??? ?????

版間での差分

Nsview (会話 | 投稿記録)
(新しいページ: '大阪府の北摂(ほくせつ)と呼ばれる地を成す池田市(いけだ-)に伽藍を据える'''久安寺'''('''きゅうあんじ''')は、高野山真言...')
次の差分→

2007年11月5日 (月) 20:50の版

大阪府の北摂(ほくせつ)と呼ばれる地を成す池田市(いけだ-)に伽藍を据える久安寺きゅうあんじ)は、高野山真言宗の一ヶ寺にして大澤山(だいたくさん)との山号を称し、千手観世音菩薩を本尊に拝し、今や遥かなる古となった悠遠の代からの歴史をたたえる。

西国薬師第18番札所、摂津観音第19番札所、摂津大師第67番札所、関西花の寺第12番札所。[1]春には牡丹(ぼたん)にヒラト、夏には紫陽花(あじさい)、石楠花(しゃくなげ)、秋には紅葉(もみじ)。冬には蝋梅(ろうばい)、山茶花(さざんか)などなど、四季を通じてそれぞれの時の自然の色を見せる久安寺は、北摂の地に名所として名を馳せ数多の参拝者を集めている。[2][3]

画像:久安寺 251797.jpg
本堂から金堂跡までを結ぶ『両果の道』の初夏

目次

歴史

時は奈良時代(なら-)と呼ばれる頃(西暦710~794年)。聖武天皇(しょうむ-)の勅願を受けて、当時の僧―行基(ぎょうき)の手により、千手観音を本尊として神亀二年(西暦725年)に開かれたことに本寺の歴史は始まったという。[4][5]

それから時は下って平安時代と呼ばれる時代に入り、天長五年(西暦828年)に、弘法大師(こうぼうだいし)―空海(くうかい)によって真言密教の道場としての中興を受けた。[6][7]この頃の本寺は安養院と称していたものと考えられている。[8]

更に時を下って久安(きゅうあん)の代に差し掛かった頃、保延六年(西暦1140年)に火災によって焼失の憂き目に遭う[9]。そこで当時の帝(みかど)―近衛天皇(このえ-)の勅願をもとに、久安元年(西暦1145年)、賢実という名の僧の手による楼門や金堂などの再興を受けたことで、今に遺るところの久安寺という寺号を称すようになった。勅願を発された近衛天皇の命名であったという。[10][11][12]

平安の世も終わりに近づく頃には、のちに国の文化財に指定されることになる阿弥陀如来の坐像が作られた。[13]

安土桃山時代(あづちももやま-)の終わり頃には『太閤(たいこう)』―豊臣秀吉(とよとみひでよし)の参拝を受け、文禄四年(西暦1595年)には同人によって本寺に月見茶会が開かれもした。[14][15]

江戸時代(西暦おおよそ1600~1867年)も中期に差し掛かった頃には、平間長雅(ひらまちょうが)という名の歌人が本寺に在住し、同人が観音信仰の布教を盛んに行い、のちまで遺る堂や坊舎の体裁が元禄(げんろく)の頃(西暦1688~1703年)に整えられたという。[16]

伽藍

久安寺は猪名川(いな-)の支流の一河川である余野川(よの-)が池田市の伏尾(ふしお)に差し掛かるとき―大きく湾曲するその流れの西岸にあって、その広大な霊園の緑とともに伽藍を形成している。

楼門

国道に面したところに聳える楼門(ろうもん)は、手前に銀杏の木を据え置き、内に金剛力士の像を安置する、室町時代(西暦1336~1573年)の初期の建築と推定されているもので、国の重要文化財にして、その建築技法から『最も美しい楼門』であると評価されもするという。[17]

本堂

本寺―久安寺の本堂(ほんどう)は、銀杏の木をその手前に携え、本寺の本尊たる千手観世音菩薩を内に安置する。後一条天皇(ごいちじょう)の勅願をもとに定朝(じょうちょう)という仏師が彫ったものというこの像は秘仏であるという。定朝の生きた時代が平安の後期であるから、この像もその頃に生まれたことになろう。[18]

