日 (土) 18:04の版

富士の高峰を見仰ぐところの名刹―大石寺(たいせきじ)を本山に据える日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の一ヶ寺、顯正山―妙流寺みょうりゅうじ)は、福岡県の県都にあたる福岡市の市街の一角にその伽藍を置く小寺である。

福岡県の数多の鉄道駅のうちでも殊に名のある大駅―博多駅からほど近くのところにあって、そうした立地から全国より―時に海の向こうよりの参拝者を受け入れもするという[1]妙流寺は、市街を貫く大車道の傍で日々に留まることなくゆき交う車の影を見据えている。

画像:妙流寺 IMGP8909.JPG
『顯正山』―『日蓮正宗 妙流寺』 - その山門

目次

歴史

顯正山―妙流寺の歴史は、本寺が現所在地に建立された昭和49年(西暦1974年)に始まった。(『福岡寺院探訪』 P.84 『妙流寺』)

昭和55年(西暦1980年)には、その宗旨である日蓮正宗の信徒組織―法華講(ほっけこう)の支部が結成された。それからほどなくして、それまでの住職であった大塚順妙が何らかの原因により罷免を受ける。これをもって、昭和63年(西暦1988年)、宮澤親道が第二代目の住職に着任した。初代住職にあたるこの大塚順妙という人は、その後、日蓮正宗と激しく対立する新興宗教・創価学会(そうかがっかい)の僧になっている。[2]

平成も二年を過ぎた頃に差し掛かると、当時の創価学会に巻き起こっていた何らかの問題のあおりを受け、かの学会の運営する施設が近場に多く位置していることもあって、その恰好の攻撃対象とされてしまったという。[3]

昭和54年(西暦1979年)の7月17日に本堂と庫裡の増改築を記念した落慶法要なるものが行われていることから、今に至る現本堂はこの頃にできたものと見ることができる。当時の大石寺の法主―頭(かしら)―日達(にったつ)を招来したこの法要は、同人の遷化(没)からちょうど5日前のことで、同人の最後の説法となった。[4]

伽藍

『百年橋通り』―『筑紫通り』―『きよみ通り』―『竹下通り』という、その数4の車道に囲まれた区画。このうちの竹下通りに面したところにあって、妙流寺は南西の方向にその山門を開いている。

『顯正山』という刻字のある額―すなわち山号の刻まれた額と『日蓮正宗 妙流寺』と書かれた札を掛けるその山門を入ると、右手に庫裡を見ながらすぐさま本堂の入口に突き当たる。目立つものは何も見られない実に簡素な境内となっている。

周辺

かの四車線に囲まれた区画の内には数多の企業の建物が軒を連ね、住宅がまた軒を連ね、市立春住小学校などのほか、小林町第一住宅、小林町第二住宅、小林町第三住宅、博多駅南三丁目借上住宅という、4つの市営住宅がある[5]

平成のはじめの頃には創価学会員の攻撃にさらされたというが、地図によれば、その周辺には確かに創価学会の運営と見られる施設がいくつも見られる。創価学会の会館と思しきものがすぐ東方に位置しており、そこからすぐ東方の区画にもまたそれと思しき建物がある。

所在と交通

所在は福岡県福岡市博多区博多駅南3丁目16番17号。最寄の電停はJR博多駅。