この本堂は大悲殿とも呼ばれ、摂津観音霊場の第19番目の札所ともなっている。裏手には浮座に大日如来を祀った『ばん字池』なる小池を湛える、四季折々の花の咲いた『虚空園』という庭園がある。[19][20]

御影堂

読みは『みかげどう』であろうか。宝形造(ほうぎょうづくり)と云われるつくりのこの堂は、遍照殿とも呼ばれる堂で、本寺の中興の祖の一人・弘法大師―空海を祀る。摂津大師第67番札所。[21][22]

三十三所堂

読みは『さんじゅうさんしょどう』であろうか。御影堂のすぐ近くに位置するこの堂は、内に三十三観音(さんじゅうさんかんのん)―すなわち、楊柳観音(ようりゅう-)、円光観音(えんこう-)、蓮臥観音(れんが-)、魚濫観音(ぎょらん-)、一葉観音(いちよう-)、延命観音(えんめい-)、能静観音(のうじょう-)、葉衣観音(ようえ-)、蛤蜊観音(こうり-)、馬郎婦観音(めろう-)、不二観音(ふに-)、龍頭観音(りゅうず-)、遊戯観音(ゆげ-)、瀧見観音(たきみ-)、徳王観音(とくおう-)、青頸観音(しょうきょう-)、衆宝観音(しゅうほう-)、阿耨観音(あのく-)、瑠璃観音(るり-)、六時観音(ろくじ-)、合掌観音(がっしょう-)、持蓮観音(じれん-)、持経観音(じきょう-)、白衣観音(びゃくえ-)、施薬観音(せやく-)、水月観音(すいげつ-)、威徳観音(いとく-)、岩戸観音(いわと-)、阿麼堤観音(あまだい-)、多羅尊観音(たらそん-)、普悲観音(ふひ-)、一如観音(いちにょ-)、灑水観音(しゃすい-)を祀る。法事が行われる場所であるという。[23][24][25]

阿弥陀堂

三十三所堂の裏手にある阿弥陀堂(あみだどう)は、国指定重要文化財―平安時代後期の作と推定される阿弥陀如来(あみだにょらい)の坐像を内に納める。この堂は、この坐像のみならず、数多の文化財の収納どころとして使われているようであるという。[26]

薬師堂

阿弥陀堂の対面にある薬師堂(やくしどう)は、その内に阿閃薬師如来(あしゅくやくしにょらい)の立像を祀る。門徒の活動のための会館の役割も果たしているという。[27]

鐘堂

反り返った大きな瓦屋根のもとに鐘(かね)を納める鐘堂(しょうどう)―すなわち鐘楼(しょうろう)は、本堂の眼下のところに位置し、『開運殿』との別名をもって呼ばれもするようだ。[28][29]

傍らには『腰掛石』と名付けられた小さな石がある。[30]

地蔵堂、朱雀池、石造りの釈迦涅槃像を安置する舎利殿涅槃堂(金堂跡)、それと本堂とを結ぶ参道『両果の道(りょうが-)』...数多の事物があわせて伽藍を彩り形作っている。[31]

行事

  • もみじまつり - 11月18日
  • もみじ茶会 - 11月23日

[32]

余話

拝観するにはいくばくかの料金が必要となるようである[33]

山号―大澤山―については『大沢山』との表記も見られる。

所在と周辺

所在は大阪府池田市伏尾町697にて、電話番号は072-752-1857、最寄の電停は阪急電鉄宝塚線池田駅、最寄のバス停は阪急バス『久安寺』停留所。

南に伏尾温泉(不死王閣)、西に市立細河中学校、その北に府営池田伏尾台住宅、その西に市立伏尾台小学校、その更に西に市立伏尾台コミュニティセンターなどがある。